瀬崎祐の本棚

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詩集「ストーマの朝」 河野俊一 (2024/06) 土曜美術社出版販売

2024-06-25 18:05:57 | 詩集
第8詩集。109頁に28編を収める。

前詩集「ロンサーフの夜」は26歳で癌のために早世された娘さんを詩っていた。
今回の詩集について作者は「この詩集を作らなければ前に進めない、という一冊」であったという意のことをあとがきで述べている。三部構成で、亡くなるまでの日々、亡き娘への悲しみ、亡くなった娘との交感、となっている。

「新しい礼服」。父から譲り受けた作者の礼服はだいぶくたびれていて、それを気にした”おまえ”は息を引き取る2週間前に紳士服店へいったとのこと。それは六月のことで、「季節はどんどん生気をみなぎらせ/おまえは/どんどん衰えていく」ばかりだったのだ。

   私が次にそれを着るのは
   自分の葬儀だと知っていて
   選ぶ
   いたいけなひとときが
   みちあふれて震えながら
   店の外までながれだしていたことだろう

あとがきには「私たち周囲のものは、延命治療に切り替わって以降、娘から生き方を教えてもらう立場に変わっていました」とあったが、それはどれほどに辛く、また大切な日々であったことだろうかと思う。

「ストーマの朝」(ストーマとは人工肛門のこと)では、冒頭に戦火に見舞われたガザのシファ病院のことを詩っている。病院は戦火から逃れられる場所ではなかったのだ。そして、大手術を終えた娘さんが急変したその夜のことになる。腸管切除後の吻合部の癒合不全が起こり、夜を徹しての緊急手術によってストーマが造設されたのだ。戦火とは無縁の病院で娘さんの手術がおこなわれた一夜だったのだが、それだけに研ぎ済まされた感情があったのだろう。最終部分は、

   生きている 生きる 生かされる
   手術を受けられた朝は
   安らかにやってきた
   ストーマを
   娘の体に馴染ませながら

最後に「追熟」という作品が置かれている。夢の中に小学生の君があらわれ、すぐに高校生になり、大学生になっていく。死は折り返し点であり、

   折り返し点までの思い出と
   折り返し点からは
   すれちがいながら走る
   与えられた時間を
   生きるものとして

”君”の思い出がこれからも作者の中で静かに熟れていく、それを感じながらの生があるのだろう。
コメント (2)
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