きょうは12月21日。田中万川師範が亡くなられて22年になる。昭和63年12月21日没。享年76年歳。
田中万川師範について ー Wikipedia 『田中万川』 参照
田中 万川(たなか ばんせん、1912年 - 1988年)は、日本の武道(合気道)家。大阪府出身。本名は、田中伊三郎。合気道八段。合気道開祖・植芝盛平の戦前の弟子の一人。「万川」の名を植芝盛平より戴く。
略歴
1932年(昭和7年):近衛騎兵連隊に入隊。
1936年(昭和11年):合気道開祖・植芝盛平と出会う。植芝盛平の神技に驚嘆した田中は即座に入門、翌月には合気道場を大阪府吹田市内に設立して教えを乞う。
1951年(昭和26年):植芝盛平と再会を果たし、岩間合気修練道場にて修行。同年、高浜神社前に新道場完成。
1952年(昭和27年):財団法人合気会大阪支部道場となる。植芝盛平は約1年間、大阪支部に滞在し道の奥呈を田中万川に伝授したという。
1971年(昭和46年):財団法人大阪合気会の認可を受ける。
写真:田中万川師範
田中万川師範について ー Wikipedia 『田中万川』 参照
田中 万川(たなか ばんせん、1912年 - 1988年)は、日本の武道(合気道)家。大阪府出身。本名は、田中伊三郎。合気道八段。合気道開祖・植芝盛平の戦前の弟子の一人。「万川」の名を植芝盛平より戴く。
略歴
1932年(昭和7年):近衛騎兵連隊に入隊。
1936年(昭和11年):合気道開祖・植芝盛平と出会う。植芝盛平の神技に驚嘆した田中は即座に入門、翌月には合気道場を大阪府吹田市内に設立して教えを乞う。
1951年(昭和26年):植芝盛平と再会を果たし、岩間合気修練道場にて修行。同年、高浜神社前に新道場完成。
1952年(昭和27年):財団法人合気会大阪支部道場となる。植芝盛平は約1年間、大阪支部に滞在し道の奥呈を田中万川に伝授したという。
1971年(昭和46年):財団法人大阪合気会の認可を受ける。
写真:田中万川師範
★合気道開祖植芝盛平生誕127年
いまから127年前の明治16年12月14日、植芝盛平は和歌山県西牟婁郡西ノ谷村四四一(現・和歌山県田辺市元町)に植芝与六の第四子、長男として生まれた。
生家は二町歩(約200㌃)ほどの土地を有する中農で、父与六は約20年間、村会議員をつとめる。母ゆきは土地代々の由緒ある糸川家の出である。
写真:植芝盛平翁76歳/紫綬褒章受賞時真影 昭和35年11月
いまから127年前の明治16年12月14日、植芝盛平は和歌山県西牟婁郡西ノ谷村四四一(現・和歌山県田辺市元町)に植芝与六の第四子、長男として生まれた。
生家は二町歩(約200㌃)ほどの土地を有する中農で、父与六は約20年間、村会議員をつとめる。母ゆきは土地代々の由緒ある糸川家の出である。
写真:植芝盛平翁76歳/紫綬褒章受賞時真影 昭和35年11月
植芝盛平翁 伝書
五十五、 両手
受 両手で相手の両手をとる
仕 相手と同じ側の足が出ている時は後足大きく後へ引いて廻る
相手と反対側の足が出ている時は後足一歩進めて廻る
四方投げ
足は前と同じで相手と同じ側の足が出ている場合は右手で相手の右手を掴んで振りかぶる
相手と反対側の足が出ている場合も同様右手で相手の右手を掴んで振りかぶりながら後へ廻り切り下ろす
五十五、 両手
受 両手で相手の両手をとる
仕 相手と同じ側の足が出ている時は後足大きく後へ引いて廻る
相手と反対側の足が出ている時は後足一歩進めて廻る
四方投げ
足は前と同じで相手と同じ側の足が出ている場合は右手で相手の右手を掴んで振りかぶる
相手と反対側の足が出ている場合も同様右手で相手の右手を掴んで振りかぶりながら後へ廻り切り下ろす
植芝盛平翁 伝書
五十四、 手(片手)
受 左手で相手の右手頸を掴み打ち出す
仕 左で相手の面打ちながらくぐり左で肘掴んで投げる
くぐった後右足相手の後へ踏み込んで右肘で相手の
脇腹打ちながら打ち倒す
五十四、 手(片手)
受 左手で相手の右手頸を掴み打ち出す
仕 左で相手の面打ちながらくぐり左で肘掴んで投げる
くぐった後右足相手の後へ踏み込んで右肘で相手の
脇腹打ちながら打ち倒す