ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスの『日本史』には、二条城が僅か70日で完成したこと。城の面積は三街を占め、石材の不足を補うために石仏や石塔をも利用したこと。建設作業には1万5千人~2万5千人が従事したこと。吊り上げ橋のある濠をもつこと。この濠には3箇所の入口が設けられていたことなどが記されている。
1569(永禄12)年 彼(信長)は吊り上げ橋がある非常に大きく美しい濠を造りその中に種々の多数の大小の鳥を入れた。彼はそこ(濠)に三つの広大でよくしつらえた入口を設け、その見張所と砦を築いた。そして内部には第二のより狭い濠があり、その後ろにははなはだ完全に作られた非常に美しく広い中庭があった。(「フロイス日本史 五畿内篇」中央公論社)
・平安京左京一条三坊町 『旧二条城跡』 現地説明会
調査場所:京都市上京区下立売通室町西入る北側
調査機関:京都市委託・古代文化調査会(神戸市、家崎孝治代表)
調査原因:マンション建設に伴う発掘調査
調査面積:約260平方メートル
調査地は、修理職の厨町である修理職町の敷地であった。修理職は宮城の修理を担当する役所であり、その厨町には多数の工場や倉庫が立ち並んでいたといわれる。
今回の発掘調査では南北方向の大規模な濠が発見された。位置的に見ると旧二条城の内郭の濠と考えられる。その規模は東西約230メートル、南北約160メートルで、発掘された濠は幅約5メートル、深さ約2.4メートル、犬走は約1.5メートルある。濠は空堀ではなく、水の痕跡がみられ木組みの跡がないので、石垣ではなく土塁だったろうと思われる。このあたりは昭和13年の鴨川改修工事により水脈が変わったが、当時は自然の湧水もあったと考えられる。
また濠の最上層からは土師器皿、緑釉単弁四葉蓮華文軒丸瓦が、井戸からは平安時代の土師器皿、輸入白磁碗などが出土した。
ルイス・フロイスが書き残した織田信長築城の様子と合致する、初めての旧二条城の遺構の貴重な発見となった。
1569(永禄12)年 彼(信長)は吊り上げ橋がある非常に大きく美しい濠を造りその中に種々の多数の大小の鳥を入れた。彼はそこ(濠)に三つの広大でよくしつらえた入口を設け、その見張所と砦を築いた。そして内部には第二のより狭い濠があり、その後ろにははなはだ完全に作られた非常に美しく広い中庭があった。(「フロイス日本史 五畿内篇」中央公論社)
・平安京左京一条三坊町 『旧二条城跡』 現地説明会
調査場所:京都市上京区下立売通室町西入る北側
調査機関:京都市委託・古代文化調査会(神戸市、家崎孝治代表)
調査原因:マンション建設に伴う発掘調査
調査面積:約260平方メートル
調査地は、修理職の厨町である修理職町の敷地であった。修理職は宮城の修理を担当する役所であり、その厨町には多数の工場や倉庫が立ち並んでいたといわれる。
今回の発掘調査では南北方向の大規模な濠が発見された。位置的に見ると旧二条城の内郭の濠と考えられる。その規模は東西約230メートル、南北約160メートルで、発掘された濠は幅約5メートル、深さ約2.4メートル、犬走は約1.5メートルある。濠は空堀ではなく、水の痕跡がみられ木組みの跡がないので、石垣ではなく土塁だったろうと思われる。このあたりは昭和13年の鴨川改修工事により水脈が変わったが、当時は自然の湧水もあったと考えられる。
また濠の最上層からは土師器皿、緑釉単弁四葉蓮華文軒丸瓦が、井戸からは平安時代の土師器皿、輸入白磁碗などが出土した。
ルイス・フロイスが書き残した織田信長築城の様子と合致する、初めての旧二条城の遺構の貴重な発見となった。