武産通信

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信長の旧二条城跡 発掘

2012年06月30日 | Weblog
 ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスの『日本史』には、二条城が僅か70日で完成したこと。城の面積は三街を占め、石材の不足を補うために石仏や石塔をも利用したこと。建設作業には1万5千人~2万5千人が従事したこと。吊り上げ橋のある濠をもつこと。この濠には3箇所の入口が設けられていたことなどが記されている。

 1569(永禄12)年  彼(信長)は吊り上げ橋がある非常に大きく美しい濠を造りその中に種々の多数の大小の鳥を入れた。彼はそこ(濠)に三つの広大でよくしつらえた入口を設け、その見張所と砦を築いた。そして内部には第二のより狭い濠があり、その後ろにははなはだ完全に作られた非常に美しく広い中庭があった。(「フロイス日本史 五畿内篇」中央公論社)


 ・平安京左京一条三坊町 『旧二条城跡』 現地説明会

調査場所:京都市上京区下立売通室町西入る北側
調査機関:京都市委託・古代文化調査会(神戸市、家崎孝治代表)
調査原因:マンション建設に伴う発掘調査
調査面積:約260平方メートル

 調査地は、修理職の厨町である修理職町の敷地であった。修理職は宮城の修理を担当する役所であり、その厨町には多数の工場や倉庫が立ち並んでいたといわれる。

 今回の発掘調査では南北方向の大規模な濠が発見された。位置的に見ると旧二条城の内郭の濠と考えられる。その規模は東西約230メートル、南北約160メートルで、発掘された濠は幅約5メートル、深さ約2.4メートル、犬走は約1.5メートルある。濠は空堀ではなく、水の痕跡がみられ木組みの跡がないので、石垣ではなく土塁だったろうと思われる。このあたりは昭和13年の鴨川改修工事により水脈が変わったが、当時は自然の湧水もあったと考えられる。

 また濠の最上層からは土師器皿、緑釉単弁四葉蓮華文軒丸瓦が、井戸からは平安時代の土師器皿、輸入白磁碗などが出土した。

 ルイス・フロイスが書き残した織田信長築城の様子と合致する、初めての旧二条城の遺構の貴重な発見となった。

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清盛 平治の乱

2012年06月28日 | Weblog
 平治の乱は平治元年(1159)の戦乱。

 保元の乱で勝利した後白河天皇は、まもなく皇位を二条天皇に譲り上皇となって院政を始めた。上皇の側近の藤原信西は才能豊かな学者で政治力もあった。源義朝は保元の乱の時に、父の為義、弟の為朝を敵にまわして戦ったにもかかわらず、一緒に戦った平清盛の出世に比べて、冷たく扱われているのに不満を持つ。義朝は信西と手を組んで清盛を押さえ込もうと思い、娘の婿に信西の息子を貰う様申し入れる。しかし信西はこの申し出を断り、事もあろうに清盛の娘に息子を差し出しす。義朝は怒り、清盛への攻撃を謀ることとなる。

 平治元年(1159)12月4日、清盛が熊野参りのため京を離れた隙を狙い、義朝は信西と対立していた藤原信頼と手を結んで謀反を起こす。まず後白河上皇と二条天皇を閉じ込め、信西を殺害する。これが平治の乱の始まりである。

 清盛は急いで京に戻り天皇と上皇を救い出して一気に義朝軍を打ち破る。鎌倉を目指して落ち延びようとした義朝と長男の義平は捕らえられて殺害された。義朝の子の頼朝は伊豆蛭が小島へ流され、義経は京の鞍馬寺へ預けられる。頼朝は13歳、義経は1歳であった。

 後白河法皇の院政は依然とした力を持ち、それを支えるのが平氏に代わった。後白河は、保元・平治の乱を通じて実質的権力を独占していき、平氏もこの後白河を中心とする権力体制を是として権力の中枢に近づいていった。

 平氏の経済力と院への取り入り、そして絶大なる武力によって、仁安2年(1167)に平清盛は太政大臣となる。清盛50歳。この時、西行も50歳である。


                      よしや君 昔の玉の 床とても
         
                          かからむ後は 何かはせむ

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合気道技法(111)

2012年06月21日 | Weblog
 植芝盛平翁 伝書
 
座取

第十三条  敵ノ左肩ヲ摑ミ右手打出ノ事
 
第十三条  打手ヲ受ケ面打右手甲を折倒ス事


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現存 天守十二城

2012年06月16日 | Weblog
一、陸奥国『弘前城』  慶長16年(1611)築城  築城者・津軽為信  青森県弘前市

二、信濃国『松本城』  文禄2年(1593)築城  築城者・石川数正  長野県松本市

三、越前国『丸岡城』  天正4年(1576)築城  築城者・柴田勝豊  福井県坂井市

四、近江国『彦根城』  慶長8年(1603)築城  築城者・井伊直勝  滋賀県彦根市

五、尾張国『犬山城』  天文6年(1537)築城  築城者・織田信康  愛知県犬山市

六、播磨国『姫路城』  慶長14年(1609)築城  築城者・池田輝政  兵庫県姫路市

七、備中国『備中松山城』  天和3年(1683)築城  築城者・秋庭重信  岡山県高梁市

八、出雲国『松江城』  慶長16年(1611)築城  築城者・堀尾吉晴  島根県松江市

九、讃岐国『丸亀城』  慶長7年(1602)築城  築城者・生駒親正  香川県丸亀市

十、伊予国『松山城』  慶長8年(1603)築城  築城者・加藤嘉明  愛媛県松山市

十一、伊予国『宇和島城』  慶長6年(1601)築城  築城者・藤堂高虎  愛媛県宇和島市

十二、土佐国『高知城』  慶長6年(1601)築城  築城者・山内一豊  高知県高知市

                                                   (「日本100名城」参照)

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合気道技法(110)

2012年06月12日 | Weblog
 植芝盛平翁 伝書
 
座取

第十ニ条  右ニテ敵ノ左肩ヲ摑ム事

第十ニ条  左ニテ打面左手甲ヲ折リ倒ス事

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清盛 西行の歌(3) 修行

2012年06月09日 | Weblog
                         西行の歌 ー 修行


                    白河の 関屋を月の もるかげは

                         人の心を とむるなりけり


                    とりわきて 心も凍みて 冴えぞわたる

                         衣河見に 来たる今日しも


                    つねよりも 心ぼそくぞ 思ほゆる

                         旅の空にて 年の暮れぬる


                    たれかまた 花をたづねて 吉野山

                         苔ふみわくる 岩伝ふらむ


                    月すめば 谷にぞ雲は 沈むめる

                         峰吹きはらふ 風にしかれて

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