はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

遠江33観音4-1

2010-05-21 17:01:08 | 寺社遍路
遠江33ヶ所観音霊場巡り4-1回目        2010/05/17


   3.6k   1.6k   2.3k   1.4k    7.1k    3.4k   7.1k   4.2k
掛川-新福寺-天養院-真昌寺-浄円寺-観音堂-長福寺-観音寺-金谷
   38    18    30    20     1:42    55    1:32   48 

 歩行距離     30.7k
 総時間      9時間10分
 歩行時間     6時間43分
 平均歩行時速   4.6k

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   18番 新福寺へ

 掛川駅北口を6時50分出発。保存要請が出ている木造の駅を眺めるが、この程度の建物を何故保存しなければならないか疑問に感じる。しかし掛川を故郷にしている人にとっては懐かしい想い出の建物かも知れない。募金活動で保存をするなら余計な事を言ってはいけない。

          

 今日はJR東海道線の線路に沿って東に3k程行った場所に最初の札所がある。札所の番号は18番。前回最後に打ち終わった番号は14番なので変に思うかもしれないが、これには訳がある。
今日は標高532mの粟ヶ岳の山頂にある23番の観音堂に行くのだが、札所順に行くと登りと下りが同じ道になってしまう。折角景色の良い粟ヶ岳に登るのだから違う道を歩こうと思って打つ順番を変えたのだ。こうすれば粟ヶ岳に南の掛川から登り、東の日坂へ降りることが出来る。打つ順番は18-17-16-15-23-22-24になってしまうがマーいいだろう。

 県道37号を3kほど東に進むとゴルフの練習場が出てきた。そろそろ分岐点だろうと考えているうちに「リンナイ○△□」と書かれた工場を案内する看板があった。確か18番は工場地帯の隅にあるはずと、その道に入る。山裾を回りながら工場の近くに行くと駐車場の先の茶畑の中にお堂が見えてきた。あれに間違いは無いだろうと駐車場を横切って進む。

          

そこは無住の小さなお堂で扉には「はるばる登りてみれば 小夜の山 不二の高嶺に 雪ぞ見えける」とご詠歌を書いた紙が貼ってある。
小夜の中山?不二の高嶺?そのいずれも此処からは見えない。何だろう?
ガイドブックによると新福寺は昔は富士山の見える小夜の中山にあったと記されているが、それが何故この地に来たのか、何故ご詠歌を変えなかったのか、疑問が残る。


     17番天養院へ

 真福寺からは今日登る予定の粟ヶ岳が遥か彼方に見える。此処からは山頂にある「茶」の字は見えないが、ピョコンと膨らんだ山形は粟ヶ岳に間違いないだろう。それにしても遠く感じてしまう。

          

工場の横を歩くと出勤時間なのか制服姿の人が門に吸い込まれていく。門の脇には当番なのか腕章を付けた人が立っていて、入ってくる人に挨拶を繰り返している。まるで学校の登校風景のようだ。あの腕章を付けた人は何をしているのだろう?挨拶を教えているのか、遅刻者を入れないようにしているのか、それとも通勤状態を監視しているのか。
今日も問題意識は順調だ。くだらない問題を考えていれば一日飽きないですむだろう。

逆川を渡り国道1号線を横断すると天養院にはあっけなく着いてしまった。細い道脇の高台にあるお堂は看板が無ければ見落としてしまうところだった。

          


  16番 真昌寺へ(馬蹄石)

 国1バイパスのガードを潜り田舎道を行くと道がYの字になっている。正面に古い石の標識が立っていたので見てみると「左水垂 後東海道 右石上」と彫ってある。真昌寺は水垂なので左に行けばよいのだろう。なんと今日は快調なのだ。次から次へ案内してくれるようだ。
太い車が多い道に出た。この先はと付近を見ると電柱に真昌寺の文字が。またもや案内してくれた。太い道を横断して登り坂を歩いて行くと正面に寺の山門が。

           

 お参りをしていると住職が出てきて色々説明してくれた。
その中で境内に置いてある旧観音堂の礎石の話に興味をもった。この石は白馬蹄石で六角堂だった観音堂の心柱だったという。心柱?確か五重塔の心柱は塔を支えてはいないと聞いた事がある。それでは六角堂の心柱も重心を支えていなかったのではと礎石を見るが、真中が凹んでいて重心がかかっていたようだ。
住職の話では黒馬蹄石は森町で産出するが白馬蹄石は分からないと言う。また芯は硬いが回りは風雨にあたるとボロボロしてくるらしい。
馬蹄石をインターネットで調べると「表面に馬蹄のような形のある蒼黒色の石。庭石などに用いる」とあった。白色は珍しいようなので、この白馬蹄石も風雨対策をした方が良いかも。

          

納経帖の事も聞いてみた。しかし遠江専用の納経帖は無いと言う。その代りといって持って来てくれたのが「遠江三十三観音霊場 観音路」と名のついた小冊子だった。これは遠江の札所の歴史を書いたもので住職が去年発行した物だった。有難うございます。これからの参考にさせてもらいます。

               

次の17番への道も細かく説明してもらった。ついでに粟ヶ岳の観音堂に行くと話すと
「粟ヶ岳の観音堂は空っぽで仏さんがいない。仏さんは日坂の常現寺さんで祀っているのでそこに行けばいい。それに粟ヶ岳は大変だよ」としきりに大変を強調した。
ニコニコ笑いながら「大丈夫ですよ」と言ったが心配そうだった。
自分が思うより他人には年寄りに見えるのかな?