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アジア・太平洋戦争の敗戦から65年  

2010-08-15 20:45:00 | 歴 史
 65年前の今日も暑かった 旧暦7月小6日
 昨年も記したが、マスコミでは殆が今日は「終戦記念日」と呼んでいるが、正しくは�敗戦の日�だ。
 1945年9月2日東京湾に停泊するミズリー号船上で、敗戦を認める降伏文書調印式に外務大臣・重光葵が全権任命され調印された。
 正式には9月2日をもつて戦争は終結した、つまり戦争に負けて降参したのだ。
 敗戦と記す新聞記者もたまにあるが稀だ。こんな扱いでは、嘗てマスコミが戦争に利用されたように、また権力に利用される虞がある。
 近年の動きをみていると何か「きな臭い」臭いがする、某政党の首相二世でマスコミに騒がれている戦争知らずの政治屋は靖国神社に行くと言う。
 戦争知らない若者に与える影響を危惧する。何時も支配者は後方でハツパをかける。
 A級戦犯が靖国神社にいなければ、国民こぞって靖国神社に詣でたい。
 嘗て天皇を利用した時の支配者に洗脳された多くの若者が尊い命を失ったことは痛恨の極みだ。
 アジア・太平洋戦争を省みるために是非、吉村昭の「零式戦闘機」(新潮文庫・平成22年6月48刷)を読んで欲しい、日中戦争から敗戦までの経過が良く分る。
 1939年頃から製作が始められ実用化されたた零式戦闘機は敗戦の頃まで世界に類を見ない最高の戦闘機だつたと言う。
 製作開始から敗戦まで名古屋で作られ分割された部品が各務ヶ原の飛行場まで牛車や馬車で48キロの道を凡そ24時間かけてを運ばれた。
 平安時代ではない、これだけとって見ても物量に勝るアメリカに勝てる訳がない。
                 
           戦争で尊い命を犠牲にされた英霊に対し衷心より哀悼の意を捧げます


 戦時中はこれに似た光景で夜空を染めて爆弾が降り注いだ、こんな花火を楽しめる平和な世界を永遠に
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