アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

再び個性について

2006年05月30日 18時31分51秒 | Weblog
 中学校から高校に進学する時、推薦入試では推薦の条件がある。多くは部活動での活動、他には生徒会やボランティアの活動がある。それは個性ではなく、特技や能力、顕著な活動だ。その辺に個性は見え隠れする。しかし、それをもって個性と判断するのは良くない。「君はサッカーが上手いね」という言い方は可能だけれど、「そうかサッカーが君の個性か」とは言えないではないか。
 個性はむしろ体臭に近いかもしれない。抑えても出てくる。敵国語として英語が禁じられていた戦時でも、英語や英語作品、ジャズやナンテロやカンテロをこっそりというケースは少なくない。ついついやってしまうのだ。そういう具体的なことをしなくても、自分の体内にフツフツと浮かんでくるものがある。個性は抑えても抑えても出てくる。
 どうも、「ものわかりのいい」オトナが雨後のタケノコみたいに急に出現し始めた時期がある。NOを言わないで、YESを言う。
 子どもにとって、オトナも、オトナの世界も理不尽なところがある。何でや!チクショー、クソッタレ!子どもにはそう思わせればいい。
 ものわかりのいいオトナは子どもに与える。惜しみなく与える。でも、それは子どものためではなく、自分のためなのだ。
 全ては一つの疑問で解決できるかもしれない。

 それは、誰のためだ?

コメントを投稿