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武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

三島由紀夫の憂国の念

2013年01月29日 | Weblog
 三島由紀夫は、昭和45年11月25日午後0寺15分、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地、東部方面総監室にて割腹! 自決した。享年45歳。

 これはバルコニーから撒かれた檄文(抜粋)である。

 檄     楯の会隊長  三島由紀夫 

われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。

われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。

楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。

昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。

論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。

われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。

共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。

われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

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西勝造伝(2)

2013年01月24日 | Weblog
★西医学の真実(2)

 日常生活

 先生は大概午前一時より早くは眠らぬ。
 肉体は血の関係であり、音の波長は自身の身内、兄弟、親子、夫婦の間柄が一番似ている。夫婦も二十年三十年一緒に生活している中に同じになっている。先生の令兄も、親も、脳溢血で死んでいるから脳溢血の系統だなどと普通常識で信じている親戚連中が、「勝造さんも無理をしてくれなければよいが。親も、兄弟も、脳溢血で死んでいるのだからあんな無理をして脳溢血で斃れるのではないかしら」などと考えると、一同の強力な同じ波長がスヤスヤ眠っている先生に作用し、中和状態の先生に暗示がかかって脳溢血の方へすすむことになる。だから先生は夜一時迄は仕事をして絶対に親戚などからやって来る波長をこわしておく。「太初めに言あり、言は神と偕に在り、言は神なりき」というヨハネ伝の聖句は、かくの如き意味をもって、先生には生きて理解されている。
 先生は板に寝ていられるだろうかと思って聞いてみると、「私は板には寝ていないよ、そんなものは背骨の曲がった人のやる事だよ」と笑っていられる。
 書聖中林梧竹の梧竹堂書話の冒頭に次の様なことが書いてある。
「凡そ書にして法無きものは固より論ずるに足らざる也。法有りて法に固せらるる者も亦未だ可ならざる也。有法よりして無法に帰し、法無くして法有り。所謂神にして化する者是を上と為す」(原文漢文)
 書も健康法も同じである。有法よりして無法に帰し、法なくして法有るの境地に達した先生、神にして化する境地にした自由自在の先生には平床は必要ないのである。常に脊柱斎整し、違和あれば之を知り直ちに処置する先生には、板は脊柱斎整のため存在するものであるけれど、平床のため人間がとりことなるりは愚の骨頂なのである。

 先生は鬚は毎日あたり、綺麗にしていられるが、散髪は二月に一度位朝早くまだ人が来ないうちに床屋へいかれる。髪や鬚は空腹時にやらぬと剃りまけなどおこすと教えられるが、朝食廃止の先生は朝早く出かけて人を待つ時間の節約もされるのである。忙しい時は自分で鋏でつんでトラのときもある。

 先生は歯は磨かず、口をゆすぐ丈である。歯を磨けば琺瑯質をいためるし、又、歯茎にブラッシをあててゴシゴシこするのは皮膚を摩擦するわけであるから、肺に癌をつくるという冷水摩擦、乾布摩擦についての原則は変わらぬ。だから已むを得ず人にすすめるときは、狸の毛の様な柔らかいものを使いなさいと教えられる。それでも一本も弛む歯は無いし、又普通の人のある口臭などはない。柿の葉茶をとり、活力素Cを常に補給して歯を叩く先生は、歯茎がぐらぐらする事はない。口臭は先生がよく冗談口をたたく吐糞症心得にあるものだが、常に腸の清潔な先生には歯を磨かなくても口臭はない。

 風呂に入る時は温冷浴を実行される。垢は、水風呂に入れば、皮膚が収縮するので、湯風呂に入って膨張した時くっついた湯垢と共に水風呂に剥落してしまう。石鹸はアルカリ性で皮膚を傷めるからしようされぬが、人に石鹸をすすめる時は手足、足先、陰部などにかぎられる。 (田中宋太郎「西勝造伝 乾巻」昭和26年)

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大鵬の書 『 忍 』

2013年01月20日 | Weblog
                               第四十八代横綱 大鵬の書 『 忍 』


☆優勝回数  1. 32回 大鵬  2. 31回 千代の富士  3. 25回 朝青龍  4. 24回 北の湖

☆全勝優勝回数  1. 8回 大鵬  1. 8回 双葉山  1. 8回 白鵬(現役)  4. 7回 北の湖、千代の富士 

☆連勝記録  1. 69連勝 双葉山  2. 63連勝 白鵬(現役)  3. 53連勝 千代の富士  4. 45連勝 大鵬

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伊勢・出雲の同年遷宮

2013年01月14日 | Weblog
 ことしは伊勢神宮と出雲大社の遷宮が同時にあります。
 伊勢神宮の式年遷宮は20年に一度で、62回目となる今回の予算は550億円。また出雲大社の修造遷宮は60年に一度で、今回の予算は80億円という。そろって遷宮が行われるのは昭和28年以来、60年ぶりである。

 伊勢神宮の式年遷宮の制度は、今から約1300年前に第40代天武天皇が定め、次の第41代持統天皇の代に皇大神宮の第1回目の遷宮が行われた。以来長い歴史の間、戦国時代に一時中断はあったが、20年に一度繰り返されて、この平成25年に第62回目の遷宮が行われる。
 遷宮とは、新しい宮を造って大御神にお遷(うつ)りを願うことで、式年とは定められた年を意味する。神宮には内宮(ないくう)・外宮(げくう)ともそれぞれ東と西に同じ広さの敷地があり、20年ごとに同じ形の社殿を交互に新しく造り替えられる。また大御神の御装束、神宝も新しくされる。
 伊勢神宮は『常若(とこわか)の思想』で、神宮にとって最も重要な神事は、新しく収穫された米を天照大神に捧げ感謝して、来年の収穫を祈願する「神嘗祭(かんなめさい)」である。その神事を、社殿を20年に一度新しくして執り行うのが式年遷宮である。(伊勢神宮HP参照)

 出雲大社の創建。出雲大社の祭神の大国主大神は、神代の昔、国土を開拓して、国造りし国土を天照大御神に「国譲り(国土奉還)」して、神事(かみごと)の世界、幽世(かくりよ)の世界、神々の世界、魂(たましい)の世界を治める大神として、壮大な神殿に鎮まった。
 その神殿は、広く厚い板を用いて造営され、太く長い御柱は地下の岩盤に届くほどに地中深く突き固められ、屋根に掲げられる千木(ちぎ)はたなびく雲を貫くほどと、その壮大な様が『古事記』(712)・『日本書紀』(720)に言い継ぎ語り継がれている。
 出雲大社は『蘇り(よみがえり)の思想』で、大国主大神が蘇る神として古事記に登場する。それは、わが国の医道の始まりでもある。大国主大神は、建速須佐之男命の七世孫で、出雲大社の主神。大穴牟遲神(おおあなむじのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、葦原色許男神(あしはらのしこおのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)という名を持ち、伊耶那岐命、伊耶那美命の国造りを完成させる。(出雲大社HP参照)

 古事記に、わが国の医道の始まりが記されている。これは神産巣日神(かみむすびのかみ)が、大穴牟遲神(おおあなむじのかみ)を蘇生させたという記述。大穴牟遲神(おおあなむじのかみ)は、大国主大神の別名である。

 【古事記】
 大穴牟遲神、此八十神者必不得八上比賣。雖負[冠代巾脚]汝命獲之。於是八上比賣、答八十神言、吾者不聞汝等、之言將嫁大穴牟遲神。故爾八十神忿、欲殺大穴牟遲神共議而、至伯岐國之手間山本云、赤猪在此山。故和礼共追下者、汝待取。若不待取者、必將殺汝。云而。以火燒似猪大石而轉落。爾追下取時、即於其石所燒著而死。爾其御祖命哭患而。參上于天。請神産巣日之命時。乃遣蚶貝比賣與蛤貝比賣。令作活。爾蚶貝比賣岐佐宜集而。蛤貝比賣持承而。塗母乳汁者。成麗壯夫而。出遊行。
 
 大穴牟遲神(おおあなむじのかみ)に白(まお)さく、「此の八十神は必ず八上比賣を得たまわじ。[フクロ]を負ひたまへれども汝命ぞ獲たまはむ」と白しき。於是(ここに)八上比賣、八十神に答へらく、「吾は汝等の言は聞かじ、大穴牟遲神に嫁はむ」と云う。故爾(かれここ)に八十神怒りて、大穴牟遲神を殺さむと共議(あいたばか)りて、伯岐國の手間の山本に至りて云ひけるは、「此の山に赤猪在るなり。故和礼共追下りなば、汝待ち取れ。若し待ち取らずば、必ず汝を殺さむ」と云ひて。猪に以たる大石を火以て燒きて轉ばし落しき。爾追ひ下り取る時に、其の石に燒き著かえて死せたまひき。爾(ここ)に其の御祖命哭き患ひて。天に參上りて。神産巣日之命(かみむすびのみこと)に請したまふ時に、乃ち蚶貝比賣(きさかいひめ)と蛤貝比賣(うきむかいひめ)とを遣せて、作り活さしめたまふ。爾(ここ)に蚶貝比賣岐佐宜集めて、蛤貝比賣水を持って、母の乳汁を塗りしかば、麗はしき壯夫に成りて、出で遊行きき。
 
 大穴牟遲神に感謝して礼を述べるとともに「あなたの兄弟たちは八上比賣の心を射落すことはできないでしょう。姫はあなたのものになります」と予言した。そして八上比賣はその予言通り、自分は大穴牟遲神に嫁ぎたいと思うと明言する。これを面白くなく思った大穴牟遲神の兄弟たちは大穴牟遲神を殺そうとした。まずは大穴牟遲神に「今から猪を追って行くから、そちらで待ちかまえておいて捕まえてくれ」と言い、大きな石を真っ赤に焼いて転がした。その岩に当って大穴牟遲神はあっけなく死んでしまうが、大穴牟遲神の母が神産巣日神に願い出た結果、蚶貝比賣と蛤貝比賣が遣わされ、大穴牟遲神はこの姫たちの治療で蘇生する。

写真:出雲大社

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西勝造伝

2013年01月08日 | Weblog
 西勝造(にし かつぞう、1884年~1959年) 西式健康法創始者。膨大な医学、民間療法、その他の学問を集大成し近視眼に陥った現代医学を厳しく批判し、西医学を提唱する。土木工学博士・技師。東京市の地下鉄道、大阪市の地下鉄道の基礎を設計した。神奈川県生まれ。合気会理事を務める。西医学から東京の渡辺正、名古屋の樫尾太郎、大阪の甲田光雄の医師たちや、岡山の山崎佳三郎などの逸材を輩出した。

★西医学の真実(1)

 西医学健康法は、単純な経験主義に基づくありふれた健康法ではなく、数千年の医学を変革するものである。先生は、此の健康原理の優位を身を以て証明せんとせらるるのである。だから、その日常生活は万人の注目をひく所以である。先ず衣食住からはじまって先生の生活の全貌について記してみよう。但し遥かに衆俗を超絶し、「絶径人至る稀なり、芳孫我独尋ぬ」の境地に達したこの大天才の生活には却って凡俗同様な点が多いけれど、それは眼光紙背に徹する底の透徹した眼力を以て理解することが肝要であろう。

 日常生活

 衣の方面についていえば常にさっぱりしていられるが、それは夫人の主たる努力にまつもの、もとより技術家で、外国にゆき、健康法を説く先生として身奇麗にしていられるのは当然であるが先生御本人としてはトント着物には無頓着で、何でも夫人の着せらるるまま、夏になって冬着を着せられても平気の方である。但し夏をのぞき、夜中など少し寒いときは書斎ではドテラで居られることが多いというのは、紙は冷えているもので、室内温度が平均するため体温を吸収し、えらく冷たくなるものだから自然であるが、一寸書斎人でなければわからぬ事である。麻の下衣をつとめて着られるが、外出する時は、中国人のよく使う竹の網を着て空気を通すことを心がけていられる。冬のオーバーは秋冬兼用のうすいもの。別段のことはない。

 先生の食事についても日頃先生が講演される話を実行される丈で、とっておきの秘法などというものはない。
 朝おきると排尿、適度のうがいの後一杯半程生水をのまれる。外出の時は、伸縮自在の携帯用金属製の水飲器を使用される。朝食は勿論抜き。大抵御飯は二杯半位。多い時や、不必要なものは残される。粉食の時は、小魚の佃煮を注意して取りアーゴット(麦角)の中毒を逃れる用意を忘れない。
 その外、黒豆とか、ゴマ塩とか、昆布とかは特に注意していられる事は先生の話に出て来る。夜七福香ばしを茶さじ一二杯とり、柿の葉茶を摂られることもよくお話に出てくる。オートミルや、実家土屋家仕送りの粟餅に、愛情の源たるマンガン摂取の話もされる。
 然し、その場その場で屈託のないのが先生の食生活である。色々な食生活上の常識から考えられずに出された食事には、最初思慮し、選択して、食べるもの、食べぬものを定め、後は無になって食事をされる。
 ガツガツ食うな、食わぬ楽しみをもたぬと駄目だと先生は何時も話されるが、先生について歩くと食事について教えらるる事が多い。
 酒や煙草はとられない。然し夫れは自分がとられないまでであって、他人には強制されない。酒は三倍水をのめば害がないといわれるし、長尾半平氏あたりの禁酒論に、それでは体の中でアルコールが出来るのはどうしますかと禁酒論を弥次られる先生でもある。煙草なども病気によっては必要だよといわれる。そして自分は酒も煙草ものまれない。
 東京から九州に行くのに、水分の摂取調節その他の方法で、一度も便所にたたれず車中の便所行を征服せられる自由自在な先生である。随行の西会小屋理事も之には驚かされた。
 自分の体を健康にこなすについては真に神の如くである。
 屈託のない先生ではあるが、そういう先生にも色々なことがある。まず第一に漬物が嫌いである。子供の頃、兄弟が勝の奴に漬物を食わしてやろうということになり、薩摩芋の油揚げの中に大根の漬物を輪切りにしたものを天麩羅に揚げてまぎれこませた。兄弟達が可笑しさをこらえていると、箸でつかんで口に持っていったが、香がしたのか、兎角怪しいというので放り出してしまった。先生には漬物は余程前世が仇であったものとみえる。それから、先生は先祖からの言い伝えを守って、家紋の胡瓜を食わぬ。科学者で凡そ迷信というものに縁遠い先生が、頑固に家紋の胡瓜を食べないなどというところに、保守的な人間的な先生の人柄があらわれて慕わしいではないか!
 里芋は大好物である。好きだからと言って我々の様に何杯もガツガツ食うのではない。本当に美味しく味われるのである。
 果物も林檎はあまり好きではない様である。蜜柑とか柿とかは好物である。コーヒーや紅茶や生菓子なども色々なことを心得つつ屈託なくとられる。然し柿の葉茶から活力素Cを四、五、六の三ヶ月に一年分をとられるのは法則通りである。
 春先一日の生野菜をやられる時などは、家人に任せず、自分で作られる。だから、他所で御馳走に生野菜食を出されるのは有難迷惑な事と察すべきである。

 先生宅は中庸空観の哲人住宅にふさわしく、中野高円寺の中間にあり家は借家である。これまでも四回も買って差しあげましょうと申出があったが厚意は謝すと言い相手にされない。何か深い考えでもあるに違いない。約三百五十坪位の邸内に建坪七十余坪の二階家である。植込みがあり塀でかこまれている。 (田中宋太郎「西勝造伝 乾巻」昭和26年)

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レ・ミゼラブル LES MISERABLES

2013年01月06日 | Weblog
                      レ・ミゼラブル LES MISERABLES  主演:ヒュー・ジャックマン

 ビクトル・ユーゴー原作のミュージカル映画。監督は「英国王のスピーチ」でアカデミー監督賞を受賞したトム・フーパー。名優ラッセル・クロウが共演、アン・ハサウェイの歌「I Dreamed a Dream」に感動する。

 19世紀前半のフランスが舞台。妹の子のため一片のパンを盗んだジャン・バルジャンは19年間服役する。仮釈放されたジャン・バルジャンは銀の食器を盗むが、老司教の慈悲に触れて改心する。やがて工場主として成功を収め、市長になったジャン・バルジャンの前にジャベール警部(ラッセル・クロウ)が現れる。工場をクビにされ、娼婦となったファンテーヌ(アン・ハサウェイ)に愛娘コゼットを託されたジャン・バルジャンは、ジャベール警部の執拗な追跡を逃れてパリへ移り住む。そして、親子として暮らすジャン・バルジャンとコゼットは、やがて激動の時代の波に飲み込まれていく……。

 富と貧困。ジャン・バルジャンの生きる力とジャベール警部の法の正義。ファンテーヌの母の愛と老司教が与えた神の愛。そして若者たちの情熱の雄叫び。全編に流れる歌声が魂を突き動かす。

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新 春 詠

2013年01月01日 | Weblog
                          あ け ま し て お め で と う ご ざ い ま す

                               平成二十五年  元旦



                     【 新 春 詠 】

                          たまゆらのみそぎに流る五十鈴川   秋水

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