花園大学合気道部のOBからメールが届いた。
「壬申の乱の時、天武天皇は小山に登り伊勢神宮の方に向かって戦勝祈願」の山は、実は実家の裏山で斎宮山(いつきやま)、または糠塚山(ぬかづかやま)とも)といわれています。実家の集落は鵤町(いかるが)といいまして昔は斎宮の社領地だったらしいです。その後、平安時代は法隆寺の寺領だったらしいです。斑鳩=鵤と理解してよいみたいです。お伊勢さんとも係わりが深くうちの集落には荒木の性が多いのも特徴です。荒木は荒木田の末裔という説が有力です。氏神のある伊我留我神社(いかるが神社)も興味深い話のある神社です。
いよいよ伊勢神宮特別参拝の日が近づいてきた。現地で合流する彼と会うのも楽しみである。更に詳しく土地に伝承する話などを聞かせてくれるかも知れない。
開祖植芝盛平翁を研究するのに記・紀は欠かせないと思う。
写真:天照大神の荒魂を祀る荒祭宮
「壬申の乱の時、天武天皇は小山に登り伊勢神宮の方に向かって戦勝祈願」の山は、実は実家の裏山で斎宮山(いつきやま)、または糠塚山(ぬかづかやま)とも)といわれています。実家の集落は鵤町(いかるが)といいまして昔は斎宮の社領地だったらしいです。その後、平安時代は法隆寺の寺領だったらしいです。斑鳩=鵤と理解してよいみたいです。お伊勢さんとも係わりが深くうちの集落には荒木の性が多いのも特徴です。荒木は荒木田の末裔という説が有力です。氏神のある伊我留我神社(いかるが神社)も興味深い話のある神社です。
いよいよ伊勢神宮特別参拝の日が近づいてきた。現地で合流する彼と会うのも楽しみである。更に詳しく土地に伝承する話などを聞かせてくれるかも知れない。
開祖植芝盛平翁を研究するのに記・紀は欠かせないと思う。
写真:天照大神の荒魂を祀る荒祭宮