ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

小笠原諸島 父島編(2)

2022-01-05 19:48:08 | 旅行(国内)
船が発着する二見港は、父島の中心地、大村に隣接している。

船を降りると、そこがすでに村の中心地。村は思った以上に小ぶりだった。メインストリートと裏通りに食堂やスーパー、土産物屋と旅行会社が何軒かあるだけ。そして少し外れに役場とビジターセンターと観光局と郵便局、銀行は港にATMがあるだけでまったく見かけなかった。コンビニや本土にあるチェーン店の類もひとつもない、農協系のスーパー以外はすべてが個人商店だ。時流の電子マネーの普及もほぼないと思われる。スーパーを除くと、当然ながら離島価格。本土の2倍から3倍はする。普通のイチゴが1パック1200円、菓子パンなども、ひとつ300円前後が普通だ。

ここで暮らしていくのは、結構、大変そうだ。

ビジターセンターへ行くと小笠原の歴史についてわかりやすい展示がされている。終戦後、日本人は全員、島外へ移住させられ、先住民の欧米系の人とアメリカからの移住者と米軍関係者だけが島に住むことを許された。昭和43年に日本に返還されるまで、およそ23年間、アメリカ統治となった。沖縄と似て非なるのは、まさにこの間、日本人は誰も住めなかったところにある。アメリカ統治時代の小笠原を知る機会などなかなか無く、アメリカ時代の展示がとても興味深かった。写真もいくつも掲載されていて、まるでアメリカの田舎町のような風景だった。ただ残念なのが、この時代の建造物がほどんど残っておらず、今の小笠原にアメリカ時代を感じるさせるものは皆無に近い。唯一、村外れにかつての欧米系の人が暮らした青色の木造民家が、一軒だけ朽ち果てて残っていたのと、アメリカ統治時代の小学校の国旗掲揚代が一本残っていて、その台座の部分にアルファベッドで学校名が書かれているだけだった。

けれど、欧米系の住民の子孫が今でも残っていて、その6代目くらいの世代の人々を村では時々見かけた。混血が進んでいるようだが、こんな小さな村で、結して少なくない数の欧米系の人々が日本人として暮らしていることが、他の島とは異なる小笠原の一番の特徴かもしれない。

大村をふらふらした後、歩いて30分ほどのところにある海洋センターに行った。ここでは娘が熱望するウミガメ教室に参加した。海洋センターでは巨大なウミガメから子ガメまで200匹以上のウミガメを飼育している。2時間ほどのうち、40分ほどがモニターを使ったレクチャーで、後の1時間20分でウミガメの甲羅を洗う作業とエサやりを体験できる。甲羅をキレイする作業は、結構スポンジでゴシゴシ洗う力仕事だった。エサやりは海洋生物にまったく興味のない私でも結構楽しめた。

小笠原と言えば、ダイビングとシュノーケリング、またクジラを見るとかイルカと一緒に泳ぐとか、主にマリンスポーツのイメージが強いが、意外と陸の自然を満喫するトレッキング目的の人も多い。特に正月前後は海に入るのは微妙に寒いので、この時期は陸目当ての人もそこそこいる。私たちも滞在時間のほぼすべてをトレッキングに費やした。ツアーに参加する人も多いが、予算の関係上、私たちは自力で行くことにした。結局、ツアーに参加したのは、娘の希望する小笠原オオコウモリと星空を見る2時間のナイトツアーだけ。

何の期待もしていなかったナイトツアーだが、満点の星空には驚きだった。こんなにきれいな星空を見たのは、記憶の限りではニュージーランド以来かも。見上げるとまさにプラネタリウム状態、星には何の関心もない私でも感動する。星空がパーフェクトだったせいか、反面、いつもは見れるはずの肝心の小笠原オオコウモリは見れなかった。けれどなんのことはない、翌日の夕方、私たちの宿の上空を、多くの小笠原オオコウモリが普通に飛んでいた。こんなに普通に見れるなら、ツアーのメインのひとつに使うな!と言いたくもなったが、まぁ、満点の星空でチャラにということで…。

ナイトツアーのガイドさんが、「夜、村の桟橋に行くとマンタやサメが見れるかもしれないよ…」と教えてくれたので、行ってみると、本当に2メート近くある巨大なマンタが泳いでいた。サメも来るかなとしばらく待ったがこの日は現れなかった。けれど巨大なマンタはずっと近くを泳いでいてくれて、しかも街灯の真下を泳いでくれるのでじっくり観察できて娘も大喜び。

自然や生き物が好きな人が来たがる理由が、多少、わかった気がした。


つづく…。

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