遠江33ヶ所観音霊場巡り2-回目 2010/05/12
0.3k 4.5k 3.0k 10.1k 9.1k 5.8k
袋井-慈眼寺-観正寺-観音寺-清滝寺-蓮華寺-原田駅
4 58 42 2:24 1:50 1:02
歩行距離 32.8k
総時間 9時間12分
歩行時間 7時間
平均歩行時速 4.7k
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7番 慈眼寺へ
袋井駅の北口に下車。尤も袋井は北口にしか玄関は無いので必然的に北口にはなるが---
駅前の太い道より1本東側の道を北に向かって歩き出したのだが、5分も歩かないうちに7番慈眼寺に到着。駿河一国を含めても駅からの最短距離だった。山門が鐘楼になっていて、土地の値段が高い町中の寺の感じだ。しかも2階の鐘楼は格子が入っていて粗造りな感じはせず、洒落た唐風な感じがする。
(いま書いていて気が付いたが本当に鐘突堂だったか自信がなくなってきた。見た雰囲気で鐘楼と決め付けていた気もする)
ここの札所は遠江33観音では7番札所だが、遠州33観音では14番札所になっているので又来る事もあるだろう、そのとき確認しよう。
境内の左側には赤いお稲荷さんの幟が林立している。廃仏毀釈と叫びながらこんな風に神仏混交の寺も存在したのか? いやこれも確認が足りなかった。ここのお稲荷さんをこの様に派手に祀りだしたのは何時からなのか、これも次回確認しよう。
本堂の扁額の変わった字体を見て次の8番観正寺に出発。
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8番観正寺へ(月見里)
道を駅前から延びる信州街道とか秋葉街道と呼ばれている県道58号線にもどる。昔の街道なので、何かそれらしい物がないかと注意して歩くが見当たらない。原野谷川を渡り旧国1や国1バイパスを通り過ぎ、東名高速の辺りでやっと秋葉さんの常夜灯があった。
しかしその常夜灯は秋葉さんには違いないのだが、春野町の秋葉神社の物でなく、この先にある可睡斎の秋葉総本殿の常夜灯だった。以前にもこの可睡斎と春野町の秋葉神社の違いが良く分からないとブログに書いたが、この大きな常夜灯や看板の「火防総本山・秋葉総本殿」の文字を見れば、所謂秋葉さんにお参りにきた人は、こちらに行ってしまうだろう。
8番札所に近づいてくると「山梨」の字が目に付くようになった。下山梨、上山梨、沖山梨などの地名もある。この辺りは今は袋井市になっているが以前は周智郡山梨町だった。その所為で山梨が多いのは分かるが何故山梨と言うようになったか面白い説を聞いたので紹介しておきたい。
子供の頃「山が有っても山なし県」「痛くなくても大いた県」とか言って遊んだ経験は無いだろうか。ここの山梨はその言葉通り「山が無くて山なし」なのだ。
この辺りの地形は低い岡はあっても視界を遮るような高い山が無い。しかしそれで「山なし」ではチョット芸が無さ過ぎて面白くない。トンチの利いた昔の人はもう一ひねりしてある。当時近くに山が無いので月見に適していたこの地は「月見里」と書き表していたが単純に「つきみさと」と言わずに、月が見えるのは山が無いからだ。だから「月見里」は「やまなし」なのだと月見里=やまなし=山梨になったとか。
嘘? いえ嘘ではなさそうです。その証拠として苗字でも「月見里」はやまなしさんとか
月見里神社はやまなし神社と読むらしいですよ。
ジャー山梨県のやまなしは本来は月見里県かと言いたくなりますがウィキペディアにはこんな事が書いてありました。
山梨郡の名前の由来は「旧春日居町にある山梨岡神社の裏山に梨の有名な古木があり、そのためこの地域はいつしか山梨と呼ばれるようになった」という伝説が存在しているため、果物のヤマナシに由来していると思われがちである。
しかし風土記には「山無瀬」「夜萬奈之」と記されており、語源としては「山平らす(やまならす)」、つまり甲府盆地の高低の少ない平坦な様子を表す言葉が次第に「やまなし」へ転化したとみるのが妥当である。
そして「梨園」などの言葉に見られる一種の優雅さを感じさせる「梨」という好字を当てて「山梨」と呼ぶようになったといわれている。
と書かれていました。
この「やまなし」については清水区興津に多い「山梨」の姓。日本の三筆とも言われる橘逸勢の辞世の句の「都をば 今は遥かに遠江 月の隈なき月見里郷」など追求していくと面白いかもしれませんね。
蛇足にもう一つ。地図を見ると山梨地区に「月見の里公園」があって学習館などもある。しかしそこは残念ながら「つきみのさと」らしい。現在の役人は頓知が足りないな。
8番札所に行く為に県道を離れて旧道に入ったのに、前の方に県道の信号が見えてきた。おかしいなぁ寺の表示は無かったのにと、露地横を見ると屋台の格納庫が見える。その横は下山梨公会堂の看板が見える。更にその横には1本の石碑が立っている。それを確認しに近くに行くと建物と建物の間に小さなお堂が。そこが8番観正寺だった。
0.3k 4.5k 3.0k 10.1k 9.1k 5.8k
袋井-慈眼寺-観正寺-観音寺-清滝寺-蓮華寺-原田駅
4 58 42 2:24 1:50 1:02
歩行距離 32.8k
総時間 9時間12分
歩行時間 7時間
平均歩行時速 4.7k
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7番 慈眼寺へ
袋井駅の北口に下車。尤も袋井は北口にしか玄関は無いので必然的に北口にはなるが---
駅前の太い道より1本東側の道を北に向かって歩き出したのだが、5分も歩かないうちに7番慈眼寺に到着。駿河一国を含めても駅からの最短距離だった。山門が鐘楼になっていて、土地の値段が高い町中の寺の感じだ。しかも2階の鐘楼は格子が入っていて粗造りな感じはせず、洒落た唐風な感じがする。
(いま書いていて気が付いたが本当に鐘突堂だったか自信がなくなってきた。見た雰囲気で鐘楼と決め付けていた気もする)
ここの札所は遠江33観音では7番札所だが、遠州33観音では14番札所になっているので又来る事もあるだろう、そのとき確認しよう。
境内の左側には赤いお稲荷さんの幟が林立している。廃仏毀釈と叫びながらこんな風に神仏混交の寺も存在したのか? いやこれも確認が足りなかった。ここのお稲荷さんをこの様に派手に祀りだしたのは何時からなのか、これも次回確認しよう。
本堂の扁額の変わった字体を見て次の8番観正寺に出発。
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8番観正寺へ(月見里)
道を駅前から延びる信州街道とか秋葉街道と呼ばれている県道58号線にもどる。昔の街道なので、何かそれらしい物がないかと注意して歩くが見当たらない。原野谷川を渡り旧国1や国1バイパスを通り過ぎ、東名高速の辺りでやっと秋葉さんの常夜灯があった。
しかしその常夜灯は秋葉さんには違いないのだが、春野町の秋葉神社の物でなく、この先にある可睡斎の秋葉総本殿の常夜灯だった。以前にもこの可睡斎と春野町の秋葉神社の違いが良く分からないとブログに書いたが、この大きな常夜灯や看板の「火防総本山・秋葉総本殿」の文字を見れば、所謂秋葉さんにお参りにきた人は、こちらに行ってしまうだろう。
8番札所に近づいてくると「山梨」の字が目に付くようになった。下山梨、上山梨、沖山梨などの地名もある。この辺りは今は袋井市になっているが以前は周智郡山梨町だった。その所為で山梨が多いのは分かるが何故山梨と言うようになったか面白い説を聞いたので紹介しておきたい。
子供の頃「山が有っても山なし県」「痛くなくても大いた県」とか言って遊んだ経験は無いだろうか。ここの山梨はその言葉通り「山が無くて山なし」なのだ。
この辺りの地形は低い岡はあっても視界を遮るような高い山が無い。しかしそれで「山なし」ではチョット芸が無さ過ぎて面白くない。トンチの利いた昔の人はもう一ひねりしてある。当時近くに山が無いので月見に適していたこの地は「月見里」と書き表していたが単純に「つきみさと」と言わずに、月が見えるのは山が無いからだ。だから「月見里」は「やまなし」なのだと月見里=やまなし=山梨になったとか。
嘘? いえ嘘ではなさそうです。その証拠として苗字でも「月見里」はやまなしさんとか
月見里神社はやまなし神社と読むらしいですよ。
ジャー山梨県のやまなしは本来は月見里県かと言いたくなりますがウィキペディアにはこんな事が書いてありました。
山梨郡の名前の由来は「旧春日居町にある山梨岡神社の裏山に梨の有名な古木があり、そのためこの地域はいつしか山梨と呼ばれるようになった」という伝説が存在しているため、果物のヤマナシに由来していると思われがちである。
しかし風土記には「山無瀬」「夜萬奈之」と記されており、語源としては「山平らす(やまならす)」、つまり甲府盆地の高低の少ない平坦な様子を表す言葉が次第に「やまなし」へ転化したとみるのが妥当である。
そして「梨園」などの言葉に見られる一種の優雅さを感じさせる「梨」という好字を当てて「山梨」と呼ぶようになったといわれている。
と書かれていました。
この「やまなし」については清水区興津に多い「山梨」の姓。日本の三筆とも言われる橘逸勢の辞世の句の「都をば 今は遥かに遠江 月の隈なき月見里郷」など追求していくと面白いかもしれませんね。
蛇足にもう一つ。地図を見ると山梨地区に「月見の里公園」があって学習館などもある。しかしそこは残念ながら「つきみのさと」らしい。現在の役人は頓知が足りないな。
8番札所に行く為に県道を離れて旧道に入ったのに、前の方に県道の信号が見えてきた。おかしいなぁ寺の表示は無かったのにと、露地横を見ると屋台の格納庫が見える。その横は下山梨公会堂の看板が見える。更にその横には1本の石碑が立っている。それを確認しに近くに行くと建物と建物の間に小さなお堂が。そこが8番観正寺だった。