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京都植物園〝朝 顔 展〟8/5の続き Ⅰ

2008-08-06 21:26:37 | 
夕方より一時激し 夜 旧暦7月大6日 広島原爆忌
 子どもの頃広島に原爆が投下され、それは当時「新型爆弾」と呼ばれ広島には何年も草木も生えないとの噂が広がった。
 今日は、そのおぞましい原爆の日である。
 読売新聞〝編集手帳〟から次に引用し平和の有難さを噛み締め亡くなられた25万の御霊に哀悼の意を捧げたい。

 家が倒れ、両親が下敷きになった。手の先だけが見えた。指を握っていると、炎が迫ってきた。に埋まった母が「早くお逃げ」と言った。ひとりぼっちになったので、祖母を訪ねようと思う◆少年は10歳ほど、頭に巻いた布に血が染みていた。原爆が落ちて3日後、作家の大田洋子さんは:広島市内から避難するバスで乗り合わせた少年の言葉を、被爆の記録「の街」に書き留めている◆酸鼻を極めた描写は幾つもあったはずだが、8月6日がめぐりくるたびに浮かんでくるのはこの一節である。少年が母親の手を離す瞬間の、指先の感触を想像してみる時がある。わが子の手を振りほどく母親の、指の動きをに描いてみる時がある◆広島の原爆忌から長崎の原爆忌へ、夏休みのともいうべきこの季節は、手をつないで歩く親子連れに行く先々で出会う。平和であることのありがたさを絵にすれば、きっとこういう光景になるのだろう。握り、握られた指に目がいく廿日市市の祖母を訪ねたバスの少年は、あれからどうしたろう。母の体温はいまも指の先に残っているか。息災ならば70代の半ばである。
 (
200886  読売新聞)

 今、ここに朝顔の写真を掲載できる幸せを大切にしたい。

 




  
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