アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

いじめ問題の周辺

2006年10月27日 21時28分48秒 | Weblog
 いじめ事象の幾つかに教師と学校に責任があることは認める。だから学校を責める風潮には異論がある。
 最近は親が学校のあれこれに口を出しすぎる。それがまともな意見なら、ぼく達は素直に頷ける。しかし、殆どが自分の子どもだけをみて、自分のこどものための苦情でしかない。それも、教師からこう言われたという子どもの言葉を通してなのだ。
 生活態度、学習態度、そして成績で何かあれば注意する。何度注意してもなおらなければ指導は厳しくなる。厳しくなったその一部を子どもは親に言う。子どもの自衛本能だろうが、それに過剰反応する。
 高校なら退学もできるが、小学校、中学校にはそれはない。現場の教師の苦しさをマスコミは何も伝えない。マスコミは偏っているとしか思えない。マスコミによる教師いじめだ。コメンテーターが、情けなさと怒りを装った顔で、教師に反省を促すような言葉を並べるが、報道の一部だけでの感想以外の何物でもない。しかし、それを観ている人は信じるのだ。
 いじめは良くない。当たり前だ。それを教師が行った例もある。しかし、それは全体から見れば稀有な例ではないのか。それを教育現場ではそうなっているようなたれ流し報道だ。その報道に触れた保護者が過剰反応することを考えて欲しいと思う。他局よりも詳しくが、結局は深刻に問題を報じることになる、そういう報道が横行している。
 報道が次のいじめを生むこともあろう。その辺のデリカシーさが求められるのではないのか。ないものねだりか。

まだまだ増える履修不足

2006年10月27日 18時54分02秒 | Weblog
 高倉健が文化功労者に選ばれた。彼の歌う『唐獅子牡丹』だったかは、昔は放送禁止だったように思うが、遅い。彼はもっと早く評価してよかったと思う。最も、お上がそんなことしなくても、彼にはファンの確かな応援の感触は常にあったと思う。夭折で伝説になった俳優もいるが、彼はまだ現役で伝説になりつつあるように思う。『動乱』が完成して、今はなき『スター千一夜』で共演の吉永小百合と出演。しかし、健さんが余り喋らないので、何か音楽を流したいんだけど何かない、と言われ、まだ無名のリチャード。クレイダーマンを流したのは、ぼくでした。番組終了後、あの曲は何だという電話があり応対に苦慮したらしい。

 さて、連日の「履修不足」。全国PTAが文科大臣に要望書を出したらしい。PTAがもっと進学指導を、と、学校に要望した経過もあるのではないかと思う。
 それにしても、「保健」すらしてなかった学校もあるというではないか。おそらく、今後、理科にも出てくるかもしれないから、更に数は増えるだろう。

 数年前だったか、文科大臣が「総合的な学習の時間を見直さないといけない」と漏らしたが、それは各国の高校生の学力の順位が下がったことを受けてのことだった。しかし、そんなことは現場ではとっくにわかっていたのだ。それを何も考慮せず、やれゆとりだ云々して、現場無視の改革をしてきた。困るのは現場だ。総合的な学習の時間なんてのは、文科省のご都合主義の結果の鬼っ子ではないのか。現場でどれだけ忠実に実施してきたか、極めて疑わしい。進路研究という名前の授業が一番多いはずだ。文科大臣が「見直し」を言うのだから、現場では先取りしたといえばいいだけのことだが。

 大学進学を希望する生徒がいればどうにかして叶えてやりたいと思うのは当たり前のことだ。競争の激しければ、他より早くスタートするしかない。これもわかる。でも、まともにやっている学校の生徒はどうするんだ。全国PTAの視点にはそれがない。

 どうか「生徒のため」という言葉は使わないで欲しい。一流進学校は校長として最高の「上がり」の場所。結局は自分のためでしょ。だから、潔く辞任しなさい。