★右大臣藤原良相邸遺跡発掘調査現地説明会 12月10日
佛教大学と京都市埋蔵文化財研究所は12月8日、JR二条駅の佛教大学二条西キャンパス建設予定地(京都市中京区西ノ京星池町)の発掘現場で「三条院釣殿高坏(つりどのたかつき)」と墨書された土器(写真)が見つかり、「百花亭」と称された平安前期の右大臣・藤原良相(ふじわらのよしみ)の邸宅「西三条第」跡と確定できたと発表した。5月に同じ現場で百花亭とみられる遺構が見つかっていたが、位置については諸説あり市埋文研によると墨書の発見が決め手になったという。
鎌倉時代の「拾芥抄(しゅうがいしょう)」によると、発掘区域は平安時代の右大臣藤原良相の邸宅「西三条」に該当する。また「三代実録」によると、貞観八年(866)年に清和天皇(850-881)が藤原良相邸を花見で訪れ、集まった文人が「賦百花亭詩」と詩を作り宴をあげている。
発掘で9世紀の池跡(南北約24メートル。東西18メートル)や池に面した建物・溝が見つかり、池底から墨書土器が出土した。検出した建物は、六町の中心付近に位置することや西側に池が広がっていることから、池を望む施設として宴会や儀式などで利用されたことが想定される。百花亭は良相の姉で皇太后の順子(のぶこ)が一時滞在した記録があり、墨書には皇族の滞在場所を示す「院」の文字を使用したと見られる。百花亭は史料によって位置がまちまちだが、市埋文研はこの場所だったことを示す決定的な遺物としている。ほかに、高級な輸入陶磁器や墨書土器、水晶、櫛、碁石などが多数出土した。 (京都市埋蔵文化財研究所「現地説明会資料」参照)
佛教大学1階ロビーには出土した遺物が机の上に並べられ間近に見ることができた。ガラス越しではなく、直接手に取ることはできないものの発掘調査担当者の説明をうけながらの観察は考古学ファンにとってこの上ない喜びである。
佛教大学と京都市埋蔵文化財研究所は12月8日、JR二条駅の佛教大学二条西キャンパス建設予定地(京都市中京区西ノ京星池町)の発掘現場で「三条院釣殿高坏(つりどのたかつき)」と墨書された土器(写真)が見つかり、「百花亭」と称された平安前期の右大臣・藤原良相(ふじわらのよしみ)の邸宅「西三条第」跡と確定できたと発表した。5月に同じ現場で百花亭とみられる遺構が見つかっていたが、位置については諸説あり市埋文研によると墨書の発見が決め手になったという。
鎌倉時代の「拾芥抄(しゅうがいしょう)」によると、発掘区域は平安時代の右大臣藤原良相の邸宅「西三条」に該当する。また「三代実録」によると、貞観八年(866)年に清和天皇(850-881)が藤原良相邸を花見で訪れ、集まった文人が「賦百花亭詩」と詩を作り宴をあげている。
発掘で9世紀の池跡(南北約24メートル。東西18メートル)や池に面した建物・溝が見つかり、池底から墨書土器が出土した。検出した建物は、六町の中心付近に位置することや西側に池が広がっていることから、池を望む施設として宴会や儀式などで利用されたことが想定される。百花亭は良相の姉で皇太后の順子(のぶこ)が一時滞在した記録があり、墨書には皇族の滞在場所を示す「院」の文字を使用したと見られる。百花亭は史料によって位置がまちまちだが、市埋文研はこの場所だったことを示す決定的な遺物としている。ほかに、高級な輸入陶磁器や墨書土器、水晶、櫛、碁石などが多数出土した。 (京都市埋蔵文化財研究所「現地説明会資料」参照)
佛教大学1階ロビーには出土した遺物が机の上に並べられ間近に見ることができた。ガラス越しではなく、直接手に取ることはできないものの発掘調査担当者の説明をうけながらの観察は考古学ファンにとってこの上ない喜びである。