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あとがき(テキスト形式)

2024-03-19 08:00:00 | 賢治と一緒に暮らした男
あとがき
 えっ違ってたんだ。「独居自炊」じゃなかったんだ!
ということを知ってから始めた千葉恭を尋ねる旅もこのの辺でひとまず終えたい。もうこれ以上のことは現時点では私には分からないからである。
 当初、なかなか入り口の見つからない旅だったが、多くの人のお陰である程度の地点までは辿り着けたと思うし、私自身としては結構稔り多い旅だった。
 これまでに次のようなこと
・千葉恭の出身地
・千葉恭が穀物検査所を辞めた日、復職した日
・千葉恭が松田甚次郎を下根子桜の別宅で直に見てい
た日
・千葉恭は賢治から肥料設計をしてもらったこと
などを明らかに出来たし、
・千葉恭が下根子桜で賢治と一緒に暮らしていた期間をある程度推測出来た
からである。
 いままでは、宮澤賢治は下根子桜時代の二年四ヶ月を独居自炊生活したとばかり思っていたが、調べてみたならばそうとばかりは言えなさそうである。やはり、下根子桜時代の賢治はかなりの長期間、もしかすると下根子桜時代の約三分の一の長きにわたって千葉恭という人物と一緒に暮らしていたようであるからである。したがって、下根子桜時代の賢治は厳密には独居自炊生活であったとは言えなさそうである。
 なお、これだけ時代が下ってしまうと当時の検証は極めて難しいことなのだということをつくづく思い知らされた旅でもあった。とはいえ、逆に言えば今がそれを出来る最後のチャンスなのかも知れないとも思っているので、これからも引き続いて千葉恭に関しては調べて行きたい。必ずや、いまだ知られていない彼に関する資料が眠っているはずだということを期待しながら。
 最後になりましたが、千葉恭を尋ね廻るに当たってお世話になりました安藤勝夫氏、牛崎敏哉氏、菊池忠二氏、イーハトーブ館、大船渡市立図書館、奥州市立胆沢図書館、新庄ふるさと歴史センター、新庄市立図書館の各位、各機関そして現段階では明らかに出来ないが「あるルート」とその担当の方にもそれぞれ感謝を申し上げ、取材に応じて下さった千葉恭のご子息千葉益夫氏及び千葉滿夫氏、同僚の千葉啓氏にも厚く御礼申し上げます。また、いろいろと助言をしてくれた鈴木修氏にも感謝したい。
平成23年11月9日 
著者
      <千葉恭 略年譜>
明治39年12月20日 真城村(現奥州市水沢区真城)に生まれる
大正10年4月(14歳) 水沢農学校入学 
大正13年3月(17歳)   〃  卒業
大正13年10月   岩手県穀物検査所花巻出張所着任、検査員
 〃  11月12日 同穀物検査所にて賢治と出会う
 〃  11月14日 夜、花巻農学校の賢治を宿直室に訪ね、そ
の後やぶ屋へ 以降2、3日位に1回の割で電話があり、農学校を訪ねる
大正14年(18歳)  岩手県穀物検査所花巻出張所検査員
 〃  10月20日 豊沢町の賢治宅訪問
大正15年6月22日 岩手県穀物検査所退職直後から下根子桜に
8ヶ月余寄寓したと見られる
 〃  7月25日 白鳥省吾に賢治の代わりに断りに行く
昭和2年3月8日 下根子桜を訪ねた松田甚次郎を目にする
昭和2年春(推定) 下根子桜を去り実家に戻って帰農、「研郷
会」組織、以後頻りに下根子桜訪問→研郷会にて伝達講習→賢治に報告
昭和7年3月31日 岩手県穀物検査所宮守派出所に正式復職
昭和8年7月31日~   〃    福岡出張所
昭和8年8月24日~    〃    宮守派出所
昭和9年(27歳)      〃   黒沢尻出張所立花二子兼
更木派出所検査員  
│    <宮澤賢治関連(賢治以外に関してはゴシック)>
│ 明治39年(賢治10歳) 小学3年生
│ 明治42年( 〃 13歳)4月 盛岡中学入学
│ 大正4年( 〃 19歳)4月 盛岡高等農林入学
│ 大正7年( 〃 22歳)3月   〃   卒業
│   〃      4月   〃   研究生となる
│ 大正10年( 〃 25歳)1月 出奔、滞京自活
│   〃       12月 稗貫農学校教諭(八級奉八〇円)
│ 大正11年( 〃 26歳)11月 妹トシ永眠
│ 大正13年( 〃 28歳)4月 『春と修羅』出版
│   〃      12月 『注文の多い料理店』出版
│ 大正15年( 〃 30歳)3月 花巻農学校依願退職
│   〃      4月 下根子桜の別宅に移り住む
│   〃   〃  松田甚次郎盛岡高等農林入学
│ 昭和2年( 〃 31歳)2月 岩手日報で「羅須地人協会」紹介
│   〃   4月 松田甚次郎帰村、小作人に
│   〃      9月   〃  「水涸れ」を公演
│ 昭和3年( 〃 32歳)6月 上京、伊豆大島訪問
│   〃      8月 発病、豊沢の実家に戻り病臥
│ 昭和5年( 〃 34歳)4月 東北砕石工場鈴木東蔵来訪
│ 昭和6年( 〃 35歳)2月 東北砕石工場技師(嘱託)となる
│   〃      9月 東京出張中に発熱、帰花臥床
│ 昭和7年     8月 松田甚次郎、「最上共働村塾」創立
昭和12年(30歳)      〃  立花兼更木派出所検査員
昭和18年(36歳)      〃  久慈出張所検査技手
昭和20年(38歳)  久慈勤務、フェーン現象による大火で賢治
からの手紙など焼失
昭和21年(39歳)  岩手県食糧管理事務所久慈支所長
昭和23年(41歳)      〃      気仙支所長
昭和25年(43歳)      〃      大船渡支所長
  〃  2月  「宮澤先生を追ひて」を著す(『四次元』)
  〃  3月  「宮澤先生を追つて(二)」を著す(『四次元』)
  〃  5月  「宮澤先生を追つて(三)」を著す(『四次元』)
  〃  6月  「宮澤先生を追つて(四)」を著す(『四次元』)
  〃  12月  「宮澤先生を追つて(五)」を著す(『四次元』)
昭和26年(44歳)   岩手県食糧管理事務所江刺支所長
  〃  2月  「宮澤先生を追つて(六)」を著す(『四次元』)
昭和28年(46歳)  NHK盛岡放送局の座談会に出席したと見られる。
昭和29年(47歳)  岩手県食糧管理事務所和賀支所長
  〃 12月21日  「宮澤賢治の会」例会で講演
昭和32年(50歳)  岩手県食糧管理事務所東磐井支所長
昭和34年(52歳)     〃      盛岡支所長
昭和36年(54歳)      〃      江刺支所長
昭和38年(56歳)      〃        〃  退職
昭和55年(73歳)  水沢第一高等学校にて講演
平成元年9月29日 永眠(84歳)水沢森山墓地
│ 昭和8年9月 21日永眠(37歳)
│ 昭和8年10月 松田甚次郎、鳥越記念隣保館建設
│ 昭和9年1月 『宮澤賢治追悼』(草野心平編)発刊
│   〃 10月 『宮澤賢治全集第三巻』(文圃堂)刊行開始
│ 昭和10年4月 『宮澤賢治研究1』(草野心平編)発刊
│ 昭和11年11月 「雨ニモマケズ」詩碑(所謂「賢治詩碑」)建立 
│ 昭和13年5月 松田甚次郎著『土に叫ぶ』(羽田書店)出版
│ 昭和14年2月 東京で「風の又三郎」「ポランの広場」上演
│   〃 3月 松田甚次郎編『宮沢賢治名作選』出版
│   〃 6月    〃 文部省推薦図書となる
│   〃  〃 『宮澤賢治全集』(十字屋版)刊行開始
│  〃  〃 菅野正男著『土と戦ふ』(満州版)出版
│ 〃 12月 『風の又三郎』(宮澤賢治著、羽田書店)発刊
│ 昭和15年3月   〃 文部省推薦図書となる
│   〃 10月 日活映画「風の又三郎」封切
│          〃 文部省推薦となり、文部大臣賞受賞
│ 昭和18年8月 松田甚次郎永眠(35歳)
│ 昭和19年9月 谷川徹三「今日の心がまえ」講演
│ 昭和20年10月 高村光太郎来花
│ 昭和21年8月 花巻空襲大火災、豊沢の賢治の実家焼失
│ 昭和24年10月 『四次元』(佐藤寛編)刊行開始
│ 昭和26年6月 『獨居自炊』(高村光太郎著、龍星閣)発刊
│ 昭和29年12月 『イーハトーヴォ復刊』(宮澤賢治の會)刊行
│        開始
      <引用・参考図書等>
(1)『松田甚次郎日記』(大正15年)
(2)『松田甚次郎日記』(昭和2年)
(3)『岩手年鑑』(岩手日報社、昭和7、9、11、12、13、18年)
(4)『四次元4号』(昭和25年1・2月、宮澤賢治友の会)
(5)『四次元5号』(昭和25年3月、宮澤賢治友の会)
(6)『四次元7号』(昭和25年5月、宮澤賢治友の会)
(7)『四次元9号』(昭和25年7月、宮澤賢治友の会)
(8)『四次元14号』(昭和25年12月、宮澤賢治友の会)
(9)『四次元16号』(昭和26年2月、宮澤賢治友の会)
(10)『イーハトーヴォ復刊2号』(昭和30年1月、宮澤賢治の会)
(11)『イーハトーヴォ復刊5号』(昭和30年5月、宮澤賢治の会)(12)『ふるさとケセン67号』(ふるさとケセン社、平成14年3月)
(13)『水沢農業高校同窓会名簿』(平成5年度版)
(14)『獨居自炊』(高村光太郎著、昭和26年、龍星閣)
(15)『岩手日報』(岩手日報社、昭和2年2月1日付)
(16)『校本宮澤賢治全集全巻』(宮澤賢治著、筑摩書房)
(17)『新校本宮澤賢治全集第十六巻』(宮澤賢治著、筑摩書房)
(18)『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、昭和13年、羽田書店)
(19)『宮澤賢治名作選』(松田甚次郎編、昭和14年、羽田書店)
(20)『宮澤賢治研究』(草野心平編、昭和14年、十字屋版)
(21)『宮澤賢治研究』(草野心平編、昭和33年、筑摩書房)
(22)『宮澤賢治』(佐藤隆房著、昭和17年、冨山房)
(23)『宮澤賢治』(佐藤隆房著、昭和26年、冨山房)
(24)『宮澤賢治覚え書』(小田邦雄著、昭和18年、弘學社)
(25)『雨にもまけず』(斑目榮二著、昭和18年、富文館)
(26)『宮沢賢治の世界』(谷川徹三著、昭和54年、法政大学出版  局)
(27)『宮澤賢治素描』(関登久也著、昭和22年、眞日本社)
(28)『宮澤賢治の肖像』(佐藤勝治著、昭和23年、十字屋書店)
(29)『宮澤賢治研究』(古谷綱武著、昭和23年、日本社)
(30)『雨ニモマケズ』(小田邦雄著、昭和25年、酪農学園通信教  育出版部)
(31)『昭和文学全集第14巻宮澤賢治』(昭和28年、角川書店)
(32)『宮沢賢治物語』(関登久也著、昭和32年、岩手日報社)
(33)『宮澤賢治全集十一』(宮澤賢治著、昭和32年、筑摩書房)
(34)『高村光太郎・宮澤賢治』(伊藤信吉編、昭和42年、角川書  店)
(35)『宮沢賢治』(中村稔著、昭和47年、筑摩叢書)
(36)『こぼれ話宮沢賢治』(白藤慈秀著、昭和56年、トリョウー  コム)
(37)『宮沢賢治修羅に生きる』(青江瞬二郎、昭和49年、講談社  現代新書)
(38)『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、昭和53年、東京  創元社)
(39)『宮澤賢治論』(西田良子著、昭和56年、桜楓社)
(40)『新編銀河鉄道の夜』(宮澤賢治著、平成3年、新潮文庫)
(41)『注文の多い料理店』(宮澤賢治著、平成18年、角川文庫)
(42)『宮沢賢治必携』(佐藤泰正編、昭和55年、學燈社)
(43)『宮澤賢治に聞く』(井上ひさし著、平成22年、文春文庫)
(44)『私の賢治散歩(下巻)』(菊池忠二著、平成18年)
(45)『四次元123号』(昭和36年2月、宮澤賢治研究会)
(46)『宮沢賢治という現象』(鈴木健司著、平成14年、蒼丘書林)
(47)『宮沢賢治―地人への道』(佐藤成編著、昭和59年、川嶋印  刷)
(48)『宮沢賢治の五十二箇月』(佐藤成編著、昭和61年、川嶋印  刷)
(49)『賢治の時代』(増子義久著、平成9年、岩波書店)
(50)『白鳥省吾の詩とその生涯』(築館町教育委員会・白鳥省吾編  集委員会築館町、昭和61年)
                  以上
 続きへ。
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 〝渉猟「本当の賢治」(鈴木守の賢治関連主な著作)〟へ。
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