柿衛本 「おくのほそ道」 福井
福井は三里ばかりなれば夕飯(ゆうめし) したゝめて出るに、誰(たそ)かれのみち
たど/\し。爰(こゝ)に等栽(とうさい)と云古き 隠士(いんし)有。いづれの年にか江戸に
来て予を尋。遥(はるか)十とせ余也。 いかに老さらぼひて有にや、将(はた)死せる
にやと人に尋侍れば、いまた存命(ぞんめい) してそこ/\とをしゆ。市中ひそ
かに引入て、あやしの小家に夕 顔へちまのはえかゝりて、鶏頭(けいとう)
はゝ木々に扉(とぼそ)をかくす。扨(さて)は此内 にこそと門を敲(たゝけ)ば、侘(わび)しげ
なる女の出て、いづくよりわたり給ふ 道心の御坊(ごばう)にや。あるじは此あたり
何がしと云ものゝ方(かた)に行ぬ。もし 用あらば尋給へと云。かれがつま
なるべしとしらる。昔物かたりに こそかゝる風情(ふぜい)は侍れど、やかて
尋(たづね)あひて、其家に二夜とまり て、名月は敦賀(つるが)のみなとにと
旅立。等栽も共にをくらんと、裾(すそ) おかしうからげて、みちの枝折(しをり)と
うかれ立。
福井は三里ばかりなれば夕飯(ゆうめし) したゝめて出るに、誰(たそ)かれのみち
たど/\し。爰(こゝ)に等栽(とうさい)と云古き 隠士(いんし)有。いづれの年にか江戸に
来て予を尋。遥(はるか)十とせ余也。 いかに老さらぼひて有にや、将(はた)死せる
にやと人に尋侍れば、いまた存命(ぞんめい) してそこ/\とをしゆ。市中ひそ
かに引入て、あやしの小家に夕 顔へちまのはえかゝりて、鶏頭(けいとう)
はゝ木々に扉(とぼそ)をかくす。扨(さて)は此内 にこそと門を敲(たゝけ)ば、侘(わび)しげ
なる女の出て、いづくよりわたり給ふ 道心の御坊(ごばう)にや。あるじは此あたり
何がしと云ものゝ方(かた)に行ぬ。もし 用あらば尋給へと云。かれがつま
なるべしとしらる。昔物かたりに こそかゝる風情(ふぜい)は侍れど、やかて
尋(たづね)あひて、其家に二夜とまり て、名月は敦賀(つるが)のみなとにと
旅立。等栽も共にをくらんと、裾(すそ) おかしうからげて、みちの枝折(しをり)と
うかれ立。
柿衛本 「おくのほそ道」 全昌寺
大聖持の城外、全昌寺といふ寺に 泊る。猶(なお)加賀の地也。そらも前夜
此寺に宿りて、
終宵(よもすがら)秋風きくやうらの山
と残す。一夜の隔(へだたり)千里におなじ。 吾も秋風を聴て衆寮(しゅうりょう)に臥(ふせ)ば
明ぼのゝ空近く読経の声す むまゝに、鐘板(しょうばん)たゝいて食堂(じきどう)に
入。けふは越前の国へと心早卒に して堂下に下るを、わかき僧
ども紙硯をかゝへ、階(きざはし)のもとまで 追来る。折節庭中の柳ちれば、
庭掃て出はや寺に散柳 (にわはきて いてばやてらに ちるやなぎ)
とりあへぬさまして草鞋(わらじ)ながら 書捨つ。越前の境(さかい)吉崎の入江を
舟に棹さして汐越の松を尋ぬ。
よもすがら嵐に浪をはこばせて
月をたれたる汐ごしの松 西行
此一首にて数景(すうけい)尽たり。もし 一弁をくはふるものは、無用の
指を立るがごとし。
丸岡天龍寺の長老、古き因み あれば尋ぬ。又、金沢の北枝(ほくし)と
云もの、かりそめに見送りて、此所 までしたひ来る。所/\の風景
過さず思ひつゞけて折ふしあ はれなる作意など聞ゆ。いま既(すでに)
別(わかれ)にのぞみて、
物書て扇引さく余波かな (ものかきて おうぎひきさく なごりかな)
五十丁山に入て永平寺を礼す。 道元禅師の御寺なり。邦畿(ほうき)
千里を避(さけ)て、かゝるやま陰に 跡をのこし給ふも貴きゆへあり
とかや。
庭掃て句:寺を出立しようとすると庭の柳の葉が散り落ちている。せめてこの落葉を掃き清めてから出かけたいと思う。
物書て句:離別の形見に吟詠を扇に書き付けて二つに引き裂き、それぞれに分ち持って名残を惜しむことである。
大聖持の城外、全昌寺といふ寺に 泊る。猶(なお)加賀の地也。そらも前夜
此寺に宿りて、
終宵(よもすがら)秋風きくやうらの山
と残す。一夜の隔(へだたり)千里におなじ。 吾も秋風を聴て衆寮(しゅうりょう)に臥(ふせ)ば
明ぼのゝ空近く読経の声す むまゝに、鐘板(しょうばん)たゝいて食堂(じきどう)に
入。けふは越前の国へと心早卒に して堂下に下るを、わかき僧
ども紙硯をかゝへ、階(きざはし)のもとまで 追来る。折節庭中の柳ちれば、
庭掃て出はや寺に散柳 (にわはきて いてばやてらに ちるやなぎ)
とりあへぬさまして草鞋(わらじ)ながら 書捨つ。越前の境(さかい)吉崎の入江を
舟に棹さして汐越の松を尋ぬ。
よもすがら嵐に浪をはこばせて
月をたれたる汐ごしの松 西行
此一首にて数景(すうけい)尽たり。もし 一弁をくはふるものは、無用の
指を立るがごとし。
丸岡天龍寺の長老、古き因み あれば尋ぬ。又、金沢の北枝(ほくし)と
云もの、かりそめに見送りて、此所 までしたひ来る。所/\の風景
過さず思ひつゞけて折ふしあ はれなる作意など聞ゆ。いま既(すでに)
別(わかれ)にのぞみて、
物書て扇引さく余波かな (ものかきて おうぎひきさく なごりかな)
五十丁山に入て永平寺を礼す。 道元禅師の御寺なり。邦畿(ほうき)
千里を避(さけ)て、かゝるやま陰に 跡をのこし給ふも貴きゆへあり
とかや。
庭掃て句:寺を出立しようとすると庭の柳の葉が散り落ちている。せめてこの落葉を掃き清めてから出かけたいと思う。
物書て句:離別の形見に吟詠を扇に書き付けて二つに引き裂き、それぞれに分ち持って名残を惜しむことである。
植芝盛平翁 伝書
二十、 半身半立
受 相手の前から両手をとる
仕 左手で相手の左手を持ち右手前へつき出しながら振りかぶり
右膝あげて前にまわしつま立ち廻りながら立ち上って後方に倒す
右手相手の右手にかけ右足出して左手抜きとり立ち上って
左手相手の手の上に伸し左足相手の後へ進める
二十、 半身半立
受 相手の前から両手をとる
仕 左手で相手の左手を持ち右手前へつき出しながら振りかぶり
右膝あげて前にまわしつま立ち廻りながら立ち上って後方に倒す
右手相手の右手にかけ右足出して左手抜きとり立ち上って
左手相手の手の上に伸し左足相手の後へ進める
柿衛本 「おくのほそ道」 山中
山中の温泉(いでゆ)に行ほど、白根が 嶽跡にみなしてあゆむ。左の山
際に観音堂有。花山の法皇 三十三所の順礼とげさせ給て
後、大慈大悲の像を安置し給ひ て那谷(なた)と名付給ふとや。那智
谷汲(たにぐみ)の二字をわかち侍りし とぞ。奇石さま/゛\に古松植(うえ)なら
べて、萱(かや)ぶきの小堂岩のうへ に造懸(つくりかけ)て殊勝の土地也。
石山の石よりしろし秋の風 (いしやまの いしよりしろし あきのかぜ)
温泉(いでゆ)に浴(よく)せり。其功(そのこう)有馬(ありま)に 次(つぐ)といふ。
山中や菊は手折らぬゆの匂 (やまなかや きくはたをらぬ ゆのにほひ)
あるじとするものは久馬のすけ とていまだ小童(こわらべ)也。かれが父俳諧
を好(このみ)て洛の貞室、若輩の昔 爰(ここ)に来(きたり)し比(ころ)、風雅に辱(はづか)しめられ
て洛に帰(かえり)貞徳の門人となりて 世にしらる。功名の後、此一村判詞(はんじ)
の料を受ずといふ。今更むかし ものがたりとはなりぬ。
曾良は腹をいたみて、伊勢の 国長嶋といふ所にゆかりあ
れば、先立(まずたち)て旅立行に、
行/\て倒れふすとも萩の原 曾良
と書置たり。行ものゝかなしみ のこるものゝうらみ、雙鳧(そうく)のわかれ
て雲にまよふがごとし。予も又
けふよりや書付消さん笠の露 (けふよりや かきつけけさん かさのつゆ)
石山の句:白く曝されているこの石山よりもっと白い感じがする秋風が吹き過ぎていく。
山中や句:この山中温泉の湧き出る湯の匂いは菊の香も及ばぬほどで、長寿延命の伝説のように菊を折るにも及ばないであろう。
けふよりや句:今日からは、一人旅の笠に置く露で「同行二人」の書付を消さねばなるまい。
山中の温泉(いでゆ)に行ほど、白根が 嶽跡にみなしてあゆむ。左の山
際に観音堂有。花山の法皇 三十三所の順礼とげさせ給て
後、大慈大悲の像を安置し給ひ て那谷(なた)と名付給ふとや。那智
谷汲(たにぐみ)の二字をわかち侍りし とぞ。奇石さま/゛\に古松植(うえ)なら
べて、萱(かや)ぶきの小堂岩のうへ に造懸(つくりかけ)て殊勝の土地也。
石山の石よりしろし秋の風 (いしやまの いしよりしろし あきのかぜ)
温泉(いでゆ)に浴(よく)せり。其功(そのこう)有馬(ありま)に 次(つぐ)といふ。
山中や菊は手折らぬゆの匂 (やまなかや きくはたをらぬ ゆのにほひ)
あるじとするものは久馬のすけ とていまだ小童(こわらべ)也。かれが父俳諧
を好(このみ)て洛の貞室、若輩の昔 爰(ここ)に来(きたり)し比(ころ)、風雅に辱(はづか)しめられ
て洛に帰(かえり)貞徳の門人となりて 世にしらる。功名の後、此一村判詞(はんじ)
の料を受ずといふ。今更むかし ものがたりとはなりぬ。
曾良は腹をいたみて、伊勢の 国長嶋といふ所にゆかりあ
れば、先立(まずたち)て旅立行に、
行/\て倒れふすとも萩の原 曾良
と書置たり。行ものゝかなしみ のこるものゝうらみ、雙鳧(そうく)のわかれ
て雲にまよふがごとし。予も又
けふよりや書付消さん笠の露 (けふよりや かきつけけさん かさのつゆ)
石山の句:白く曝されているこの石山よりもっと白い感じがする秋風が吹き過ぎていく。
山中や句:この山中温泉の湧き出る湯の匂いは菊の香も及ばぬほどで、長寿延命の伝説のように菊を折るにも及ばないであろう。
けふよりや句:今日からは、一人旅の笠に置く露で「同行二人」の書付を消さねばなるまい。
柿衛本 「おくのほそ道」 小松
此所太田の神社に詣。真盛(さねもり)が 甲(かぶと)錦の切(きれ)あり。往昔(そのかみ)源氏に
属せし時、義朝公より賜はらせ給 とかや。げにも平士(ひらざむらい)のものにあらず。
目庇(めひさし)より吹返(ふきかえ)しまで、菊から 草のほりもの金(こがね)をちりばめ龍頭(たつがしら)
に鍬形(くわがた)打たり。真盛(さねもり)討死の後 木曾義仲願状にそへて此社
にこめられ侍よし、樋口の次郎 が使(つかわ)せし事共まのあたり
縁記にみえたり。
むざんやな甲の下のきり/゛\す (むざんやな かぶとのしたの きりぎりす)
句:兜の下では実盛の哀れを誘うようにきりぎりすが鳴いている。
此所太田の神社に詣。真盛(さねもり)が 甲(かぶと)錦の切(きれ)あり。往昔(そのかみ)源氏に
属せし時、義朝公より賜はらせ給 とかや。げにも平士(ひらざむらい)のものにあらず。
目庇(めひさし)より吹返(ふきかえ)しまで、菊から 草のほりもの金(こがね)をちりばめ龍頭(たつがしら)
に鍬形(くわがた)打たり。真盛(さねもり)討死の後 木曾義仲願状にそへて此社
にこめられ侍よし、樋口の次郎 が使(つかわ)せし事共まのあたり
縁記にみえたり。
むざんやな甲の下のきり/゛\す (むざんやな かぶとのしたの きりぎりす)
句:兜の下では実盛の哀れを誘うようにきりぎりすが鳴いている。