
薰風句碑
武道と俳句 壱 秋水百句
睦月十句
恵方より四方を祓ふ禊太刀
羽目板に睦月の気合入りにけり
鎮魂や睦月の手桶凍てをり
蒲団撥ね鞍馬の山に詣でけり
正月や火入れの窯に神のこゑ
正月や後に刀架前に酒
風花や山に分入る剣と杖
風花におこぼこぽこぽ巽橋
初の字は手帳にいくつ福寿草
繋ぐ手に花いちもんめ春を待つ
[略歴]
小男鹿俳句会(鈴鹿野風呂)会員。丸山海道に師事する。
[句碑説明版]
薰風句碑
風薫る左文右武の學舎跡 野風呂
鈴鹿登(野風呂)は大正9年に文科教授として武道専門学校に赴任し
大東亜戦争の終結後 昭和22年廃校時に最後の校長として武専を
収めた ホトトギス同人の俳人で 京鹿子誌をも主宰していた
生涯を通じて三十萬余句をものしたという
武専で授業の傍「小男鹿俳句会」を起して指導していたが 廃校と
共に中絶した 昭和34年に至り句会は再興し 又その指導をする
こととなった
昭和38年 野風呂の喜壽を祝して句碑建設を計画し翌49年3月
洛北高雄より碑石を得て旧母校の正門脇に据えた
左文右武句碑ともいう
昭和46年没 八十五歲
大日本武徳會 武道專門學校
小男鹿俳句會
武道と俳句 壱 秋水百句
睦月十句
恵方より四方を祓ふ禊太刀
羽目板に睦月の気合入りにけり
鎮魂や睦月の手桶凍てをり
蒲団撥ね鞍馬の山に詣でけり
正月や火入れの窯に神のこゑ
正月や後に刀架前に酒
風花や山に分入る剣と杖
風花におこぼこぽこぽ巽橋
初の字は手帳にいくつ福寿草
繋ぐ手に花いちもんめ春を待つ
[略歴]
小男鹿俳句会(鈴鹿野風呂)会員。丸山海道に師事する。
[句碑説明版]
薰風句碑
風薫る左文右武の學舎跡 野風呂
鈴鹿登(野風呂)は大正9年に文科教授として武道専門学校に赴任し
大東亜戦争の終結後 昭和22年廃校時に最後の校長として武専を
収めた ホトトギス同人の俳人で 京鹿子誌をも主宰していた
生涯を通じて三十萬余句をものしたという
武専で授業の傍「小男鹿俳句会」を起して指導していたが 廃校と
共に中絶した 昭和34年に至り句会は再興し 又その指導をする
こととなった
昭和38年 野風呂の喜壽を祝して句碑建設を計画し翌49年3月
洛北高雄より碑石を得て旧母校の正門脇に据えた
左文右武句碑ともいう
昭和46年没 八十五歲
大日本武徳會 武道專門學校
小男鹿俳句會