瀬崎祐の本棚

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詩集「目」 井上正行 (2024/06) アオサギ

2024-06-12 12:13:11 | 詩集
第2詩集。85頁に22編を載せる。
高島鯉水子の装丁によるカバーには、黒地にいくつもの同心円と大小の点が描かれ、同心円の中心に「目」という文字が置かれている。宇宙の星々とその運行、それを見つめている“目”を思わせる。

巻頭に「目玉」と題した、この詩集のコンセプトを詰め込んだような作品が置かれている。「挿絵のように私の人生に差し込まれた/大きな目玉」があったのだ。オディオン・ルドンの画集に出てくるような目玉は、常に話者を凝視している。この監視されているという意識は、同時に己を囲む世界を見つめつづけることであるのだろう。

   いつのまにかポケットの中で
   巨大な牛の目がティッシュにつつまれていた
   まだ暖かい眼差しが私の手のひらを凝視している

   みかんの薄皮をとるように
   少しずつティッシュを剥いているのに
   いつまで経っても目にたどりつかない

世界を見ようとしている視線は結局は自分を見つめようとしていることに他ならない。最終連は「とても珍しいことなので/私は私に喪中葉書を書きはじめた」。

このように、”目”は話者を見つめているものであり、同時に話者の周りの世界を見つめるものでもある。見ることによって不安定な自分の立ち位置を捜そうとしているわけだが、それは同時に、どの世界に属することもできる自由さにも通じている。

「かたつむり」という作品には”かたつむり”は直接描かれてはいない。ただゆっくりと進んでいく話者の視線が描かれている。何か確かなものを見つけたいという希求があり、最終連は美しいイメージとなっていく。

   すべらないように
   とおくの銀河の砂浜へ
   海は水を忘れて
   地球のリュックがゆらゆらと
   みずみずしいわだちを
   残して
   喉の渇きとともに
   私は流れていく

さまざまな作品の背後には悩み抜くような辛い事柄もあるわけだ。しかし、そんな場合でも若さ故の奔放さが言葉の勢いとなって表出されている。どこにでも向かえる可能性のある奔放さで書き続けて欲しい。
コメント
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