はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

遠江33観音2-2

2010-05-15 14:50:23 | 寺社遍路
遠江33ヶ所観音霊場巡り2-2回目        2010/05/12

   0.3k   4.5k    3.0k   10.1k   9.1k   5.8k
袋井-慈眼寺-観正寺-観音寺-清滝寺-蓮華寺-原田駅
   4     58     42    2:24   1:50   1:02 

 歩行距離     32.8k
 総時間      9時間12分
 歩行時間     7時間
 平均歩行時速   4.7k

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   11番 観音寺へ(遍照寺とは)

 8番を打ち終わって次は本来なら9番に行きたいところだが、札所の位置や距離を考えると11番を打ってから9、10番と回ったほうのが明らかに効率的だと判断して11番を先にした。

 旧道から県道に出た後も旧道らしき道があったので、そちらを歩くことに。
前方に石屋が見えてきた。新しい墓石に混じって古い石仏が幾つか混ざっている。この石仏は何故ここにあるのか? 買ったのか? 貰ったのか? それとも盗んできたのか(ご免なさい)? その中の一つに高さ15cm位の石仏があった。この位の大きさなら家の庭に置いてお参りするのに丁度良い。幾ら位するものなのだろう。聞いてみたいが気もするがチョット聞きづらい。しかしこんな道端に置いていて盗まれないものだろうか。
少し前、静岡では無人の寺の仏像を盗んでいた古物商が捕まったが、石仏は大丈夫なのか?

          

 道が大きく右にカーブした。この辺りの山の上に11番はあるはずだ。丁度庭仕事をしていたお年寄りの男性に遍照寺の場所を聞いてみた。
「遍照寺? 知らないな この辺りにはないと思うよ」
「遠江33観音の札所で若しかすると観音寺と言うかもしれません」
「観音寺?それも無いな。地図には載っているの?」と地図を覗き込んで
「アーたかひらさんのことか。高平さんなら、あの平屋の前を山に登った頂上にあるよ。あの寺は大仏さんで有名な寺だ」と教えてくれた。
高平山とは遍照寺の山号の事で「高平山遍照寺」が正式な呼び名だ。
1回目の遍路のとき書いたが、法多山尊永寺も通称「はったさん」が通り名になっている。静岡の西部地区では山号を呼び名にする例が多いのだろうか注意しないといけないな。

 平屋の家の前には「大仏の寺 遠江観音大11番札所 高平山遍照寺」と書いてあった。中でも大仏の寺と高平山の文字が大きくなっているので、やはり高平さんの大仏として知られているのだろう。
 
 観音堂の建つ山頂から「月見里」の地形を確認しようと楽しみにしていたが、竹やぶや雑木が邪魔をして視界が利かない。背伸びしてみるが低い山並みが見えるだけで「月見里」は見えなかった。
 尾根の上にある境内は気持ちの良い広場があって、その正面には露座の大仏が座っている。最初見たときが最近建てた大仏と思ったが案内板を見てビックリした。案内板には「東海地方最大(5m)の露座の大日如来像で享保3年(1718)住職の木喰直心が勧進願主となって建立した」となっていた。今こうして大仏の前に立っても、これが300年前に作られたとは、とても思えないほどで美しい大仏さんだった。

          

ここで気になった事がある。それは大仏の勧進願主の木喰住職の事。
木喰上人といえば駿河一国札所8番梅林寺に木喰上人が彫った木喰仏があることを紹介したが、ここでも木喰(もくじき)なる人が出てきた。当然木喰仏を彫った木喰上人と、ここの住職だった木喰和尚とは別人である。それと案内板には「木喰」と口偏に食だが、境内にあった開山堂の古い石碑には「木食上人」となっている。PC百科事典ウィキペディアにはこう書いてある
「木食とは五穀(米、麦、アワ、ヒエ、キビ)あるいは十穀(五穀+トウモロコシ、ソバ、大豆、小豆、黒豆)を絶ち(穀断ち)、山菜や生の木の実しか口にしないという戒律である」ようは木食上人とはこの戒律を守っている人の事だ。更に「木喰仏の作者である木喰上人の場合は、口偏の「喰」の字を使用する点で他の木食上人と区別しやすい」となっている。
 
          

 ガイドブックに「村松梢風の墓が境内にある」と書いてあったので墓を探してみた。墓は6・7個しかなく、それも村松姓が多い。そのうちの一つに「梢風居士」の文字が書かれた墓を見つけた。何の看板も無く普通の墓だったのが好感を持てた。
村松梢風とは「残菊物語」や「男装の麗人」の作者で村松友視の祖父に当たる人と言えば分かるだろうか。

 観音堂でお参りをしていて気づいたが、この寺の本尊は弘法大師と書いてある。本尊が弘法大師と言うのも珍しいが、寺の名前の「遍照」は弘法大師の尊称「南無大師偏照金剛」の遍照からきた物なのだろう。よほど弘法大師を尊敬してたか分る気がする。
大きい声で「南無大師偏照金剛 南無大師偏照金剛 南無大師偏照金剛」と唱えてお参りした。
地元の人にも、こんな由緒のある名前のついた寺の名前を知って欲しい。

          

 この寺は見るべきものも多く、古い石仏や大きな仏像もある。なのに本堂は寂れた感じがするのは、墓が少なく檀家が少ないからなのだろうか。無住にならないように頑張ってもらいたい。

 もう一つ蛇足を
          

参道にこんな標識がありました。月見里に劣らず頓知の利いた人がいたのですね。