アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

それで解決できるか、お母さん

2006年10月12日 21時35分35秒 | Weblog
 文化祭二日目は午前がステージ。午後が展示観覧。男子生徒による「ミスコンテスト」は「ミスコントロール」が正解だったような・・・。その後、女生徒によるファッションショーは華麗で、艶やかで、美しかった。で、バタバタしてると、ある教師が「ファッションショーで見に来てた保護者からクレームが来たようですよ」と囁かれた。「飲み屋の人みたいな格好で、あれは良くない」という内容だったらしい。それを電話で幹部に言い、そこから、担任に話しが伝わった。
 それはおかしい。生徒がやりたいようにやり、そこから、彼らに「触れる」ことが大切ではないのか。何かあると上を通してから顔のない声を出す。それこそイビツで、醜い。まず自分で受け止めて、考える。そしてどうすればいいかを考え、それを自分の子どもに伝え、話し合うべきだ。ファッションショーの華麗、艶やか、美しさのガキンチョに嫉妬してるからだ、と、ぼくは納める。
 NOを言うことでしか発言できないのは悲しい。その貧しい精神。

 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んでみなさい。竜馬も彼をめぐる三人の女性も可愛い。愛される人の一つの形がわかるだろう。もっとも、ぼくはまだ三分の二を読んでいるところだけれど。