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武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

西 勝造伝(6)

2013年12月21日 | Weblog
 西 勝造先生が創始された西式健康法に『温冷浴』がある。

 歴史、それは絶え間なく流れる大きな大河、その中のキラキラとした一滴を「秘話」と呼びます。(NHK「歴史秘話ヒストリア」)

 釈迦誕生の秘話を記した『過去現在因果録』に、「難陀龍王(雄龍)、優波難陀龍王(雌龍)、虚空の中に於て、清浄なる水の、一は温、一は凉なるを吐きて、太子の身にそそぐ。身は黄金色にして、三十二相あり。大光明を放ちて、普く三千世界を照す。」とある。

【原文】
 難陀龍王 優波難陀龍王 於虚空中 吐清浄水一温一凉 漢太子身 身黄金色 有三十二相 放大光明 普照三千大世界

 そして、天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)である。

 『普曜経』に、「佛、初めて生ずる時、大光明を放ちて十方界を照らし、地に金の蓮涌き、自然に足を捧げ、東西南北各々へ七歩行く、四方を監察し、一手は天を指し、一手は地を指して、師子吼を作す。『天の上にも天の下にも、唯一我独り尊い』又偈に曰く、我れ、胎分より生じ尽きて、是れ最後の末身なり。我れ、已に解脱を得、当に復た衆生を度すべし。」とある。

【原文】
 普曜経云 佛初生時 放大光明 照十方界 地涌金蓮 自然棒足 東西南北各行七歩 監察四方 一手指天 一手指地 作師子吼 天上天下唯我独尊 又偈曰 我生胎分尽 是最後末身 我已得解脱 当復度衆生

 かくして釈迦は健康に成育し、菩提樹下6ヶ年の思索によって大覚を成就し救世の仏法を完成した。

 『温冷浴』の方法は、全身の水浴を1分間、次に温浴を1分間と、交互に5回以上行い、最後に水浴で終わる。通常は水浴・温浴を1回として5~10回行う。入浴後は、西 勝造先生の考案による柿茶を飲んでビタミンCを補給するのがよい。

 入浴中は潜在意識が活発に働くので「良くなる」、「能くなる」、「善くなる」と祈念する。これを3年間実行すれば、霊感を得て、第六巻が鋭くなるという。

 その効能は、疲労回復、風邪、頭痛、神経痛、高血圧、低血圧、糖尿病、心臓病、肝臓病、腎臓病などによい。

資料:西 勝造著『西医学健康原理実践宝典』参照

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続 『平安道場』将軍塚に移築

2013年12月14日 | Weblog
 青蓮院門跡(京都市)は東山山頂の飛び地境内に建設中の青龍殿が平成26年10月4日に完成すると発表した。

 平成22年12月、青蓮院は京都府から「平安道場」(京都市上京区)の無償譲渡を受け、東山山頂へ新たに建築する京都市の許可を得て23年1月28日に譲渡された。京都府の承認、そして京都市の外部の審議会に計って建築の承認を得た。

 青龍殿は、大正時代に建てられた京都府警の武道場「平安道場」を移築して外陣とし、内陣に護摩壇を備え、斜面に面した北側には、長さ約40メートルの外部護摩壇を設けるという。

 また「清水の舞台」の約5倍の広さの木造大舞台(1046平方メートル)を設け、標高200メートル以上の境内からは京都市内を一望することができる。

 完成は来年10月4日を見込み、同7日から約3カ月間、国宝の仏教画で秘仏とされる「絹本著色不動明王二童子像」(青不動)が開帳される。

 東伏見慈晃門主は「この事業は、戦前の大日本武徳会の京都支部道場の平安道場であったものを解体移築して、大護摩堂として保存再生する事業です。この建物は、奈良の大仏殿の横幅半分ほどの大きさの、木造総檜造りの大武道場です。戦後マッカーサー占領後、建物は取り壊しを免れ、京都府の管理下におかれ、京都府警の警察官の柔剣道の道場として長く使用されていました。しかしながら大分以前から雨漏りの手当てが悪く損傷が顕著となり、結局、京都府は破棄処分としてしまったため、保存運動が起きていました。ところがこの保存運動が暗礁に乗り上げ、縁があり私の方に話が回ってきました。現物を専門の先生と一緒に見たところ、木造大建築の文化財級の建物で、破棄することはあまりにも惜しいと感じました。またマッカーサーが壊さなかったものを、日本人の手で捨ててよいのか。それも武道というもっとも日本の精神を顕す舞台であったわけで、その精神を踏みにじるものとも思えました。青蓮院では、本物の青不動さまをおまつりするお堂の建立を、東山山頂の飛び地境内、将軍塚に計画しておりました。それだけであれば、それほど大きな建物は必要ないのですが、なんとかこの大武道場の建物を護摩堂に活用して保存しなければとの強い思いに至りました。」と語っている。

 かくして大日本武徳会京都支部「平安道場」は、青蓮院青龍殿として蘇るのである。

 当時の新聞記事を見ると、「完成後は、法要に加え武道や音楽の催事などにも使いたい。」と話していたが、青龍殿は武道場としても活用されるのであろうか。

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