武産通信

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DVD 『京の合気道 武器技編』 樋口隆成師範

2023年04月22日 | Weblog
                                 鞍馬寺奉納演武

 DVD 『京の合気道 武器技編』 樋口隆成師範

 開祖植芝盛平が昇神したとき、樋口師範は二十二歳になっている。あの伝説的名人に接し、薫陶を受けた者は、京都にはもういない。国鉄の京都公安道場から鞍馬山修養道場を経て武産道場。これは開祖から斉藤守弘師範へと伝承された合気の剣を修練する合気道武産会が、創立50周年を記念して制作した記録映像である。

 相手の攻撃に応じて踏み込み、その攻撃を無効と流して、入刃に一動作で真正面を斬る入身の剣。ただ一太刀のはたらきで、相手の打ち込みに対して攻防を同時に合わせ行う。相手の太刀の力を引き受けて我がものとなし、一重身となりそのまま正中線を外すことなく相手に返す。相手の剣先と拳を見て動きをとっさに察知する。手の内は、右手で押し、左手で引くようにする。小指の些細な動きで、思いもよらぬ力が発揮されるのである。その太刀は切り落しざまに突きとなり、融通無碍に変転する。

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京都合気道史

2023年04月15日 | Weblog
                               頂妙寺の合気道京都道場

 京都合気道史

昭和13年  植芝盛平先生は、皇武館道場の内弟子の塩田剛三や和久田三郎を伴い、鞍馬山で21間日の修行をする。

昭和22年  植芝盛平先生上京。京都御所の皇宮警察道場「済寧館」で演武及び京都西会(西式健康法)の合気道講習会が催される。

昭和23年  西陣の松田操宅に12畳の道場が創設され、大本青年部が植芝盛平先生を迎えて稽古が始まる。昭和25年に合気会京都出張所となる。

昭和24年  壬生の小沢恒憲宅(武徳会合気道教士)に「皇武會合氣道」の看板を掲げて稽古が行われ、植芝盛平先生、井上方軒先生が訪れる。1年後、二条城傍の坂本善造宅に移る。

同年11月  植芝盛平先生は、京都御所の済寧館道場にて合気道の講演及び演武を行い、京都西会の講習会が催される。植芝先生は、岩間の内弟子の斉藤守弘、 本部道場役員の瀬古静市氏を伴い、寺町夷川の樋口哲雄宅(現在の合気道武産道 場)に滞在する。京都西会では、鴨川の対岸に頼山陽の「山紫水明處」を眺める丸太町橋東詰のビルを道場に稽古が始まる。

昭和25年1月  植芝盛平先生上京。京都警察学校、京都西会で合気道講習会を催す。

同年4月  植芝盛平先生上京。近畿柔道連盟で合気道演武及び講習会を催す。

同年5月  植芝盛平先生は、京都西会の稽古指導を京都御所の済寧館道場で昼夜、3日間行う。京阪神の西会により、近畿合気会が設立される。

同年8月  植芝盛平先生上京。京都市警察、近畿柔道連盟、合気会京都出張所 で合気道の指導を行う。

昭和26年1月  植芝盛平先生上京。京都警察警邏本部(於、旧武徳殿)及び京 都市各署に於いて合気道の演武及び講習会、近畿柔道連盟で指導を行う。

昭和34年12月  田中万川師範が、京都御所西の中立売警察署で合気道の指導を 始める。昭和36年、紫野の中心体育館に移る。

昭和36年  京都大学に合気道同好会が発足する。11月、部昇格。初代主将、堀井修身。師範田中万川。

同年11月  同志社大学合気道同好会が発足する。昭和41年、部昇格。初代主将、松田〇〇。師範田中万川。

昭和37年3月  二条大橋東の頂妙寺に合気道京都道場(師範田中万川)が開設される。80畳の広さは旧本部道場と同じ広さだった。

同年4月  立命館大学合気道同好会が発足する。9月、部昇格。初代主将、勢嶋正信。師範田中万川。

昭和39年6月  第1回京都合気道演武大会(於、円山音楽堂)を開催する。合気会京都道場主催。

同年6月  龍谷大学合気道同好会が発足する。昭和42年、部昇格。初代主将、 佐藤和夫。師範田中万川。

昭和40年4月  京都女子大学に合気道同好会が発足する。昭和46年、部昇格。 初代主将、武田正子。師範田中万川。

同年  京都産業大学合気道部発足する。師範須藤百治。

昭和41年11月  第6回全国学生合気道演武大会(於、京都府立勤労会館)開催。当時83歳の植芝盛平先生は学生合気道のため演武、遺憾なく合気の神髄を披露される。京都における植芝盛平先生の最後の英姿であった。そして、3年後の昭和44年4月26日昇神。享年86歳。

昭和45年9月  下鴨の日本正武館に合気道部開設される。広瀬二郎、小山照雄指導。師範田中万川。

昭和47年  山科の竹内スポーツ塾に合気道場開設される。富田誠治指導。師範 田中万川。

昭和48年3月  頂妙寺の合気道京都道場が閉鎖される。京都における合気道の 一時代を築いた合気道京都道場は12年余りの歴史に幕を下ろし、道場は取り壊された。

同年4月  国鉄京都駅に合気道公安道場が開設される。指導は樋口隆成、河原幸男のち野村和夫。師範田中万川。

昭和63年12月21日  田中万川師範昇神。京都の合気道の礎を築かれた田中師範 は合気道一途に76年の生涯を全うされた。

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