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『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』(テキスト形式タイプ)
はじめに
えっ違ってたんだ。「独居自炊」じゃなかったんだ! 私は軽い眩暈を感じた。宮澤賢治といえば下根子桜時代は「独居自炊」であったとばかり思っていた。それが、そこには次のように書かれてあるではないか。
賢治も承諾の返事を出していたが、この日断わりの使いを出す。使者は協会に寝泊まりしていた千葉恭で六時頃講演会会場の仏教会館で白鳥省吾にその旨を伝える。
<『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)>
と。これはいわゆる『校本全集』(筑摩書房)の年譜(以後「校本年譜」と略記)の大正15年7月25日の記載の一部であり、賢治が下根子桜に移り住んだ年の夏の出来事である。そこに
〝寝泊まりしていた千葉恭〟
と書かれているということは、その当時千葉恭という人物が賢治と一緒に暮らしてしていたんだということになる。そうなると「独居自炊」じゃなくなるのではなかろうか。そしてそもそもこの千葉恭とは如何なる人物だったのだろうか? こんな人がいたなんていままで全く私は知らなかった……。私の頭の中はしばし混乱、そして呆然としてしまった。
がしかし、落ち着いてみると今度はそれがいつから始まりいつまでだったのかということを無性に知りたくなった。そこで「校本年譜」の頁を捲ったり捲り直したりして、千葉恭という人物が賢治と一緒に暮らし始めた「日」、はたまたいつまで一緒であったかをという「期間」を確認しようと思った。
ところが私からすれば不思議なことに、賢治にまつわることの殆ど全てを網羅していると思っていた「校本年譜」には、調べても見直してみてもどこにもその「日」及び「期間」は明確には記されていなかったのだった。
それならば千葉恭は下根子桜の賢治の許でいつから暮らし始めたかというその「日」、及びそこでいつまで賢治と一緒に暮らしていたかというその「期間」を特定してみたいという、ひいては千葉恭なる人物のことを知りたいという衝動に駆られてしまい、その後あちこちいていろいろと尋ね廻ってみた。本書はその記録である。
私は花巻に移り住んでから約20年が経ったが、賢治のことを高校時代から尊敬はしていてもいままで地元に住んでいながら賢治のことはほとんど知らないままに過ごしてきた。これから千葉恭を尋ねる旅を始めれば、千葉恭のことだけではなくて賢治のことも少しは理解が深まるかもしれない。
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はじめに
えっ違ってたんだ。「独居自炊」じゃなかったんだ! 私は軽い眩暈を感じた。宮澤賢治といえば下根子桜時代は「独居自炊」であったとばかり思っていた。それが、そこには次のように書かれてあるではないか。
賢治も承諾の返事を出していたが、この日断わりの使いを出す。使者は協会に寝泊まりしていた千葉恭で六時頃講演会会場の仏教会館で白鳥省吾にその旨を伝える。
<『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)>
と。これはいわゆる『校本全集』(筑摩書房)の年譜(以後「校本年譜」と略記)の大正15年7月25日の記載の一部であり、賢治が下根子桜に移り住んだ年の夏の出来事である。そこに
〝寝泊まりしていた千葉恭〟
と書かれているということは、その当時千葉恭という人物が賢治と一緒に暮らしてしていたんだということになる。そうなると「独居自炊」じゃなくなるのではなかろうか。そしてそもそもこの千葉恭とは如何なる人物だったのだろうか? こんな人がいたなんていままで全く私は知らなかった……。私の頭の中はしばし混乱、そして呆然としてしまった。
がしかし、落ち着いてみると今度はそれがいつから始まりいつまでだったのかということを無性に知りたくなった。そこで「校本年譜」の頁を捲ったり捲り直したりして、千葉恭という人物が賢治と一緒に暮らし始めた「日」、はたまたいつまで一緒であったかをという「期間」を確認しようと思った。
ところが私からすれば不思議なことに、賢治にまつわることの殆ど全てを網羅していると思っていた「校本年譜」には、調べても見直してみてもどこにもその「日」及び「期間」は明確には記されていなかったのだった。
それならば千葉恭は下根子桜の賢治の許でいつから暮らし始めたかというその「日」、及びそこでいつまで賢治と一緒に暮らしていたかというその「期間」を特定してみたいという、ひいては千葉恭なる人物のことを知りたいという衝動に駆られてしまい、その後あちこちいていろいろと尋ね廻ってみた。本書はその記録である。
私は花巻に移り住んでから約20年が経ったが、賢治のことを高校時代から尊敬はしていてもいままで地元に住んでいながら賢治のことはほとんど知らないままに過ごしてきた。これから千葉恭を尋ねる旅を始めれば、千葉恭のことだけではなくて賢治のことも少しは理解が深まるかもしれない。
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