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武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

松本清張の伊勢神宮(2)

2009年04月30日 | Weblog
 花園大学合気道部のOBからメールが届いた。

 「壬申の乱の時、天武天皇は小山に登り伊勢神宮の方に向かって戦勝祈願」の山は、実は実家の裏山で斎宮山(いつきやま)、または糠塚山(ぬかづかやま)とも)といわれています。実家の集落は鵤町(いかるが)といいまして昔は斎宮の社領地だったらしいです。その後、平安時代は法隆寺の寺領だったらしいです。斑鳩=鵤と理解してよいみたいです。お伊勢さんとも係わりが深くうちの集落には荒木の性が多いのも特徴です。荒木は荒木田の末裔という説が有力です。氏神のある伊我留我神社(いかるが神社)も興味深い話のある神社です。

 いよいよ伊勢神宮特別参拝の日が近づいてきた。現地で合流する彼と会うのも楽しみである。更に詳しく土地に伝承する話などを聞かせてくれるかも知れない。
 開祖植芝盛平翁を研究するのに記・紀は欠かせないと思う。

写真:天照大神の荒魂を祀る荒祭宮

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松本清張の伊勢神宮

2009年04月28日 | Weblog
 伊勢神宮の起源

 伊勢神宮も、学者によっては農耕神というけれども、もともとはそこの地方神だったところに、崇神天皇のころにアマテラスを移し、お宮を建てた、それが「磯宮(いそのみや)」だと記・紀にはあります。そしてその地方は度会(わたらい)氏の勢力範囲であって、度会とはさまざまな船が港に集まるという意味だとありますから、要するに漁撈民族の根拠地であったらしい。港湾としても絶好な場所です。だいたい度会というワタも海のことで、これが渡り合うという日本語の動詞化となり、さらに度会と名詞化されたものと考えられる。現在の志摩半島の潜水海人もたぶんその名残りでしょう。磯宮という名でもわかるように、漁撈種族の共同祖神だったものが、しまいには皇祖神の伊勢神宮になったわけで、土地神から見ると、庇を貸して母屋を取られた結果と似ています。そのことは現在伊勢神宮に、漁撈生活者に必要な製塩とか、魚類を奉る儀式が残っていることでも推察されます。伊勢湾の島には、伊勢神宮の神殿だけに供える魚を調理するところさえあります。

 伊勢神宮が皇室と関係をもったのは、『日本書紀』によると、壬申の乱で大海人皇子が大津方と戦うため、伊勢から尾張、美濃に行く途中、はるかに伊勢神宮を拝み、戦勝を祈ったことに由来するといわれています。それ以後、あまり注意されなかった磯宮が、天武天皇のときに伊勢神宮という特別な神社になり、皇室関係者から若い女が巫女として出向くという制度になりました。

 そういうわけで、もともとは海の信仰だった磯宮を皇室の祖廟に変え、さらにそこに外宮が加わることによって、海の神様が農耕の神様に変質してくるわけです。度会氏としては庇を貸して母屋を取られた格好ですから、たぶん腹の虫がおさまらなかったのでしょう。自分の祖神を祀るお宮に、登由宇気神(とようけのかみ)というのを丹波から呼んで、これを外つ宮(とつみや)と称した。登由宇気神はさきほども触れたように、どういう素性の神かわかりませんが、とにかく丹波から来たということは、丹波が酒とか米とかに関係のある神が多いので、たぶんは米穀の神だったろうと思われますが、これもあとから作った形跡が多いのです。つまり度会氏は荒木田氏に対抗して外宮を作ったようなもので、それゆえ『古事記』ができる最終段階に、登由宇気神をやっと記載してもらうことに間に合ったところがある。登由宇気神は別に豊食ともいわれ、米の霊神だとされています。そこでアマテラスの御霊に供える植物は、外宮で調進されるしきたりになった。いまでも新嘗祭とか、大嘗祭とかには、まず外宮からお祭がはじまるのです。外宮先祭というしきたりは昔からある。

 荒木田と度会とは仲が悪い。ひいては内宮と外宮の不仲ということにもなります。ですから、内宮が大神宮に昇格すると、外宮も大神宮の称号を中央政府に申請するといったぐあいで、絶えず張り合い、この対立は明治はじめまで続いている。もし『古事記』や『日本書紀』を素直に解釈している古代史学者のいうごとくならば、内宮と外宮の相克はあるはずはなく、また社格が一段下と見られている外宮が、先にお祭をはじめる道理もない。内宮にとっては、外宮がお祭を先にするのは、腹にすえかねたことでしょうが、これだけは度会氏はどうしても譲らないのです。そういうことがわかっていれば、アマテラスが穀霊神などという説は起こらない道理です。伊勢神宮が穀霊神になったのは、おそらく外宮による性格が伊勢神宮全体に印象づけられ、さらには全国の農耕生産地帯の拡大と、それに従事する人々の増加によって穀霊信仰が起こり、それが伊勢神宮に付会されたと思われます。  (松本清張文)

 ことしは松本清張の生誕100年である。

写真:伊勢神宮内宮

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平常是道

2009年04月01日 | Weblog
      春 有 百 花 秋 有 月     夏 有 涼 風 冬 有 雪

      若 無 閑 事 抂 心 頭     便 是 人 間 好 時 節


      春、百花有り、秋、月有り、夏、涼風有り、冬、雪有り
      若し閑事の心頭に抂(かか)ること無くんば、便ち是れ人間の好時節

                                   (史料:無門関)


            歩く姿が武である     植芝盛平


写真:花園大学真人館(武道場)

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