「気」は「氣」の略字である。「氣」は米を炊くときに蓋の間からもれてくる湯気を意味するが、これが「气」となった。「氣」の以前には、火を神聖なものとして「气」に「火」の字が用いられていたが、米を大切にする時代に変るにしたがって「气」に「米」の字が一般に広まったと考えられる。
気持ち、気力、気抜け、天気・・・・・など、日本語には気に関する言葉が実に多い。「恥」や「甘え」と並んで、気は日本人の生き方と密接不可分の重要概念である。「いき」「け」「き」といった日本的起源をもつものと、中国に起源をもつものとがからみ合って、しだいに「気」を意識するようになったと考えてよいと思う。
天保時代にまとめられた清原道旧(きよはら どうきゅう)の『言霊音義解(ことだまおんぎかい)』によると、中国から文字が導入される以前から、日本には独自の言葉があり、それは「単音一意」であり、ひとつの声にひとつの心があるとする。
「あ」行の五音は感動の義として、驚きの叫び、笑い声などがこの行に含まれている。
「あ」は、古事記の阿那邇夜志(あなにやし)、阿那尊、穴賢(あなかしこ)、「あやにかしこし」などの「あ」で、天(あめ)の「あ」、主(あるじ)の「あ」もこれだとする。
「い」は発言で、日本書紀にみえる伊縁立之(いよりたたし)の「伊」、万葉集の奈良能山乃山際伊隠万代(いかくるるまで)の「伊」のように発する意があり、鈴川を「いすずがわ」と読むのもこれである。「い」は射る、鋳るでもあり、弓を射るは弓発(ゆみいる)とも書かれ、金盥(かなだらい)を鋳るとは鎋(いがた)に金湯を放つ意味である。
「う」は、次の「え」とともに得の意味がある喜悦あらわす。売るは利を得るであり、受く、浮く、移る、写すもみな得るという意味がある。
「え」は、愛袁登袁古(えおとこを)のように喜悦をあらわし、日本書紀では「可愛」の二文字で「え」と読ませている。吉(よき)はエキで、吉野はかつて延斯野(えしの)といった。吉も喜悦を意味する。
「お」は、上をむいて「おお」と叫ぶ感じで、秀越を意味する。古事記や万葉集では、於夜(おや)ー親、於暮(おも)ー母、於地(おじ)ー祖父、於波(おば)ー祖母、あるいは於保太加良(おほだから)ー人民などと書かれており、王も大もみな秀越を表わしているとする。 (赤塚行雄「気の構造」講談社現代新書)
写真:古事記原本