柿衛本 「おくのほそ道」 山寺
山形領に立石寺(りゅうしゃくじ)と云山寺あり。 慈覚(じかく)大師の開基にして、殊(ことに)清
閑(せいかん)の地なり。一見すべきよし、人々 のすゝむるによりて尾花沢より取(とり)
てかへし、其間七里斗(ばかり)なり。日いまだ くれず、梺(ふもと)の坊にやどかりをきて
山上の堂にのぼる。岩にいはほを 重ねて山とし、松柏(しょうはく)年ふり、土石
老いて苔なめらかに、岩上の院々 扉を閉て物の音聞えず。岸を
めぐり、岩を這(はい)て、仏閣を拝し、 佳景寂寞(じゃくばく)としてこゝろすみ行
のみおぼゆ。
閑さや岩にしみ入せみのこえ (しずかさや いわにしみいる せみのこえ)
句:物音一つせず静まりかえる立石寺。静寂の中、ただ蝉の鳴き声だけが、一筋、岩にしみ入るように聞える。芭蕉の透みきる心に、自然との調和がうかがえる句である。
(芭蕉推敲) 岩にしみつく ⇒ 岩にしみこむ ⇒ 岩にしみいる
山形領に立石寺(りゅうしゃくじ)と云山寺あり。 慈覚(じかく)大師の開基にして、殊(ことに)清
閑(せいかん)の地なり。一見すべきよし、人々 のすゝむるによりて尾花沢より取(とり)
てかへし、其間七里斗(ばかり)なり。日いまだ くれず、梺(ふもと)の坊にやどかりをきて
山上の堂にのぼる。岩にいはほを 重ねて山とし、松柏(しょうはく)年ふり、土石
老いて苔なめらかに、岩上の院々 扉を閉て物の音聞えず。岸を
めぐり、岩を這(はい)て、仏閣を拝し、 佳景寂寞(じゃくばく)としてこゝろすみ行
のみおぼゆ。
閑さや岩にしみ入せみのこえ (しずかさや いわにしみいる せみのこえ)
句:物音一つせず静まりかえる立石寺。静寂の中、ただ蝉の鳴き声だけが、一筋、岩にしみ入るように聞える。芭蕉の透みきる心に、自然との調和がうかがえる句である。
(芭蕉推敲) 岩にしみつく ⇒ 岩にしみこむ ⇒ 岩にしみいる
きょう12月21日は田中万川忌である。(昭和63年昇神、享年76歳)
京都地区合気道50周年記念
大 和 大 愛
田中万川先生を偲ぶ会
田中万川 提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中万川(たなか ばんせん、1912年(明治45年) - 1988年(昭和63年))は、日本の武道(合気道)家。大阪府出身。本名は、田中伊三郎。合気道八段。合気道開祖・植芝盛平の戦前の弟子の一人。「万川」の名を植芝盛平より戴く。
史跡:合気道京都道場 京都市左京区仁王門通川端東入 頂妙寺
写真:頂妙寺祖師堂/合気道京都道場は祖師堂と同じ造りで約2倍の大きさ(80畳敷)であった。
京都地区合気道50周年記念
大 和 大 愛
田中万川先生を偲ぶ会
田中万川 提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中万川(たなか ばんせん、1912年(明治45年) - 1988年(昭和63年))は、日本の武道(合気道)家。大阪府出身。本名は、田中伊三郎。合気道八段。合気道開祖・植芝盛平の戦前の弟子の一人。「万川」の名を植芝盛平より戴く。
史跡:合気道京都道場 京都市左京区仁王門通川端東入 頂妙寺
写真:頂妙寺祖師堂/合気道京都道場は祖師堂と同じ造りで約2倍の大きさ(80畳敷)であった。
出雲大社の宮司家には、千家(せんげ)家と北島家の二つの家系がある。天皇家が出雲地方を征服した後に送り込まれたとされ、南北朝時代に分家した後もともに大社の管理にあたってきた。
大社周辺には大小の神社と寺がひしめく。明治時代に千家、北島両家が「出雲大社教」「出雲教」をそれぞれ立ち上げた時に寺の檀家から神道に移った人の墓が今も多数残っている。
大社から「夕日の神様」として知られる日御碕(ひのみさき)神社へ延びる海岸沿いの国道を走り中山地区に入った。点在する民家の庭を抜け、急斜面の林を下りて静かな入り江に近づくと、自然石を無数に積み上げた無縁仏があった。
日本海のはるか向こうの朝鮮半島の人々が、打ち上げられることもあった。人々は自分の家の敷地に埋葬して、寺の住職を呼んで手厚く葬ってきたそうだ。落ち武者をまつった無縁仏もあるという。
宗教や国籍を超え、死者を分け隔てなく弔う風習は今も息づいている。 (朝日新聞 2009年12月3日付朝刊)
大社周辺には大小の神社と寺がひしめく。明治時代に千家、北島両家が「出雲大社教」「出雲教」をそれぞれ立ち上げた時に寺の檀家から神道に移った人の墓が今も多数残っている。
大社から「夕日の神様」として知られる日御碕(ひのみさき)神社へ延びる海岸沿いの国道を走り中山地区に入った。点在する民家の庭を抜け、急斜面の林を下りて静かな入り江に近づくと、自然石を無数に積み上げた無縁仏があった。
日本海のはるか向こうの朝鮮半島の人々が、打ち上げられることもあった。人々は自分の家の敷地に埋葬して、寺の住職を呼んで手厚く葬ってきたそうだ。落ち武者をまつった無縁仏もあるという。
宗教や国籍を超え、死者を分け隔てなく弔う風習は今も息づいている。 (朝日新聞 2009年12月3日付朝刊)
合気道は宇宙万世一系の理道にして天授の真理、言霊の妙用である。
九、座り業 首締
受 相手の衿を綾にとって首締める(右手上)
仕 右膝引きつゝ面打って左手下から入れ相手の左手にかけ左手下に右手上からかけて頭をひねる
九、座り業 首締
受 相手の衿を綾にとって首締める(右手上)
仕 右膝引きつゝ面打って左手下から入れ相手の左手にかけ左手下に右手上からかけて頭をひねる
八百万(やおよろず)の神々はいま、出雲大社に滞在中だ。12月3日までの間、男女の縁組や農事について「神議り(かみはかり)」を行う。本殿のそばには「十九社」という、いわば神々の宿もある。他の地域では「神無月(かんなづき)」の旧暦10月も、出雲では「神在月(かみありづき)」と呼ぶ習わしだ。
この時期、出雲人には禁忌がある。神議りを静かに見守るため、歌舞音曲から大工仕事、障子張り替えは禁止。誤って神々を傷つけてはいけないから、散髪やひげそり、針仕事も慎む。
神在月の静けさ 今は昔
工期が長引けば費用もかさむ。神議りを行う大社の「仮の宮」からも木版の縁側を直す金づちの音が鳴り響く。日本経済を襲うデフレや円高は出雲の時の流れにも微妙に作用し、静穏な神在月は昔のものとなった。 (朝日新聞 2009年12月1日付朝刊)
この時期、出雲人には禁忌がある。神議りを静かに見守るため、歌舞音曲から大工仕事、障子張り替えは禁止。誤って神々を傷つけてはいけないから、散髪やひげそり、針仕事も慎む。
神在月の静けさ 今は昔
工期が長引けば費用もかさむ。神議りを行う大社の「仮の宮」からも木版の縁側を直す金づちの音が鳴り響く。日本経済を襲うデフレや円高は出雲の時の流れにも微妙に作用し、静穏な神在月は昔のものとなった。 (朝日新聞 2009年12月1日付朝刊)
合気道は心身を鍛錬し至誠の人を作るを目的とし業は悉く秘伝なるを以て徒に他人に公開し或は市井無頼の徒の悪用を避くべし。
八、座り業 胸
受 右手で相手の胸を持つ
仕 つま先立って右で面を打ち同時に左膝進めて体を右に開く
八、座り業 胸
受 右手で相手の胸を持つ
仕 つま先立って右で面を打ち同時に左膝進めて体を右に開く