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武徳会柔道 対 講道館柔道

2021年08月27日 | Weblog

 武徳会柔道 対 講道館柔道

 柔道に無差別級が無くなって久しいが、無差別級こそ柔道の真骨頂である。

 昭和39年(1964)の東京オリンピック。柔道無差別級で優勝したオランダのアントン・ヘーシンクは武徳会柔道を学んでいる。武徳会とは「大日本武徳会」のことで、戦前の日本で、武道の振興、教育、顕彰を目的として設立された、日本武道を統括する財団法人である。武徳会は、明治28年(1895)に結成、本部は京都市左京区岡崎(現在の京都市武道センター)にあり全国に支部をもつ。当時、講道館柔道もその傘下にあった。

 昭和20年(1945)~昭和27年(1952)、京都を占領したアメリカ軍は、烏丸四条の大建ビル(現在のCOCON烏丸)に司令部を置き、京都駅前のステーションホテルや伏見深草の旧日本陸軍京都第16師団兵舎(聖母女学院本館ほか)、府立植物園、岡崎一帯など、京都の南北の主要拠点となる施設を接収した。岡崎一帯に駐屯した占領軍は、蹴上の都ホテル(ウェスティン都ホテル京都)、京都市美術館、京都市公会堂(京都市美術館別館)、京都市勧業館(みやこめっせ)、岡崎公園グラウンドと、京都市動物園の半分を接収、市民の立ち入りが禁止される。そして、日本武道の聖地であった「武徳殿」も接収されてダンスホールとなり、台湾檜の一枚板が敷き詰められた床面は占領軍の軍靴に踏み躙められた。
 昭和21年(1946)、大日本武徳会武徳会は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により解散させられた。

 道上 伯(みちがみ はく)は、武徳会の教育機関であった大日本武道専門学校の出身で、公式試合において生涯無敗の記録が残る。昭和28年(1953)にフランス柔道連盟の要請を受けて渡仏し、以降ボルドーに定住してフランス政府公認の柔道学校を開設する。指導者としてアントン・ヘーシンクを育てた。アントン・ヘーシンクは、東京オリンピック柔道無差別級の決勝戦で神永昭夫を袈裟固めで抑え込み金メダルを獲得する。ヘーシンクが神永を下した直後、オランダチームの関係者が歓喜のあまり、試合場のヘーシンクに駆け寄ろうとした。しかしヘーシンクはこれを手で制して追い払い、試合場まで上らせなかった。(写真) そして、勝負が決した後、深々と一礼するヘーシンクに対し、神永は足早に畳の上から去った。

 それは、武徳会柔道が講道館柔道を制した勝負であった。そして、そこには最前列で外国人関係者に交じって、ひとり静かに試合を見つめる老人の姿があった。

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