ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

通常へ…

2022-01-07 13:52:25 | つぶやき
いよいよ第6波がそこまでやってきた。

既定路線とはいえ実際に急加速している感染者数に予測も高確率になってきたなと。昨日4000人超ということで、今日はどれだけの人が陽性者となるのだろう。数のインパクトは大きいが、大事なのは罹った人がどうなっているのかの方が重要だ。治療薬もできたし、軽症者が多ければ季節性の感染症として気を付ければいいだけ。もうやれることなどないと思う。またまん防やって次に緊急事態宣言と、昨年と同じことをやるのだろうか…。ある程度増えたら、また再び減っていくのに…。

正月気分も終わり、通常に戻りつつある。今日は年末調整と従業員さんの休業支援金の申請、耳鼻科と歯医者と銀行にも行き力尽きた。毎年出遅れるので、今年こそは慌てずに済むように、年末から中国仕入れに段取りをつけて早めにやっている。中国は来月頭から旧正月で長期休みに入るので、遅くとも20日までには発送にこぎ着けたい。

円安に原油高、カーゴ代も値上がりしつつある。今のところ中国発送はさほど変化はないが、国内仕入れで雑貨屋を営む知人が、卸業者からコンテナ代が3~6倍に値上がりしたので、商品価格に転嫁しないといけないと言われたたと教えてくれた。アジアからのコンテナ便は、儲かる北米などの長距離輸送が優先され、アジア内への輸送は遅れる一方なんだとか…。さらにアジアの国々の物価が上昇していく中、円安傾向に原油高と輸入業者にとっての痛手は大きい。国内景気も回復が大きく遅れているところに、安易に値上もし難い。

日本はコロナの収束後も、景気の回復は一筋縄ではいかないのではないかと思える。

1月は今日の七草、週末の3連休、そして大寒を過ぎればあっという間に2月だ。そろそろ確定申告の準備をしないといけない…。

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小笠原諸島 父島編(3)

2022-01-06 19:40:42 | 旅行(国内)
滞在二日目はレンタカー(ボロボロの軽)を借りて島をぐるっとひと回り。

ところどころに車を停めて、そこから小規模な山歩きを繰り返す。父島は山がちで平地が港のある大村以外はほとんどない。大村を離れると、ほとんどが山道となり、そこから海へ出ようとすれば山を歩いて下ることになる。これが小笠原の小規模トレッキングだ。行きは下りだから良いが帰りはひたすら上ることになり、往復すると1時間半から2時間かかる。道は急こう配で結構キツイ。けれど海へ降りると、そこはまさにプライベートビーチで秘境感満載だ。これを3か所に渡って歩いて、1日が終わった。

最後の日だけは、水と食料を持参して、往復20キロ弱の本格的トレッキングへ出発。途中の景観がなにせ素晴らしい。道中、熱帯雨林のジャングルあり断崖絶壁あり、草原に丘、そして山あり谷あり、おまけに川も超えるなど、それはそれはバラエティーに富んでおり、歩く人をまったく飽きさせない。まさに小笠原の大自然を満喫できるルートだった。大の知床好きの妻が、自然の中を歩くということでいえば、断然、小笠原に軍配が上がると言っていた。

元々、小笠原を提案したのは私の方だが、想像以上に異文化の香りがゼロだったこともあり、ましてや自然より街歩きを好む私にとって、小笠原はややがっかりなところであった。あらためて、やっぱり自然志向の人が来る場所だなと実感。

ついでに小笠原への移住についてちょうど30年前に移住してきた、今回世話になった、大変親切な宿のおじさんにいろいろ聞いてみた。現在、小笠原は若い人の移住先として大人気らしい。とくに自然志向の方で、このアクセスの不便さも含めて気に入った方が多いという。聞けば、50歳以下の人のほとんどが本土からの移住者なんだとか。家族連れも多く、そのため幼稚園や保育園がまったく足りなくなってしまっているらしい。半面、島の若い人は本土へ向かい、完全に逆転現象にあるという。

移住に当たっては、仕事の問題もあるが、一番は住宅確保の問題が一番大きな壁になっているとか。元々、宅地が少ない上に土地の売買がほどんどない土地柄ゆえ、何が事業や商売をしようと思っても、それに適した土地や住宅の確保が出来きず、結局、諦めてしまう方も多いらしい。賃貸アパートの一室くらいはなんとかなりそうだが、それ以上が難しいということなんだと思う。

私も本格的老後を迎えるにあたり、いつの日か外国へ行く体力と気力もなくなり、ありとあらゆる病気の延命治療を拒否する覚悟がもしも出来れば、ここに移住してもいいかなと思った。それほどまでに冬の気候が良かった。もっとも夏を知らないけれど…。

そして空港問題。
島の老人らは、なんとか空港を…というのが本音らしい。島には満足な病院がなく、利便性が良くなれば、本土の病院へのアクセスが容易になる。要するに健康不安からだ。しかし若い人、特に本土からの移住者は大反対。自然破壊という側面と航空路で結ばれれば大量にお客さんがやってくる。それはありがたいと思う反面、必ず大手企業やってきて大開発を行うだろうと想定している。ほぼ個人商店規模で運営されている現状がすべて壊滅させられてしまうという危惧があるからだという。たしかに民宿とゲストハウスレベルの宿しかなく、ホテルと呼べる宿泊施設は皆無だ。島内のツアーを扱う旅行会社もすべて個人経営レベル。大手企業がやってきたらひとたまりもないだろうと思う。

宿のおじさん曰く、空港は出来ても20年後くらいの話で、当分は現状維持だろうと言っていた。

そういえば、小笠原諸島には父島から50キロ南に母島がある。こちらにも人は住んでいて小ぶりな村がある。さらに田舎というか秘境感を味わいたい人にはこちらへ向かうという。船は1日おきだったか、ははじま丸という船が父島から就航している。

母島…。
多分、行くことはないだろうな。

終わり…。

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小笠原諸島 父島編(2)

2022-01-05 19:48:08 | 旅行(国内)
船が発着する二見港は、父島の中心地、大村に隣接している。

船を降りると、そこがすでに村の中心地。村は思った以上に小ぶりだった。メインストリートと裏通りに食堂やスーパー、土産物屋と旅行会社が何軒かあるだけ。そして少し外れに役場とビジターセンターと観光局と郵便局、銀行は港にATMがあるだけでまったく見かけなかった。コンビニや本土にあるチェーン店の類もひとつもない、農協系のスーパー以外はすべてが個人商店だ。時流の電子マネーの普及もほぼないと思われる。スーパーを除くと、当然ながら離島価格。本土の2倍から3倍はする。普通のイチゴが1パック1200円、菓子パンなども、ひとつ300円前後が普通だ。

ここで暮らしていくのは、結構、大変そうだ。

ビジターセンターへ行くと小笠原の歴史についてわかりやすい展示がされている。終戦後、日本人は全員、島外へ移住させられ、先住民の欧米系の人とアメリカからの移住者と米軍関係者だけが島に住むことを許された。昭和43年に日本に返還されるまで、およそ23年間、アメリカ統治となった。沖縄と似て非なるのは、まさにこの間、日本人は誰も住めなかったところにある。アメリカ統治時代の小笠原を知る機会などなかなか無く、アメリカ時代の展示がとても興味深かった。写真もいくつも掲載されていて、まるでアメリカの田舎町のような風景だった。ただ残念なのが、この時代の建造物がほどんど残っておらず、今の小笠原にアメリカ時代を感じるさせるものは皆無に近い。唯一、村外れにかつての欧米系の人が暮らした青色の木造民家が、一軒だけ朽ち果てて残っていたのと、アメリカ統治時代の小学校の国旗掲揚代が一本残っていて、その台座の部分にアルファベッドで学校名が書かれているだけだった。

けれど、欧米系の住民の子孫が今でも残っていて、その6代目くらいの世代の人々を村では時々見かけた。混血が進んでいるようだが、こんな小さな村で、結して少なくない数の欧米系の人々が日本人として暮らしていることが、他の島とは異なる小笠原の一番の特徴かもしれない。

大村をふらふらした後、歩いて30分ほどのところにある海洋センターに行った。ここでは娘が熱望するウミガメ教室に参加した。海洋センターでは巨大なウミガメから子ガメまで200匹以上のウミガメを飼育している。2時間ほどのうち、40分ほどがモニターを使ったレクチャーで、後の1時間20分でウミガメの甲羅を洗う作業とエサやりを体験できる。甲羅をキレイする作業は、結構スポンジでゴシゴシ洗う力仕事だった。エサやりは海洋生物にまったく興味のない私でも結構楽しめた。

小笠原と言えば、ダイビングとシュノーケリング、またクジラを見るとかイルカと一緒に泳ぐとか、主にマリンスポーツのイメージが強いが、意外と陸の自然を満喫するトレッキング目的の人も多い。特に正月前後は海に入るのは微妙に寒いので、この時期は陸目当ての人もそこそこいる。私たちも滞在時間のほぼすべてをトレッキングに費やした。ツアーに参加する人も多いが、予算の関係上、私たちは自力で行くことにした。結局、ツアーに参加したのは、娘の希望する小笠原オオコウモリと星空を見る2時間のナイトツアーだけ。

何の期待もしていなかったナイトツアーだが、満点の星空には驚きだった。こんなにきれいな星空を見たのは、記憶の限りではニュージーランド以来かも。見上げるとまさにプラネタリウム状態、星には何の関心もない私でも感動する。星空がパーフェクトだったせいか、反面、いつもは見れるはずの肝心の小笠原オオコウモリは見れなかった。けれどなんのことはない、翌日の夕方、私たちの宿の上空を、多くの小笠原オオコウモリが普通に飛んでいた。こんなに普通に見れるなら、ツアーのメインのひとつに使うな!と言いたくもなったが、まぁ、満点の星空でチャラにということで…。

ナイトツアーのガイドさんが、「夜、村の桟橋に行くとマンタやサメが見れるかもしれないよ…」と教えてくれたので、行ってみると、本当に2メート近くある巨大なマンタが泳いでいた。サメも来るかなとしばらく待ったがこの日は現れなかった。けれど巨大なマンタはずっと近くを泳いでいてくれて、しかも街灯の真下を泳いでくれるのでじっくり観察できて娘も大喜び。

自然や生き物が好きな人が来たがる理由が、多少、わかった気がした。


つづく…。

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小笠原諸島 おがさわら丸編(1)

2022-01-04 13:28:13 | 旅行(国内)
年末から小笠原諸島、父島へ行って来た。

国内では行ってみたいところのひとつだったが、なにせ行くのに時間がかかる。東京から船で24時間、これ以外に行く方法がないことが最大の壁だった。しかも船は週に1便しかない。行って帰ってくると最短でも6日間かかる。船賃も最安の2等和室で往復5万7千円。この価格だと東南アジアや南アジア、時期もよるがヨーロッパや北米へも行けてしまう。国内にしても、今や沖縄や石垣、北海道の道東へも1万円そこそこで行けてしまう時代に、結して行きやすい旅先とは言えない。けれどコロナ禍で出国できない今なら、それも全部、妥協できる。というわけで、晴れて行くことにした。

小笠原諸島は、東京から南におよそ1000キロのところにある。西に100キロ行くと、噴火でできた新しい島、西ノ島があり、300キロ南に行くと悲惨な戦場となった硫黄島がある。最近、軽石を噴出し、世間を騒がせている島はこの硫黄島のすぐ近くにある。同じ小笠原村の管轄にある、日本最南端の沖の鳥島はここから南西に向かって930キロほど。さらに南に1200キロ行くとグアム、サイパンに辿り着く。気候は亜熱帯で、この正月の平均気温は19度だった。最高で23度。沖縄よりずっと暖かいと思う。日中は半袖でOK、朝晩は冷え込むので長袖か1枚羽織りものがいる。海水浴は出来そうでできない感じ。地元の子は入っている。島民曰く、日本で冬にこんなに暖かいのは、小笠原だけだそう。自衛隊や気象観測員のいる硫黄島と南鳥島は除いてということで…。

小笠原丸という船が週に一便、東京と父島を結んでいる。私たちは最安値の2等和室を利用。8人の雑魚寝の大部屋だ。一人分のスペースはおよそ畳1畳分だけ。船は4年前に新造された最新船で快適だった。しかもコロナで現在、定員の半分以下しか乗せていないので、私たちの大部屋は行きも帰りも私たち3人だけの貸し切り。結果8人部屋を3人で使用でき、これは返って2等洋部屋の1ベッド使用より、快適でラッキーだったと思う。ただし2等和室は船底近くにあり、ボイラー音が多少うるさく、当然、窓もない。マットも薄く、寝てばかりの為、背中が痛くなるのは間違いない。タイタニックでいえば3等客船の位置。上級に行くほど上階になる。乗船下船の順番も特等や1等から優先して行われる。デッキも1等しか入れないエリアもあり、こういうサービスはやはり金次第だなと。他に特2等や1等、そして特等は多分、価格相応、快適だと思う。本来なら700人近くが乗る船に300人以下しか乗っていないのだから、船内はガラガラ状態。これだけでも随分、居心地が良かったはず。客層はほとんどが若い人、ダイバーやシュノーケル目当ての方が圧倒的に多い。あとは年配者と家族連れが少しで、帰省の島民は本当に少ない感じだった。

一番気がかりだった肝心の揺れだが、行きは航路のすべてが穏やかで、ほとんど揺れなしで無事クリア。帰りは一転、父島から翌朝の八丈島まで16時間ほど大揺れ。隣の大部屋の子供がゲロ三昧で気の毒だった。同室にいると、もらいゲロ現象があり、大変、危険だ。同じ部屋でなかったのが幸いした。とは言え、ほとんどが外洋なので酔い止め薬は必須だと思う。船内の食事は高くて不味いとの評判だったので、すべて持参した。お湯もレンジもあるので、持ち込みがベストだと思う。

船内にWiFiもなく、東京を出航すると2時間半以降、あとは父島に着く30分前までずっと圏外になる。船内の各部屋(大部屋含む)にはテレビもあるが、基本BS以外は映らないし、しかも画像も悪い。トランプやUNOをやったり、あとは読書か昼寝。微妙な揺れのせいか、なぜかよく眠れ、往復ともに24時間中15時間以上寝ていた。

行きは午前10時、竹芝桟橋出航、翌朝午前10時父島到着。帰りは午後15時、父島出航、翌午後15時竹芝到着。

東京を出て翌朝、船のデッキに出ると、気候が冬から春に変わっていた。

ようやく父島到着。

けれど、寝すぎの為か背中の痛みで最悪だった。

つづく…



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2022年、始まる…

2022-01-04 12:40:02 | つぶやき
皆さま、新年、おめでとうございます。

コロナ禍が始まって3年目に入った。昨年の今頃は、さすがに年末には元に戻っているだろうと、そんな期待もあったが、見事に外れて今に至っている。3年目の年始の今、思うことは、春には開国、夏には収束、年の瀬には終息。これ以外にない。

世界中がまだまだコロナ禍の只中にいる。私たち日本人のほとんどが日本以外のコロナ禍の世界を知らない。ニュースの映像では見ることができるけれど、今一つリアリティーに欠けて見ているような気がする。大まかに言うとコロナ禍の世界は今、二分されているという。その境がトルコだと言われている。規制緩和の西洋と規制のアジアだ。トルコより東にあるアラブも規制緩和組に入るので、その境界がきっちりトルコとは言い難いが、おおよそそんな感じになるという話だ。

トルコより西はすでにオミクロン下にあっても、その規制をワクチン証明などを使用して個々の店や企業に任せている。国が表立ってというより市民レベルの対応にシフトしている。半面、アジアは未だすべて国が主導して管理をし続けている。どちらが有効かというのは一概には言えない気がするが、共存に向かうには、そろそろ自己責任に委ねないと何も変わらないのではないかと思える。

今月半ばには、再び感染者数の増加で騒ぎ出すことが薄っすら見え始めている。この数を意識させる報道にも、うんざりだが、まずはそういうところから意識改革を始めないと同じことの繰り返しでしかない。罹っても、重症化していないし死んでいないなら、騒がない、煽らないことが必要だと思う。

日本はマスメディアが一番、足を引っ張る要因になっていると、時々、感じる。

なんだか年始から不満ばかりで申し訳ないが、本年もよろしくお願いいたします。





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