12月7日の今日、新幹線が青函トンネルを走ったとのこと。
もちろん試運転だが、これで九州から北海道までようやく新幹線が繋がる。
確かに便利にはなるのだろう。けれど飛行機の運賃がLCCなどの参入でこれ
だけ安くなると、たいして割引のない新幹線にありがたみも、さほど感じな
いような気がするのだけれど…。
あれっ、でも北海道新幹線て東京や関東近県の人が札幌や函館に行くときに
使うわけではないのか?東北の人や函館の人が札幌へ行く時に使うのか?
良くわからんな…。
その代償に札幌行きの北斗星が廃止されることが決まったとのこと。
これで日本のブルートレインが全廃になる。別に鉄ちゃんではないけれど、
旅情をかきたてる夜行列車というものが無くなっていくのは、寂しいこと
ではある。昔、通勤通学時に度々、大宮駅で札幌からの北斗星を見かけて
いた。あのブルーの客車には、これから仕事や学校へ向かう現実から、少し
だけ現実逃避をさせてくれる何かがあった。一度くらいは、乗っても良かっ
たかもしれない。
私が小学生の高学年の時に、ブルートレインブームというのがあった。
今でいう鉄ちゃん以外にも、にわか鉄ちゃんがたくさんいた。私もその一人
で、度々、友達と上野や東京駅に鉄道の写真を撮りに行った。
また、発着駅以外にも車両基地のある東大宮や尾久駅にも行った。
小学5年のある日の日曜日、友達3人と尾久駅に行った。尾久駅は上野の
隣の駅で車両基地がある。ここに当時、東北線や上信越線を走る特急や寝台
列車が数多く停まっていた。現在、北斗星は折り返す間、ここに停まってい
るはずである。
最初は尾久駅のプラットホームから通過する列車を撮っていたのだが、その
うち友達のひとりが「こっそり、あっちに降りちゃおうよ…」と言い出した。
皆すぐに賛同し、ホームの先端まで行き、3人でそこからダッシュで車両基
地向かって走り出した。
そこは、まさに撮り放題だった。
しばらくは、誰にも邪魔されず、大興奮だった。
しかし、見つからないわけがない。15分後にはヘルメットをかぶった国鉄職員
に見つかり、駅とは反対側の事務所に連れて行かれた。
そこで名前と学校名、住所と電話番号を聞かれ、こっぴどく叱られた記憶がある。
けれど、その場で連絡されることはなく、駅まで誘導されて放免となった。
ただ、子供ながらに「明日には学校に連絡され、さらにこっぴどく叱られるだろう
…」と想像し、3人とも相当、落ち込んでいたことを覚えている。
けれど収穫もあった。
連れて行かれた車両基地の事務所には、往年の列車のヘッドマークや行き先表示
のサボなどが、ずらーっと飾られていて、それはもう、棚ぼただった。
親切にも職員の人らは、「ゆっくり写真を撮ってきなさい…」と言ってくれて、
端から撮らせて貰った。
今でも実家に、この時の写真は保管してある。
新幹線で帰省する時、必ず東京駅と上野で乗り換える。
その後、上野から尾久を通る時、時々、外を見ては、当時を思い出す。
先日も、帰省時に尾久を通りかかった。車両基地には北斗星らしきブルーの車両が
停まっていた。このブルーの車両が見られるのも、残りわずかだと思われる。
どんどん、昭和が遠くなっていく…。
CENTER>
もちろん試運転だが、これで九州から北海道までようやく新幹線が繋がる。
確かに便利にはなるのだろう。けれど飛行機の運賃がLCCなどの参入でこれ
だけ安くなると、たいして割引のない新幹線にありがたみも、さほど感じな
いような気がするのだけれど…。
あれっ、でも北海道新幹線て東京や関東近県の人が札幌や函館に行くときに
使うわけではないのか?東北の人や函館の人が札幌へ行く時に使うのか?
良くわからんな…。
その代償に札幌行きの北斗星が廃止されることが決まったとのこと。
これで日本のブルートレインが全廃になる。別に鉄ちゃんではないけれど、
旅情をかきたてる夜行列車というものが無くなっていくのは、寂しいこと
ではある。昔、通勤通学時に度々、大宮駅で札幌からの北斗星を見かけて
いた。あのブルーの客車には、これから仕事や学校へ向かう現実から、少し
だけ現実逃避をさせてくれる何かがあった。一度くらいは、乗っても良かっ
たかもしれない。
私が小学生の高学年の時に、ブルートレインブームというのがあった。
今でいう鉄ちゃん以外にも、にわか鉄ちゃんがたくさんいた。私もその一人
で、度々、友達と上野や東京駅に鉄道の写真を撮りに行った。
また、発着駅以外にも車両基地のある東大宮や尾久駅にも行った。
小学5年のある日の日曜日、友達3人と尾久駅に行った。尾久駅は上野の
隣の駅で車両基地がある。ここに当時、東北線や上信越線を走る特急や寝台
列車が数多く停まっていた。現在、北斗星は折り返す間、ここに停まってい
るはずである。
最初は尾久駅のプラットホームから通過する列車を撮っていたのだが、その
うち友達のひとりが「こっそり、あっちに降りちゃおうよ…」と言い出した。
皆すぐに賛同し、ホームの先端まで行き、3人でそこからダッシュで車両基
地向かって走り出した。
そこは、まさに撮り放題だった。
しばらくは、誰にも邪魔されず、大興奮だった。
しかし、見つからないわけがない。15分後にはヘルメットをかぶった国鉄職員
に見つかり、駅とは反対側の事務所に連れて行かれた。
そこで名前と学校名、住所と電話番号を聞かれ、こっぴどく叱られた記憶がある。
けれど、その場で連絡されることはなく、駅まで誘導されて放免となった。
ただ、子供ながらに「明日には学校に連絡され、さらにこっぴどく叱られるだろう
…」と想像し、3人とも相当、落ち込んでいたことを覚えている。
けれど収穫もあった。
連れて行かれた車両基地の事務所には、往年の列車のヘッドマークや行き先表示
のサボなどが、ずらーっと飾られていて、それはもう、棚ぼただった。
親切にも職員の人らは、「ゆっくり写真を撮ってきなさい…」と言ってくれて、
端から撮らせて貰った。
今でも実家に、この時の写真は保管してある。
新幹線で帰省する時、必ず東京駅と上野で乗り換える。
その後、上野から尾久を通る時、時々、外を見ては、当時を思い出す。
先日も、帰省時に尾久を通りかかった。車両基地には北斗星らしきブルーの車両が
停まっていた。このブルーの車両が見られるのも、残りわずかだと思われる。
どんどん、昭和が遠くなっていく…。
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