高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

打ち上げ!

2007年12月06日 11時37分34秒 | 海外事業展開グループ

昨日はイタリア・ミラノの展示会の事を県知事に報告。県庁の応接室でメンバー4人と浜名、奈須の合計6人、回りには県職員や新聞記者、テレビ局2局と結構な人数である。知事はざっくばらんな人なので、普段どおりの報告を代表で大橋君がしてくれた。大分県にとっても、竹細工は県を代表する工芸品であるし、これからも発展できるよう県の方からもサポートを続けて頂きたい旨、申し込んだ。

夜になって、ミラノ行きのメンバー全員で打ち上げである。「よく、ほんとに此処まで来れたよね?」と言うのが素直な気持ちである。大仕事を成し遂げた安堵感と、みんなで積み上げて来た共通体験からくる仲間意識がある。今回のミラノ展示会が大成功に終えることが出来た要因として、自分なりに考えてみると

1.自分たちが主体者として出来た事。 見本市や日本を広める催事などでジェトロブースなどに乗っかって展示会をすることも出来たが、会場選びから、飾りつけ、広告、ポスターなど自分たちの身の丈にあった。自分たちの展示会が出来たということ。受身で参加しているのと、自分たちで作り上げていると感じれるのとでは、全然違った物であったろう。

2.メンバー4人が作品的に人間的に信頼できたこと。 これも4人で積み上げて来た楽しさがあった。この中に一人でも、まがい物や人間的に信頼できない者が混じっていると、今回のような展示会には出来なかった。4人とも、小さいと言えども 作者であり、経営者である。4人が作風もキャラクターも被ることなく、お互いが尊重しあえた事が大きい。

3.現地、ミラノにアテンダーがいた事。私達だけでは現地の細かい情報や事前調査、または事前の広報活動、人脈などを広げることは出来なかった。特に、見本市などに乗っかるのでなく、自前で展示会を開こうとした時は現地にアテンダーがいるか?いないか?で成否は決まるであろう。

4.竹工芸訓練支援センターとジェトロのサポート無くては、此処まで来ることはできなかった。最初に「自分たちの手で!」と書いたのだが、主体者は我々であっても、サポートが実に大切であった。浜名さん、奈須さんの細かい所までのフォローが無ければ途中で空中分解していたことは明白である。

20071205213023 そんな事を思いながら、みんなで打ち上げ。同じ体験をしてきた者通しの共有感。ビールをワインを焼酎を飲みながら、時間の経つのも忘れて楽しんだ。ミラノ行きメンバーの他に一人、県職員の「K谷」さんが参加、彼は浜名さんの前任者でこの「海外事業展開グループ」の立ち上がりに関わった人だ。人を焚きつけるだけ焚き付けて、本人は転勤で移動。しかし、今日もミラノに行ったメンバーよりミラノの事を知っているような話し振りであった。「みんな、こいつの話にその気にされられるんだ!」と全員で納得。人を知らない間に引きずり込んで行く話術の持ち主である。

竹工房オンセ

コメント (2)
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