芥川龍之介撰 芭蕉の句
芭蕉はその俳諧の中にしばしば俗語を用いている。
梅雨ばれの私雨や雲ちぎれ
芭蕉は俗語のみならず、漢語をも雅語を正したのである。
命なりわづかの笠の下涼み
馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり
芭蕉自身の俳諧は滅多に「調べ」を忘れたことはない。いや、時には一句の妙を「調べ」にのみ託したものさえある。
夏の月御油より出でて赤坂や
年の市線香買ひに出でばやな
秋ふかき隣は何をする人ぞ
僕はこの芭蕉の二句の中に百年の春雨を感じている。
春雨や蓬をのばす草の道
無性さやかき起されし春の雨
画趣を表わすのに自在の手腕をもっていたのもやはり芭蕉の俳諧に見のがされぬ特色の一つである。
涼しさやすぐに野松の枝のなり
夕顔や酔うて顔出す窓の穴
山賎のおとがひ閉づる葎な
粽ゆふ片手にはさむひたひ髪
頗る熱心に海彼岸の文学の表現などを自家の薬籠中に収めている。
黄鳥や竹の子藪に老を啼
さみだれや飼蚕煩ふ桑の畑
芭蕉の俳諧はその動詞の用法に独特の技巧を弄している。
一声の江に横たふや時鳥
閑さや岩にしみ入る蝉の声
木枯に岩吹きとがる杉間かな
鐘消えて花の香は鐘く夕べかな
無常の意を寓した作品はたとい鬼趣ではないにもせよ、常にいうべからざる鬼気を帯びている。
夕風や盆挑灯も糊ばなれ
稲妻やかほのところが薄の穂
※ 私雨(わたくしあめ) 蓬(よもぎ) 山賎(やまがつ) 葎(むぐら) 粽(ちまき) 黄鳥(うぐいす) 啼(なく) 時鳥(ほととぎす)
芭蕉はその俳諧の中にしばしば俗語を用いている。
梅雨ばれの私雨や雲ちぎれ
芭蕉は俗語のみならず、漢語をも雅語を正したのである。
命なりわづかの笠の下涼み
馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり
芭蕉自身の俳諧は滅多に「調べ」を忘れたことはない。いや、時には一句の妙を「調べ」にのみ託したものさえある。
夏の月御油より出でて赤坂や
年の市線香買ひに出でばやな
秋ふかき隣は何をする人ぞ
僕はこの芭蕉の二句の中に百年の春雨を感じている。
春雨や蓬をのばす草の道
無性さやかき起されし春の雨
画趣を表わすのに自在の手腕をもっていたのもやはり芭蕉の俳諧に見のがされぬ特色の一つである。
涼しさやすぐに野松の枝のなり
夕顔や酔うて顔出す窓の穴
山賎のおとがひ閉づる葎な
粽ゆふ片手にはさむひたひ髪
頗る熱心に海彼岸の文学の表現などを自家の薬籠中に収めている。
黄鳥や竹の子藪に老を啼
さみだれや飼蚕煩ふ桑の畑
芭蕉の俳諧はその動詞の用法に独特の技巧を弄している。
一声の江に横たふや時鳥
閑さや岩にしみ入る蝉の声
木枯に岩吹きとがる杉間かな
鐘消えて花の香は鐘く夕べかな
無常の意を寓した作品はたとい鬼趣ではないにもせよ、常にいうべからざる鬼気を帯びている。
夕風や盆挑灯も糊ばなれ
稲妻やかほのところが薄の穂
※ 私雨(わたくしあめ) 蓬(よもぎ) 山賎(やまがつ) 葎(むぐら) 粽(ちまき) 黄鳥(うぐいす) 啼(なく) 時鳥(ほととぎす)