武産通信

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織田信長の最後

2020年01月28日 | Weblog
 織田信長の最後 「本能寺の変」

[史料] ルイス・フロイス『日本史』

 第五六章  明智が謀叛により、信長、ならびに後継者の息子を殺害し、天下に叛起した次第

 我らの教会は、信長の場所からわずか一街を隔てただけのところにあったので、数名のキリシタンはこの方に来て、折から早朝のミサの支度をしていたカリオン(司祭)に、御殿の前で騒ぎが起こっているから、しばらく待つようにと言った。そしてそのような場所であえて争うからには、重大な事件であるかも知れないと報じた。間もなく銃声が響き、火が我らの修道院から望まれた。次の使者が来て、あれは喧嘩ではなく、明智が信長の敵となり叛逆者となって彼を包囲したのだと言った。

 明智の軍勢は御殿の門に到着すると、真先に警備に当たっていた守衛を殺した。内部では、このような叛逆を疑う気配はなく、御殿には宿泊していた若い武士たちと奉仕する茶坊主と女たち以外は誰もいなかったので、兵士たちに抵抗する者はいなかった。そしてこの件で特別な任務を帯びた者が兵士とともに内部に入り、ちょうど手と顔を洗い終え、手拭で身体をふいている信長を見つけたので、ただちにその背中に矢を放ったところ、信長はその矢を引き抜き、鎌のような形をした長槍である長刀という武器を手にして出て来た。そしてしばらく戦ったが、腕に銃弾を受けると、自らの部屋に入り、戸を閉じ、そこで切腹したと言われる。また他の者は、彼はただちに御殿に放火し、生きながら焼死したと言った。だが、火事が大きかったので、どのようにして彼が死んだかはわかっていない。我らが知っていることは、その声だけでなく、その名だけで万人を戦慄せしめていた人間が、毛髪と言わず骨と言わず灰塵に化さざるものは一つもなくなり、彼のものとしては地上に何ら残存しなかったということである。

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明智光秀の実像に迫る(2)

2020年01月25日 | Weblog
 花園大学公開講演会 『明智光秀の実像に迫る』

 第二部  東洋大学文学部史学科非常勤講師 柴裕之「織田信長と惟任(明智)光秀」

 信長との関係にみる光秀の「実像」と課題
 織田家の家臣には、主君の信長により取り立てられて才能を発揮していった家臣が多いが、光秀の「実像」にも、信長との関係とその動向に大きく規定を受け、その強い信頼のもとに宿老や直臣大名へと台頭し、活動していった姿がある。彼の事績を捉え直してみて、彼はまさに変動する国内情勢の展開のなかで、信長のもとに日本の中央にあった天下を管轄統治し、そのもとに国内勢力の統合=「天下統一」を進めていった政治権力へと急激な発展を遂げた織田権力の特質を表徴したキーパーソンにあったといえる。このため、織田権力のもとで生じていった急激な情勢の展開が、彼の立場や家の将来に大きく影響し、本能寺の変は、この果てに起きた極めて同時代性をもつ政変であったと位置づけられる。今後さらなる実像解明には、引き続き謀反人や「常識人」像から脱却したうえ、史料蒐集に基づく検討が求められよう。

[史料6]  長宗我部元親書状  (石谷家文書)

   尚々(石谷)頼辰へ不残申達候上者、不及内状候へ共、心底
   之通粗如此候、不可過御計申候
   追而令啓候、我等身上儀、始終御肝煎生々世々御恩慮迄候、
   中々是非不及筆墨候

 一、今度御請、兎角于今致延引候段、更非他事候、進物無了簡付
   而遅怠、既早時節都合相延候条、此上者不及是非候歟、但来
   秋調法を以申上、可相叶儀も可有之哉と致其覚悟候
 一、一宮(阿波国)を始、ゑひす(戎)山城、畑山城、うしきの城、
   仁宇南方不残明退申候、応 御朱印如此次第を以、先御披露可
   有如何候哉、是にても御披露難成、頼辰も被仰候条、弥無残所
   存候、所詮時剋到来迄候歟、併多年抽粉骨、毛頭無真意処、不
   慮成下候ハん事不及了簡候
 一、此上にも 上意無御別儀段堅固候者、御礼者可申上候、如何候
   共海部(阿波国)、太(大)西両城之儀者相抱候ハて不叶候、
   是ハ阿讃競望候ためニハ一向ニあらす候、たゝ当国(土佐国)の
   門に此両城ハ抱候ハて不叶候、爰ニ御成敗候ヘハとて無了簡候    
 一、東州奉属平均、被納 御馬、貴所以御帰陣目出候
 一、何事も々々々頼辰可被仰談候、御分別肝要候、万慶期後音候
   恐々謹言

  (天正十年)五月廿一日    元親(花押)

  (斎藤)利三 御宿所

[史料1] 織田信長書状  (永禄八年)十二月五日

[史料2] 足利義昭・織田信長連署条  永禄十参(年)正月廿三日

[史料3] 明智光秀書状  (永禄十二年)四月十四日

[史料4] 惟任光秀書状  (天正七年)九月廿三日

[史料5] 織田信長直書写  (天正六年)十月廿六日

[史料7]  『兼見卿記』  天正十年六月条

[史料8]  惟任光秀書状  (天正十年)六月十二日

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明智光秀の実像に迫る

2020年01月21日 | Weblog
 花園大学公開講演会 『明智光秀の実像に迫る』

 第一部  花園大学文学部日本史学科専任講師 生駒孝臣「明智光秀と京都」

 本能寺の変をめぐって
 信長へのうらみか? 天下取りの野望か? 黒幕がいたのか?
 光秀の動機について語る史料は後世の創作。
 四国の長宗我部元親をめぐる問題。
 足利義昭? 朝廷? イエズス会? 秀吉? 家康?

[史料1] ルイス・フロイス『日本史』

 第五六章  明智が謀叛により、信長、ならびに後継者の息子を殺害し、天下に叛起した次第

 信長の宮廷に惟任日向守殿、別名十兵衛明智殿と称する人物がいた。彼はもとより高貴の出ではなく、信長の治世の初期には、公方様の邸の一貴人兵部大輔と称する人に奉仕していたのであるが、その才略、深慮、狡猾さにより、信長の寵愛を受けることとなり、主君とその恩恵を利することをわきまえていた。殿内にあって彼は余所者であり、外来の身であったので、ほとんどすべての者から快く思われていなかったが、自らが(受けている)寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。彼は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己れを偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。また、築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持主で、選り抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた。彼は誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛の情を得るためには、彼を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、彼の嗜好や希望に関しては、いささかもこれに逆らうことがないよう心掛け、彼の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者がその奉仕に不熱心であるのを目撃して、自らは(そうではないと装う)必要がある場合などは涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった。また、友人たちの間にあっては、彼は人を欺くために七十二の方法を深く体得し、かつ学習したと吹聴していたが、ついには、このような術策と表面だけの繕いにより、あまり謀略(という手段を弄すること)に精通してはいない信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、信長は彼を丹波、丹後二ヵ国の国主に取り立て、(信長)がすでに破壊した比叡山の大学(延暦寺)の全収入ーーそれは(別の)国の半ば以上の収入に相当したーーとともに彼に与えるに至った。そして明智は、都から四里ほど離れ、比叡山に近く、近江国の二十五里もあるかの大湖(琵琶湖)のほとりにある坂本と呼ばれる地に邸宅と城塞を築いたが、それは日本人にとって豪壮華麗なもので、信長が安土山に建てたものにつぎ、この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった。ところで信長は奇妙なばかりに親しく彼を用いたが、このたびは、その権力と地位をいっそう誇示すべく、三河の国主(徳川家康)と、甲斐国の主将たちのために饗宴を催すことに決め、その盛大な招宴の接待役を彼に下命した。

[史料2] 朝山日乗・村井貞勝・明智光秀連署状  (永禄十二年)二月廿九日

[史料3] 明智光秀・木下秀吉連署状  (永禄十二年)四月十四日

[史料4] 明智光秀書状  元亀二年十二月廿日

[史料5] 明智光秀書状

[史料6] 『信長公記』巻十五 五月十四日

[史料7] 『信長公記』巻十五  五月廿六日

[史料8] 『信長公記』巻十五  六月朔日夜

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真空の気

2020年01月13日 | Weblog

                    真空と空のむすびのなかりせば合気の道は知るよしもなし   植芝盛平

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謹賀新年

2020年01月01日 | Weblog

                               謹 賀 新 年

                        本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

                               令和二年 元旦

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