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武産通信

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山岡鉄舟の俳句

2025年03月30日 | Weblog
 山岡鉄舟の俳句

  蝸牛登らば登れ富士の山

  行く先に我が家有りけり蝸牛

  腹張りて苦しき中に明烏

 一瞬が生死を分かつ武道の世界。そして、僅か十七文字に己を托す俳句の世界。武道と俳句の根底に流れるそのこころは。
 武道においては、無心の境地が重要とされ、余計な思考を排し、瞬時に最適な動きをすることが求められる。これは、俳句における刹那の美を捉える感性と通じるものがある。
 また、武道では間合いが勝負を決するといわれる。この間とは、相手との距離だけでなく、動作と動作の間にある静けさや、静中の動のことでもある。一方、俳句でも間は極めて重要である。五七五の限られた音数の中に余韻を残し、読者に想像の余地を与えることが求められるからである。
 武道は日々の稽古を重ねることで洗練され、無駄のない動きへと昇華されていく。俳句もまた、多くの試行錯誤を経てことばを削ぎ落とすことで、より深い表現となる。特に、かな、けり、などの切れ字は、武道の残心のような役割を果たすのである。
 そして、武道は自然と調和することを重んじる。俳句もまた、季語を通して自然との一体感を表現する。自然の情景は、心の動きと直結しているのである。
 武道の根底には、常に死生観がある。武士は、死を意識することで生を充実させるという考えを持っていた。俳句もまた、死を見つめることで生を際立たせるのである。山岡鉄舟の辞世の句「腹張りて苦しき中に明烏」などはその典型である。
 武道と俳句は、日本文化の根底に流れる、道の精神を体現しているのである。
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