夕方より一時激し 夜 旧暦7月大6日 広島原爆忌
子どもの頃広島に原爆が投下され、それは当時「新型爆弾」と呼ばれ広島には何年も草木も生えないとの噂が広がった。
今日は、そのおぞましい原爆の日である。
読売新聞〝編集手帳〟から次に引用し平和の有難さを噛み締め亡くなられた25万の御霊に哀悼の意を捧げたい。
家が倒れ、両親が下敷きになった。手の先だけが見えた。指を握っていると、炎が迫ってきた。瓦礫に埋まった母が「早くお逃げ」と言った。ひとりぼっちになったので、祖母を訪ねようと思う◆少年は10歳ほど、頭に巻いた布に血が染みていた。原爆が落ちて3日後、作家の大田洋子さんは:広島市内から避難するバスで乗り合わせた少年の言葉を、被爆の記録「屍の街」に書き留めている◆酸鼻を極めた描写は幾つもあったはずだが、8月6日がめぐりくるたびに浮かんでくるのはこの一節である。少年が母親の手を離す瞬間の、指先の感触を想像してみる時がある。わが子の手を振りほどく母親の、指の動きを瞼に描いてみる時がある◆広島の原爆忌から長崎の原爆忌へ、夏休みの“旬”ともいうべきこの季節は、手をつないで歩く親子連れに行く先々で出会う。平和であることのありがたさを絵にすれば、きっとこういう光景になるのだろう。握り、握られた指に目がいく◆廿日市市の祖母を訪ねたバスの少年は、あれからどうしたろう。母の体温はいまも指の先に残っているか。息災ならば70代の半ばである。
(2008年8月6日 読売新聞)
今、ここに朝顔の写真を掲載できる幸せを大切にしたい。
子どもの頃広島に原爆が投下され、それは当時「新型爆弾」と呼ばれ広島には何年も草木も生えないとの噂が広がった。
今日は、そのおぞましい原爆の日である。
読売新聞〝編集手帳〟から次に引用し平和の有難さを噛み締め亡くなられた25万の御霊に哀悼の意を捧げたい。
家が倒れ、両親が下敷きになった。手の先だけが見えた。指を握っていると、炎が迫ってきた。瓦礫に埋まった母が「早くお逃げ」と言った。ひとりぼっちになったので、祖母を訪ねようと思う◆少年は10歳ほど、頭に巻いた布に血が染みていた。原爆が落ちて3日後、作家の大田洋子さんは:広島市内から避難するバスで乗り合わせた少年の言葉を、被爆の記録「屍の街」に書き留めている◆酸鼻を極めた描写は幾つもあったはずだが、8月6日がめぐりくるたびに浮かんでくるのはこの一節である。少年が母親の手を離す瞬間の、指先の感触を想像してみる時がある。わが子の手を振りほどく母親の、指の動きを瞼に描いてみる時がある◆広島の原爆忌から長崎の原爆忌へ、夏休みの“旬”ともいうべきこの季節は、手をつないで歩く親子連れに行く先々で出会う。平和であることのありがたさを絵にすれば、きっとこういう光景になるのだろう。握り、握られた指に目がいく◆廿日市市の祖母を訪ねたバスの少年は、あれからどうしたろう。母の体温はいまも指の先に残っているか。息災ならば70代の半ばである。
(2008年8月6日 読売新聞)
今、ここに朝顔の写真を掲載できる幸せを大切にしたい。