はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

遠江33ヶ所1-3

2010-05-07 08:42:39 | 寺社遍路
   2番常楽寺へ(掛川市)

 昔の遍路道はと地図を見るが花鳥園や東名で分断されていて分からない。もと来た道を戻るしかないと東名まで逆戻り。
掛川の町は東名高速のICや新幹線の駅、東海道線の駅、国道1号線が狭い地域に集中していて交通の便は良く発展途上の町なのだろうが東名の南側と北側の格差が大きい。北側は狭い地域にビルが林立しているが東名を潜ると一転郊外の雰囲気になる。これで花鳥園とパチンコ屋が無ければ本当の田舎に過ぎないだろう。
東名ICも開通当初からのICではなく途中からのICだし、新幹線も市民の署名を集めて陳情して作ったと聞いている。また掛川城も平成6年に完成させたり、外国に市営の牧場を作って生涯学習に使っているとか、最近では木造のJR掛川駅を保存する運動も起している。ヤル気は感じるが頑張りすぎてないか気になる。

 東名横の道を歩き始めると薄い水色のビルが見えた。お茶屋かと想像したが海苔屋だった、一体海苔を何所から持ってくるのだろう?この辺りの海で海苔の養殖など聞いたことがない。これも交通至便の地を求めて進出してきたのだろう。
最初の信号を曲り、次の信号を左折して、少し歩くと常楽寺入口の看板があった。看板の先を覗くと大きな銀杏の木が見える、あそこが2番常楽寺だろう。

 寺の入口に「二番札所」と彫られた石碑がある。何でも今から200年以上前に立てた物らしいがお寺自身は普通の民家と間違われそうな建物だ。きっと昔はもっと栄えていたお寺だったのだろう。

                



   3番長谷寺(頭陀袋)へ
   (チョウコク寺)

 私の今日の格好は駿河一国と同じで、相変わらず頭陀袋を肩から提げている。ただ今回はその中に納経帳が入っていない。駿河一国では最終的に17番と番外の二寺のご朱印は受けれなかったがマーほぼ受けることができた。しかしここ遠江では無住のお寺が多くご朱印を受ける事が難しいらしい。確かに1番の結縁寺も無住だった。それなのに朱印を案内した張り紙も無かった。駿河では無住の寺は管理人の電話番号や場所の案内図が張られていたのに比べるとえらい違いだ。やはり納経をしない判断は正解だったと思う。
いや今は納経の話でなく頭陀袋の話をしたい。

          

私の頭陀袋は四国遍路のとき購入した物で袋(と言うよりカバン)の表面に「奉納 霊場順拝 同行二人」それと赤い梵字が印刷されていて中々目立つ物だ。四国では同じような格好の遍路をよく見かけるので、土地の人もそれ程興味を示さない。しかし遍路の風習の無い静岡ではこんなカバンを掛けていると皆ジロジロと見るような気がしてならない。これも自意識の強い私の勝手な思い込みに過ぎないかもしれないが嫌なものは嫌だ。そこで頭陀袋の袋を開けた状態で肩から掛けている。
駿河一国が終ったころ妻が
「どのズボンも左のポケットの上が摺れて穴が開いてきた」と言ってきた。何故だろうとリュックを背負ってみたが何も無い。頭陀袋も掛けてみたが摺れるものはない。そこで思い出して頭陀袋の蓋を開けて肩から掛けると------- 
蓋を止めてあるマジックバンドが丁度ズボンのポケットの位置になる。こんな小さなギザギザだが一日4万歩も歩いていると4万回摺れる事になる。一滴の水、岩をもくだく。と同じでズボンの穴も開いてしまうのだ。
と言っても蓋を見せて歩くのは嫌だし、反対にすると中身の出し入れが面倒だ。そこで蓋を空けた状態でマジックバンドが外に行くようにして担ぐ事にした。
納経帳が無いのなら頭陀袋なぞ必要ないのではないかと思うかもしれないが、それがどうしてこの頭陀袋は中々便利で、特に今回のような遍路には無いと困るのだ。
その訳は札所への道を探すのに地図は必携だが、常に手に持っているのも煩わしい。しかしザックに仕舞うのはもっと面倒だ。更に地図も1枚ではすまないし、地図以外にも時々ガイドブックの略図も見てみたくなる。そんなこんなで納経帳はなくても出し入れの簡単な頭陀袋は遍路の必携アイテムになってくる。
今では私はデジカメや菓子類なども入れる様になっている。

 新幹線や東海道を渡るとNECの工場があった。フェンスの前にはツツジを植え込んであり、そこに立てられた看板には「この付近の清掃活動はNECが行っています」とか書かれている。自分の会社の前を掃除するのは当然な事と思うがマーいいだろう。だがツツジの中は雑草がはびこりツツジより大きくなった物もあちこちにある。正面玄関と彫られた入口も背の高い雑草が花を咲かせている。
NECは最近不調なのか?一世を風靡したパソコンも一時ほどではないし、半導体の生産も韓国に負けている。そんな影響で掃除の人の人件費も節約しているのかも知れないが情けないことだ。
フェンスの向こうから女性の元気の良い掛声が聞こえてきた。覗いてみると赤いユニホームを着た女性がソフトボールの練習をしている。企業のスポーツが衰退してきているのに頑張っているのは良いが、この人達が月に1時間も清掃活動をやれば私が今歩いてきた辺りは綺麗でいられるのにと思った。

前方の高台に木立が見える。あの下辺りが3番長谷寺で20分も掛からずに到着した。
寺の正面のお堂の横に赤い色が残った石碑がある。絵が彫ってあって図柄は旅の和尚が魚を手にしている。字も書いてあるが読めるのは「大阪・八坂・鯖ひとつ・大師・馬」などだが風化して読めないのでなく、知識が無くて読めないのだから情けない。だが絵とその分かった字で判断するなら、きっと四国遍路のとき立ち寄った阿波の鯖大師の事だと思う。そこの伝説は弘法大師が倒れた馬や塩漬の鯖に薬をやると馬や鯖が生き返ったとか、それ以来3年鯖断をして願い事をすると願いが叶うようになったと言う。

               

だがその伝説の絵が何故ここにあるのか分からない。この長谷寺は曹洞宗で弘法大師の真言宗ではない。寺の人がいたら聞いてみようと思ったがいなかった。だからと言ってご朱印もしないのに態々声を掛けるのも気が引ける。やはりご朱印くらいはやるべきだったか。また迷ってしまった。