遠江33ヶ所観音霊場巡り4-3回目 2010/05/17
3.6k 1.6k 2.3k 1.4k 7.1k 3.4k 7.1k 4.2k
川駅-新福寺-天養院-真昌寺-浄円寺-観音堂-長福寺-観音寺-金谷駅
38 18 30 20 1:42 55 1:32 48
歩行距離 30.7k
総時間 9時間10分
歩行時間 6時間43分
平均歩行時速 4.6k
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粟ヶ岳山頂へ
お参りをしていると軽トラがお堂の横に停まりお年寄りの夫婦が降りてきた。荷台から袋や鍬らしき物を取り出している。どうやらお堂の横にある竹薮の竹の子を取りにきたようだ。そのうち女性が私の方を見て「何してるの」ととがった声をあげる。
何してるって、お経をあげているのが分らないのか、と胸の中では思うがお経は止めなかった。女性は私の方に近寄ってくる気配を示したが「よせ!」の男性の声でやめたようだ。その後男性が何か言っていただが、二人とも竹薮の中に入っていった。
現代では、お堂の前でお経をあげる行為が不審なのか?子供ならいざ知らず大の大人なのに。嫌な世の中になってきたものだ。
嫌な世の中といえば、昔の人は信仰心が強かったのだろう。今よりグンと少ない人口なのに神社やお寺や、此処のようなお堂があちこちに立っていた。当時は勤労奉仕は勿論の事、幾許かの寄付も当然しただろう。それが現代では、ここのお堂のように由緒もあり伝説も伝わっているお堂が朽ち果てようとしているのに何の手も打たない。いや打てないのかもしれない。
掛川では駅の保存活動が動き出したようだが、駅よりもここのお堂の保存か再建の方が大事であり必要と思うのだが、それは独りよがりの考えか。
と、格好いい事を言ったが、実際寄付を求められたらどうしよう。千円出すのはもったいないし、100円では申し訳ない。ご朱印代300円に色をつけて500円位しか出せないだろうな。
そうそう今書いた伝説の事を説明しておこう。
「今から1200年以上も前のころ、この山は修験者の道場だったそうな。その修験者の一人で弘道仙人という者が、山頂の大松の上に釣鐘を掛けてお参りをするようになったとか。その鐘には不思議な力があって、願い事をしながら鐘を打つと、その願いが叶うと信じられる様になっていったとさ。
それを聞いた村人は我先にと鐘を打ちに粟ヶ岳に登って、それまで淋しかった山も人で溢れるようになってしまった。それを見ていた寺の住職は「そんな疚しい心で富を得ても来世は必ず地獄に落ちてしまう」と、その鐘を山頂にあった井戸の中に沈めてしまったそうな。それ以来この鐘の事を無間の鐘、井戸のことを無間の井戸と呼ぶようになったとさ。
何故無間かって?それはお寺の山号の無間山からきているのではないかな。きっとその当時は粟ヶ岳のことは無間山と呼んでいたと思うよ。そうそうその井戸は今でも山頂に残っているので一度見てごらん」
お参りを終えてお堂の裏手に回ると古い階段があった。その階段を登って上に行くとロープが張ってある。ロープを潜ると立看板が目に付いた。見てみると「老巧化危険!階段禁止」と書いてある。エッ!下には書いてなかったはずだが?いや書いてなかったと思うが確かではない。ただロープは張ってなかった。今更戻るわけにもいかない。ご免なさい。
更に上に行くと大きな石が積み重なっている。標識には「磐座」と書いてある。これはイワクラと言って古代神様がこの岩の上に降臨したとされる岩で、簡単に言ってしまえば神様専用の座席なのだろう。この粟ヶ岳の神様は阿波比売命と言うらしいので、その神様の椅子という事だ。
アレー?ここで粟ヶ岳のアワが出てきた。神様の名前の阿波---と言うから山の名前もアワ山と言うのか? 神様の名前が先か、山の名前が先か。
更には神(神社)が先か仏(寺)が先か。アワ山なのか無間山なのか。無間山で無間の鐘か、無間の鐘だから無間山なのか。もう分からなくなってしまった。
因みに調べてみると神社も寺も創建は同じ頃だった。
神社にお参りして。ウーン先ほどの朽ち始めたお堂と違ってこちらの神社は中々の物だ。
違いは何所にあるのだろ?私ごときには分る事ではないが、現代では寺と言うと葬式、墓など死者を連想してしまい、どちらかと言うと来世のイメージだ。一方神社は結婚式や七五三など現世利益を感じさせるので現代人にはマッチしているのかもしれない。
寺も葬式ばかり拘らず現世に目を向けて、例えばこの様な観音霊場巡りも信仰心ばかり強調するのでなく、ウォーキングによる健康維持も視野に入れるとよい。専用の納経帳をつくり、その中には札所間の地図も載せ距離や掲載すると良い。
遍路=信仰心だけでなく 遍路≒スタンプラリーととらても良いのではないか。寺に来ない人を寺に寄せる。これが仏教界復活の一歩だと思うのだがどうだろう。スタンプラリーで訪れる人が出てきたら寺側は無関心でいないでお茶の一杯も接待して話をしていれば仏教に目覚める人も出てくるかもしれない。
オットトなんだか話が都合よくなってしまった。お茶のお接待をしろなど現世利益誘導に他ならない。ずうずうしい男だ。
3.6k 1.6k 2.3k 1.4k 7.1k 3.4k 7.1k 4.2k
川駅-新福寺-天養院-真昌寺-浄円寺-観音堂-長福寺-観音寺-金谷駅
38 18 30 20 1:42 55 1:32 48
歩行距離 30.7k
総時間 9時間10分
歩行時間 6時間43分
平均歩行時速 4.6k
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粟ヶ岳山頂へ
お参りをしていると軽トラがお堂の横に停まりお年寄りの夫婦が降りてきた。荷台から袋や鍬らしき物を取り出している。どうやらお堂の横にある竹薮の竹の子を取りにきたようだ。そのうち女性が私の方を見て「何してるの」ととがった声をあげる。
何してるって、お経をあげているのが分らないのか、と胸の中では思うがお経は止めなかった。女性は私の方に近寄ってくる気配を示したが「よせ!」の男性の声でやめたようだ。その後男性が何か言っていただが、二人とも竹薮の中に入っていった。
現代では、お堂の前でお経をあげる行為が不審なのか?子供ならいざ知らず大の大人なのに。嫌な世の中になってきたものだ。
嫌な世の中といえば、昔の人は信仰心が強かったのだろう。今よりグンと少ない人口なのに神社やお寺や、此処のようなお堂があちこちに立っていた。当時は勤労奉仕は勿論の事、幾許かの寄付も当然しただろう。それが現代では、ここのお堂のように由緒もあり伝説も伝わっているお堂が朽ち果てようとしているのに何の手も打たない。いや打てないのかもしれない。
掛川では駅の保存活動が動き出したようだが、駅よりもここのお堂の保存か再建の方が大事であり必要と思うのだが、それは独りよがりの考えか。
と、格好いい事を言ったが、実際寄付を求められたらどうしよう。千円出すのはもったいないし、100円では申し訳ない。ご朱印代300円に色をつけて500円位しか出せないだろうな。
そうそう今書いた伝説の事を説明しておこう。
「今から1200年以上も前のころ、この山は修験者の道場だったそうな。その修験者の一人で弘道仙人という者が、山頂の大松の上に釣鐘を掛けてお参りをするようになったとか。その鐘には不思議な力があって、願い事をしながら鐘を打つと、その願いが叶うと信じられる様になっていったとさ。
それを聞いた村人は我先にと鐘を打ちに粟ヶ岳に登って、それまで淋しかった山も人で溢れるようになってしまった。それを見ていた寺の住職は「そんな疚しい心で富を得ても来世は必ず地獄に落ちてしまう」と、その鐘を山頂にあった井戸の中に沈めてしまったそうな。それ以来この鐘の事を無間の鐘、井戸のことを無間の井戸と呼ぶようになったとさ。
何故無間かって?それはお寺の山号の無間山からきているのではないかな。きっとその当時は粟ヶ岳のことは無間山と呼んでいたと思うよ。そうそうその井戸は今でも山頂に残っているので一度見てごらん」
お参りを終えてお堂の裏手に回ると古い階段があった。その階段を登って上に行くとロープが張ってある。ロープを潜ると立看板が目に付いた。見てみると「老巧化危険!階段禁止」と書いてある。エッ!下には書いてなかったはずだが?いや書いてなかったと思うが確かではない。ただロープは張ってなかった。今更戻るわけにもいかない。ご免なさい。
更に上に行くと大きな石が積み重なっている。標識には「磐座」と書いてある。これはイワクラと言って古代神様がこの岩の上に降臨したとされる岩で、簡単に言ってしまえば神様専用の座席なのだろう。この粟ヶ岳の神様は阿波比売命と言うらしいので、その神様の椅子という事だ。
アレー?ここで粟ヶ岳のアワが出てきた。神様の名前の阿波---と言うから山の名前もアワ山と言うのか? 神様の名前が先か、山の名前が先か。
更には神(神社)が先か仏(寺)が先か。アワ山なのか無間山なのか。無間山で無間の鐘か、無間の鐘だから無間山なのか。もう分からなくなってしまった。
因みに調べてみると神社も寺も創建は同じ頃だった。
神社にお参りして。ウーン先ほどの朽ち始めたお堂と違ってこちらの神社は中々の物だ。
違いは何所にあるのだろ?私ごときには分る事ではないが、現代では寺と言うと葬式、墓など死者を連想してしまい、どちらかと言うと来世のイメージだ。一方神社は結婚式や七五三など現世利益を感じさせるので現代人にはマッチしているのかもしれない。
寺も葬式ばかり拘らず現世に目を向けて、例えばこの様な観音霊場巡りも信仰心ばかり強調するのでなく、ウォーキングによる健康維持も視野に入れるとよい。専用の納経帳をつくり、その中には札所間の地図も載せ距離や掲載すると良い。
遍路=信仰心だけでなく 遍路≒スタンプラリーととらても良いのではないか。寺に来ない人を寺に寄せる。これが仏教界復活の一歩だと思うのだがどうだろう。スタンプラリーで訪れる人が出てきたら寺側は無関心でいないでお茶の一杯も接待して話をしていれば仏教に目覚める人も出てくるかもしれない。
オットトなんだか話が都合よくなってしまった。お茶のお接待をしろなど現世利益誘導に他ならない。ずうずうしい男だ。