合気神社の樹林のなかで相撲をとるように鍛錬をする植芝盛平翁。(写真)
建速須佐之男命(スサノオ)と天照大神(アマテラス)
青い山々の草木を枯れさせ、河や海の水を干しあがらせる。また、山も川もめりめりと揺らぎ、国土がみしみしと震い動くほどにあらゆる災いを起すスサノオ。
その荒ぶる神スサノオを迎え討つアマテラスのいでたちは、髪をといて男髷(おとこまげ)にゆい、両方のびんと両方の腕とに八尺の勾玉(やさかにのまがたま)という立派な玉の飾りをつける。背中には五百本、千本という大層な矢を背負い、右手に弓を取って突き立て、勢いこんで足を踏みながら待ち構える。そのきつい力踏みで、堅い土がまるで粉雪のようにもうもうと飛び散った。武装して闘いに挑む女神アマテラスである。
スサノオとアマテラスは天安河(あまのやすかわ)をはさんで対峙し、宇気比をする。 そして、宇気比に勝ったスサノオが惹起した穢れに、遂にアマテラスは岩屋ごもりとなる。
手力雄神(タヂカラオ)
タヂカラオはアマテラスの天の岩戸隠れの時に、岩戸を引き開けてアマテラスの御手を奉じて出し奉る怪力の持ち主である。タタヂカラオは相撲に因縁深い祖神として、力士の守り本尊のように崇拝されている。
建御雷神(タケミカズチ)
「古事記」に武術の始まりが記されている。天孫族から出雲族に対する国譲りの顛末は、この交渉に不同意であった出雲族の代表、建御名方神(タケミナカタ)と、天孫族の代表タケミカズチとが力競べ(ちからくらべ)の結果、タケミナカタが負けて国譲りの交渉がまとまり、この国は天孫族の治めるところとなる。
この時の力競べは指掌の握力の争いであった。タケミナカタがタケミカズチの手を握ったところ、タケミカズチの手は垂氷(つらら)のように、また剣の刃のようでとても握ることができない。ところがタケミカズチがタケミナカタの手を握ると、ちょうど若い葦(あし)でもつかむように易々と掴みひしいだという。これは渾身の力を出して、鍛えた握力で強弱を競った手乞い(てごい)であった。
野見宿禰(ノミノスクネ)
相撲の神。第十一代垂仁(すいにん)天皇の御代、ノミノスクネと当麻蹴速(タイマノケハヤ)が天覧試合で相まみえ、無敵を誇るタイマノケハヤがノミノスクネの一蹴りに倒され敢えない最後をとげた。「相撲大鑑」には両雄は蹴り技で渡り合い、ノミノスクネがタイマノケハヤの脇骨を踏み折り、その腰を踏み砕いて殺したとある。古式角力の三手といって突く、蹴る、殴るの、真剣勝負のような闘技の相撲であった。
そして第四十五代聖武天皇の頃に、節会(せつえ)相撲や神事相撲が起こり、打撃技は禁じ手となる。
建速須佐之男命(スサノオ)と天照大神(アマテラス)
青い山々の草木を枯れさせ、河や海の水を干しあがらせる。また、山も川もめりめりと揺らぎ、国土がみしみしと震い動くほどにあらゆる災いを起すスサノオ。
その荒ぶる神スサノオを迎え討つアマテラスのいでたちは、髪をといて男髷(おとこまげ)にゆい、両方のびんと両方の腕とに八尺の勾玉(やさかにのまがたま)という立派な玉の飾りをつける。背中には五百本、千本という大層な矢を背負い、右手に弓を取って突き立て、勢いこんで足を踏みながら待ち構える。そのきつい力踏みで、堅い土がまるで粉雪のようにもうもうと飛び散った。武装して闘いに挑む女神アマテラスである。
スサノオとアマテラスは天安河(あまのやすかわ)をはさんで対峙し、宇気比をする。 そして、宇気比に勝ったスサノオが惹起した穢れに、遂にアマテラスは岩屋ごもりとなる。
手力雄神(タヂカラオ)
タヂカラオはアマテラスの天の岩戸隠れの時に、岩戸を引き開けてアマテラスの御手を奉じて出し奉る怪力の持ち主である。タタヂカラオは相撲に因縁深い祖神として、力士の守り本尊のように崇拝されている。
建御雷神(タケミカズチ)
「古事記」に武術の始まりが記されている。天孫族から出雲族に対する国譲りの顛末は、この交渉に不同意であった出雲族の代表、建御名方神(タケミナカタ)と、天孫族の代表タケミカズチとが力競べ(ちからくらべ)の結果、タケミナカタが負けて国譲りの交渉がまとまり、この国は天孫族の治めるところとなる。
この時の力競べは指掌の握力の争いであった。タケミナカタがタケミカズチの手を握ったところ、タケミカズチの手は垂氷(つらら)のように、また剣の刃のようでとても握ることができない。ところがタケミカズチがタケミナカタの手を握ると、ちょうど若い葦(あし)でもつかむように易々と掴みひしいだという。これは渾身の力を出して、鍛えた握力で強弱を競った手乞い(てごい)であった。
野見宿禰(ノミノスクネ)
相撲の神。第十一代垂仁(すいにん)天皇の御代、ノミノスクネと当麻蹴速(タイマノケハヤ)が天覧試合で相まみえ、無敵を誇るタイマノケハヤがノミノスクネの一蹴りに倒され敢えない最後をとげた。「相撲大鑑」には両雄は蹴り技で渡り合い、ノミノスクネがタイマノケハヤの脇骨を踏み折り、その腰を踏み砕いて殺したとある。古式角力の三手といって突く、蹴る、殴るの、真剣勝負のような闘技の相撲であった。
そして第四十五代聖武天皇の頃に、節会(せつえ)相撲や神事相撲が起こり、打撃技は禁じ手となる。