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〝第二次世界大戦敗戦の日〟に寄せて

2019-08-15 16:20:08 | 歴 史

台風10号夕方には中国地方を縦断して日本海に抜ける。
 中心から稍々離れていて当地では影響は軽微の模様。
 罹災された皆様には衷心よりお見舞い申し上げます。

 安倍内閣は最近憲法を改悪して軍備を保持しようと企んでいるが、満州事変から続いた戦禍を経験しない連中が企むもので多数の国民はそれを望んでいない。何でも多数に奢りごり押しするのが現政権だ。
 この日を「終戦記念日」と呼んでいるようだが、これは政権側の用語でマスコミもほとんどが無批判に使っている、あるラジオ番組のパーソナリティは終戦はではなく「敗戦」と呼ぶべきだと主張、見識だ。
 敗戦の日は透き通るような青空、確か正午だったと記憶しているが天皇の雑音の入った放送を聴いて安堵したことを思い出す。

 これらの引き続く戦争で国内外の多くの無辜の民が命を失った、当時近所に住んでいて頻繁に我家に出入りしていた「やえこん」(この渾名の意味が分からない)と呼ぶ中年初期の男性が、軍属として徴用され輸送船で戦地に赴くとき米軍の攻撃で沈没して帰らぬ人となったのが忘れられず、ここに留置く。

 この男性、同じ町内の粗末な蔵に住んでいて、悪事を働く訳ではないが近所の人々の爪弾きのような存在だったが母はどんないきさつがあったか、つまびらかでないが親しくしていた。
 鰥暮らしなのでよく食べ物を持って行ってやったり、また来宅しては飯を食っていた。そんな一筋縄でいかぬ男だったが母の言うことは何でも「はい、はい」と素直に聴いて家事を随分助けてくれた。

 私が小学生の時悪戯でクマンバチの巣を突いて刺された時も彼に負んぶされて医者に連れて行かれたが私が駄々をこねたのか治療をしっかり受けずに帰ってきた時、母に彼は子供の使いではないとこっぴどく叱られて、また直ぐもう一度医者に行かされたのは気の毒で生涯忘れられない。

 一連の戦争で亡くなられた御霊に花を捧げ哀悼の誠を表します。
 

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