気ままな趣味の散歩道

趣味にまつわる話題を、デジカメ画像などを活用し郷土の写真、菜園と園芸、郵趣、版画と年賀状などを紹介してまいります。

三方ヶ原の戦いと犀ヶ崖 《家康公ゆかりの地》

2016-05-23 22:06:28 | ふるさと紹介
徳川家康はの浜松在城17年間の元亀元年に浜松城を居城としています。
 元亀3年甲斐を出発した武田信玄との三方ヶ原の戦いに敗れた家康は、九死に一生を得て浜松城へ逃げ帰ります。

 そして、浜松城の北約1kmにある犀ヶ崖(さいががけ)に布の橋をかけ、追い迫る武田軍を人馬もろともこの崖から谷底へ追い落としたとされています。
 当時崖は高さ40m,幅50m,長さ2kmと言われたこの崖も今は埋め立ても進みその面影は少ないですが、そこには古戦場の碑や、資料館が設置されています。
 
 今日は、その古戦場と崖の碑や戦いの絵図(上の小画像)および、戦いで討ち死にした有名な武将の顕彰碑をご紹介します。

 今、犀ヶ崖の底は舗装され水路となっています。画像では見づらいかもしれませんが、覗いてきましたのでご紹介します。


    (三方ヶ原古戦場〈犀ヶ崖〉の碑)

   

     
             (上から覗いた犀ヶ崖の底面)

 三方ヶ原の戦いで討ち死にした武将のうち最も知られているのが、夏目次郎左衛門吉信で、敗走中「我こそは家康なり」と言って犀ヶ崖付近で討ち死にしたとあり、その大きな顕彰碑が国道257号線沿いに建てられています。


  (国道沿いの夏目次郎左衛門吉信の顕彰碑)

       
     (観光ルートの中の案内表示もある同吉信の顕彰碑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする