はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

遠江33観音4-3

2010-05-26 20:23:16 | 寺社遍路
遠江33ヶ所観音霊場巡り4-4回目        2010/05/17


   3.6k   1.6k   2.3k   1.4k    7.1k    3.4k   7.1k   4.2k
川駅-新福寺-天養院-真昌寺-浄円寺-観音堂-長福寺-観音寺-金谷駅
   38    18    30    20     1:42    55    1:32   48 

 歩行距離     30.7k
 総時間      9時間10分
 歩行時間     6時間43分
 平均歩行時速   4.6k

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   22番 長福寺へ(ご朱印帳)

 山頂の神社を後にして茶店に向かった。途中麓からも見える送信所のアンテナの脇を進んでいくとベンチを置いた広場がある。そこは桜の木が何本も植わっていて景色は見えない。

          
茶屋は平日なので休業しているのか閉まっていた。その屋上に出て景色を見るが、先ほどのお堂の前の広場から見た景色の方が数段もよく感じる。こっちは桜の粟ヶ岳を売りたいのか桜を植樹してあるので、それが視界を邪魔している。あと数年も経つと桜の木は更に大きくなって視界を塞いでしまうのではないか不安に感じるほどだ。
こうなったらせめてお堂の方は桜を植えないでくれと願うばかりだ。

 昼飯を食べ林道を下り始める。次の札所は下に見える東山集落の中にある寺なので目標を付けやすい。
茶屋のすぐ下に舗装がされていない林道の分岐があった。そこは「崩壊のため車両進入禁止」となっている。舗装された林道でなく山道を歩きたい思っていたが残念ながらが諦めるしかない。

更に下ると道の壁面に写真付きの看板があった。そこには粟ヶ岳の山腹に見える「茶」の字の一画目(草冠の横棒)の終りがこの辺りだと書いてある。見ると桧の木が真直ぐ一列に植えてある。近すぎてとても字には見えないがなるほどと納得した。今までは「茶」なのだからお茶の木を植えて書いてあると思っていたが、そうではなく桧だったのだ。

          
          

 林道を山スタイルの格好が馴染んでいる中年女性が一人で登ってきた。
「東山に行きたいのですがハイキングコースはないですか」と聞いてみた。
すると驚いた事に先ほどの車両禁止の道の先にあると言う。
「でも入口に車両進入禁止と書いてありましたけど」
「車両進入禁止で人は進入禁止とは書いてなかったでしょ」だって。
分岐点で看板を確認するが、なるほど歩行者の事はいっさい書いてない。だがハイキングコースの事も書いてない。女性は「この道を行って大きな木の先に、下る道がありますよ」と教えてくれたあと登って行った。
有難うございました。今日は3人目で気持ちの良い女性にあえる事ができた。しかも「茶」の字も確認できたのだから、この通行止めの看板もハイキングコースの表示の無いの良かったと思うことにしよう。

          

 林道を歩いて行くと見たことのある場所に。なんだコリャ!先ほどお参りしたお堂の横に出た。例の竹の子取りの軽トラはこの道を来たのだと納得もした。そしてハイキングコースの入口もあった。きっとこの道は昔の参道だったのだろう。

 前方の高くなった所に寺の屋根が見える。あれが次の札所の長福寺なのだろう。地図と景色を比較しながら道の検討をつける。
「東山いっぷく処」と名のついた茶屋の横で林道と合流した。ここはバスの終点で更に茶屋の上には駐車場もある。きっと粟ヶ岳のハイキングコースの拠点は此処なのだろう。

          

 札所には先ほど検討をつけた道でバッチリ行き着くことができた。境内から粟ヶ岳の方を眺めると桧の木で書いた「茶」の字がはっきり見える。これで遠江の難所は無事通過したと思うとホッとする。休憩を兼ねてゆっくりお参りをしよう。

          

「ご朱印をなさいますか」と住職が声を掛けてきた。
「遠江33ヶ所は無住の札所が半分以上あるのでご朱印はやっていません」
「半分以上?そんなにありませんよ」少し気を悪くしたようだ。そう指折り数えてみれば1/3位が無住なのかもしれない。だが留守のような寺もあったし、管理人の場所を表示してある札所も一ヶ所もなかった。これでは歯抜けばかりの朱印帖になってしまう。
話をしていると住職が「遠江専用のご朱印帳がある」と言い出した。これには少々驚いた。今まで2ヶ所の札所でご朱印帖のことを聞いたが「無い」と言っていた。それがここでは「有る」と言う。話の流れで「では一冊譲ってください」という事になり住職が持ってきた物を見ると間違いなく遠江専用のご朱印帳だった。
前回の遍路で知人が「遠江専用のご朱印帳がある」と教えてくれたのは眉唾情報だったと決め付けてしまったがご免なさい謝ります。
値段は「定価は書いてないが一冊300円頂きたい」との事だったので、知人への謝罪の分も合わせて2冊購入した。

          

そして朱印代はというと、なんと100円だった。今まで四国や秩父そして駿河でご朱印をしてきたし、番外の寺や神社でもご朱印をした。その全ては300円だった。それがここでは100円とは安!
勿論ここでもご朱印をしてもらった。のだがウーンこれなら100円でもいいのかもしれないな。でも確かにご朱印だ。いやご朱印そのものだった。

          
          黒字は印刷済み

 今日最後の札所は一山越した大井川の流域にある金谷の観音寺だ。今日は粟ヶ岳を越してきたが、まだ元気は残っている。
この調子ならゴールの金谷駅から、歩いて島田駅まで行こうかとも思うくらい余裕が残っている。途中にあった天然記念物の「安田の大椎の木」を見にわざわざ道を離れて見にも行ってきた。

          

最後の山越えの尾根に出ると、またまた大茶園が出現した。金谷では牧の原の大茶園は有名だが、こちら側にもこんな大きな茶園があるとは知らなかった。緑茶の生産量日本一の静岡県だが、その静岡県の中でも、この辺りが一番の生産地なのだろう。

 茶畑の中の太い道をダラダラ、ダラダラ歩く。陽射しが強く頭の上にハンカチをのせ、その上から帽子を被った。こうすると首筋辺りが涼しく感じる。時折左手に大井川は見えるが下る道は無い。先ほどまであった余裕も段々しぼんできてしまった。
太い道にも飽きてきたので左に延びる細い道を歩くことにした。若しかすると下に降りる山道があるかもしれないと思いながら歩いていた。
やっと下に降りる道があった。そこは山道ではないが舗装も無く轍の間は草が伸びていて最近は車も通っていないようだ。だがよく見ると太い電柱が立っていて電線は下にも向かっている。茶畑の防霜ファン用だと途中で終わってしまう恐れがあったが、それにしては太い電柱だ。

          

道が無くなれば戻ればいいと意を決して下り始めた。少し下ると茶畑が出てきてそれが続く。急で真直ぐな坂を下って行くと道が徐々に太く良くなってくる。舗装もされてきた。もう大丈夫だ。下の何所に出るか分らないが、必ず県道にぶつかるだろう。
前の方に道が見え、時折車が走っている。どうやら尾根の上の太い道から下に降る道だろう。お陰で大分近道になったようだ。ラッキー!

道の合流した先に立札が立っていた。見てみると「東海道古道 掛川坂」と書かれている。読んでみると今歩いて来た道が慶長9年から11年間東海道として使われてきた島田の北周りコースだったと書いてある。北周りコースなど聞いた事はなかったが、何でも慶長9年におきた大井川の大洪水で島田の宿の全てが流されてしまい宿場を山側に移したらしい。結果東海道の道も山側に移動したようだ。そしてさっきあった急坂が掛川坂なのだろう。
だがここで掛川が出るのは腑に落ちないが仕方ない。

 平地に着くと大きな工場の横に出た。地図を見るとミサワホームと書いてあるが建物には何の表示も無い。正面玄関らしき所にも表示が無い。何故だろう?でもここがミサワホームなら札所はすぐ近くのはずだ。注意しながら歩いていると遠江観音の赤い幟が見えた。

 今日最後の24番観音寺は無住だが新しいお堂だった。お堂のすぐ後ろは第2東名の土留めの壁が出来ていて、これまでで一番、第2東名に近い札所だ。東名が開通したらさぞかし喧しいお堂になってしまうだろう。

          

 境内に変わった石塔があった。一列に8人それが4段あり、最上部に更に一人の像が彫ってある。合わせて8×4+1=33の仏像が彫ってある。
6番の札所では6体の像を彫った石塔があったが、ここは33体もある。
観音様は民を救うため33の姿に変身したというので、この石塔の33体は観音様のお姿なのだろう。丁寧にお参りをしておいた。

          


 お堂の縁側に管理人の案内が書いてある。朱印帳を買えばすぐご利益があるのだ。と早速行ってみたが------ 残念留守だった。

 サー後は金谷駅に帰るだけ。ここから4k程あるだろうか。駅はトンネルの手前なので山から余り離れないようにして道をとった。もうとても島田まで歩く元気はなく早く駅に着く事を願うばかりだ。

 金谷の事も少し書いておこう。金谷の町の東は大井川の右岸から始まり、西は駅のある山の手前で終っている。普通なら町の真中に駅は出来ると思うのだが、ここは登りが始まった山の手前にあり、駅のホームの先数m先はトンネルになっている。以前はその理由を大井川の洪水を避けるためと思っていたが、最近本当の理由を知った。
それは東海道本線が開通した当時の金谷駅は貨物専用の駅で主に材木の積み込みをしていたらしい。だが鉄道の便利さを知った住民は、政府に金谷駅を人も乗降出来る駅にするように陳情した結果、許可が下りて人の乗り降りもできるようになった。
その時の陳情の中に、駅の異動が入っていたかどうかは分らないが、一度に色々頼むと全てが駄目になってしまうと思い、遠慮をした可能性が強いのではないかな。
その結果、今でも金谷の住民は不便を強いられているのだろう。
勝手な想像をしながら最後の坂を登ってようやく金谷駅に16時到着。

          


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 一昨日、昨日と神道の通夜と葬儀に行ってきた。
前回仏教は死者、神道は生者の宗教だ、などとを書いた所為なのか分らないが、まるでその事に対して仏が反論してきたようなタイミングでの葬儀だった。
神道の葬儀は初めての経験だったので興味深く色々見てきたので、いつかこの時の感想も書いてみたい。