連続の猛暑
〝風 呂 物 語〟にかかわってくるので途中になるが父親の若干の来し方に触れたい。
父は明治30(1897)年京都府何鹿郡(いかるがぐん)佐賀村私市(きさいち)[現・綾部市]で生まれる。
大正7年(1918)年当時は地方の1寒村に過ぎなかった何鹿郡(現・綾部市)に波多野鶴吉が明治19年
(1886)に興こした製糸会社「郡是製絲株式會社」(現・グンゼ)に入社。
波多野の起業理念は何鹿郡発展のために農家に養蚕を奨励することが郡の急務で、「郡是」である
と考えたのです。これが蚕糸(さんし)業の振興を目的とする「郡是製絲株式會社」の社名の由来です。
その後昭和4(1929)年新設の益田(島根県)工場に転勤、昭和8(1933)年我が生誕の倉吉(鳥取県)
工場へ、昭和12(1937)年江原工場(兵庫県)、昭和14(1939)年宇島工場・福岡県築上郡(現・豊前市)
に転勤。昭和24(1949)年退職して故郷の隣町福知山市に転居
*続 く
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