みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

さくいん

2024-01-29 18:00:00 | 賢治と一緒に暮らした男











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<表表紙> 昭和10年(28歳)頃の千葉恭
<千葉滿夫氏 提供>

<裏表紙> 下根子桜の日の出
平成22年年11月13日朝6時半撮影

索引

あ行
愛国 │ 3
赤石村 │ 44,45,48,51,52
「雨ニモマケズ」 │ 8
「あるルート」 │ 60,62
E氏 │ 41,53
『イーハトーヴォ復刊2号』│
2,3,4,5,22,40,43,44,46,56,59,73
『イーハトーヴォ復刊5号』│
2,3,6,7,13,18,19,43,59,61,68
胆沢図書館 │ 38,39
石鳥谷肥料相談所 │ 23,24
「石鳥谷肥料相談所の思い出」│ 24
いちの川 │ 5,22,24
伊藤克己 │ 23,75
伊藤整 │ 25,26,27,32,33
伊藤忠一 │ 8,37,66,75
犬田卯 │ 12,26,27
岩田屋 │ 18,19,20
「巖手縣稗貫郡地質及土性調査報告書」
71,73
岩手県立図書館 35,36
『岩手縣内自動車便』  16
岩手日報 44,46,47,49,57,62
岩手日報社 │ 19,35,36
『岩手年鑑』 │ 19,35,36,59,62
A氏 │ 37,38
F氏 │
  38,39,40,41,43,59,60,62,64,65,68,69,75
大櫻(下根子桜のこと) 2,10,11,61
大船渡市立図書館 │ 33,38
岡本弥太 │ 25,27,33
小倉豊文 │ 81
折居 40,66
か行
『貌』 │ 32
額縁屋 │ 22,23,24
仮説○☆│ 61,62,66,68,69,71
寄寓期間(下根子桜の)│
│ 43,55,60,61,62,68
菊池信一 │ 23,24
菊池忠二 │ 25,27,71
奇妙な電信柱│ 40,41,42
共産村 │ 30,31,32
草野心平│ 2,18,23,26,30,31,32,48,55,75
研郷會 │13,14,15,16,62,64,65,67,70,73
「賢治抄録」 │ 2,17,20
「賢治精神」 │ 15,50
賢治の実家(豊沢町の実家、実家)│
       8,13,14,17,18,46,67,68,80
「賢治と千葉恭のこと」 │ 2,3
『賢治の時代』 │ 23
『校本(宮澤賢治)全集』│
    1,64,65,67,71,80
『校本宮澤賢治全集第十二巻(下)』│
63,64,65
『校本宮澤賢治全集第十三巻』│ 8
『校本宮澤賢治全集第十四巻』│ 1,45
「校本年譜」│ 1,44
穀物検査所│ │ 3,4,13,16
35,36,37,39,40,42,58,59,60,62,67,70,71,82
「小作人たれ」 │ 45,50,56,57,58
「断りの使者」 │ 1,12,13,28,59,61
さ行
最低生活 │ 11,15
盛町 │ 3,15,16,17,33,34,41,53
佐藤隆房 │ 20,22,25,48,49,52,53,67
佐藤成 │ 2,3,4,16,20,23,73
澤里武治 │ 20,49
三新 │ 23,24
C氏 │ 37,38,49,66
G氏 │ 42,43,73
自炊生活 │ 3,4,5,40,58,59,80,81
自炊農耕生│ 11
『詩壇消息』 │ 25,26,27,30
下根子桜時代 │
  1,2,3,19,37,69,71,76,79,80,81,82
下根子桜の寄寓│ 5,7,10,11,13,16,22
33,40,43,44,46,55,56,60,61,62,66,68,70,71
下根子桜の別宅│ 10
11,12,13,17,19,33,45,46,47,58,59,66,80,82
十字屋 │ 6,7,19,20
昭和2年2月1日 │ 46,57
昭和2年3月4日 │ 55
昭和2年3月8日 │ 44,45,47,48
50,52,53,54,56,57,58,60,61,62,66,71
昭和2年8月8日 │ 53,54,56,57
昭和7年3月31日 │   60,62
『昭和10年版岩手縣全図』│     16
昭和29年12月21日 │   3,7,43
『昭和文学全集第14巻宮澤賢治』 81
「植物病院」 │ 23
食糧管理事務所│ 7,36,37,41,42,43
白鳥省吾 │
1,12,13,25,26,27,28,30,31,32,33,59,61
白鳥省吾記念館 │ 28
『白鳥省吾の詩と生涯』 │27,28,30
『新校本(宮澤賢治)全集』│71,73,80
「新校本年譜」 │ 31,41,58,76
『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)』
49,71
新庄ふるさと歴史センター│
49,50,51,52,53,55
新庄市立図書館 │ 50
真城 40,63,64,65,66,69,70,71,73
「随想宮沢賢治」 │ 27
「水稲肥料設計」 │ 73,74
〔施肥表A〕 63,64,65,66,67,69,70,71,76
セロ │ 47,48,49,75
「先生の訓へ」(「訓へ」)│
44,45,46,49,58,75
「先生と私達―羅須地人協會時代―」
23,75

た行
大正13年11月12日 │ 3,4,70,71
大正14年10月20日 │ 17,18
大正15年6月22日 │ 60,61,66
大正15年7月25日 │1,13,25,28,43,59
大正15年12月2日 │ 20,49
大正15年12月25日│ 49,50,51,52,53
「大正期の花巻地図」│ 23
『太平洋詩人』 │ 30
高村光太郎 │ 80,81
蓄音器(蓄音機) 6,7,17,18,19,20,21
蓄音機屋 │5,6,22,24
『地上楽園』 │ 26,27
地人學会 │ 55
【千葉恭関連文献】 │ 2,33,43
『注文の多い料理店』 │ 32,42
「月夜のでんしんばしら」│ 41,42
『土に叫ぶ』 │
      44,45,47,48,50,51,5253,55,57
堤沢(堤ヶ沢) │ 64,65,66,70
D氏 │ 38
デクノボー │ 8
等級検査 │ 3,9
童話會 │ 14,15
独居自炊1,2,3,5,69,71,76,77,79,80,81,82
『獨居自炊』(随筆集) │80,81
【「独居自炊」に関する文献】│ 77
トマト │ 6,11,39,67,68,75
銅鑼 │ 30
な行
中林下 │ 64,65,66,70
「二百円」 │ 20,22,49
『日本詩人』 │ 25,26
農會 │     14
農事相談所 │ 23
「農村劇をやれ」 │ 45,50,56,57,58
農民(村)劇14,15,45,46,47,48,50,56,57,58
農民芸術概論綱要 │ 16
花巻農学校(農學校)│ 3,5,9,20,77

は行
『春と修羅』│ 25,26,27,30,31,32
B氏 │ 64,65,67,68,69,71,76
肥料設計 │
16,5,21,22,23,24,25,63,64,65,69,72,73,82
肥料相談所 │ 22,23,24,25
『拡がりゆく賢治宇宙』│ 23,75,76
『ふるさとケセン67号』│ 2,3,33,34
『ふれあいの人々』 │ 7,32
ま行
町下 63,64,65,66,67,68,69
松田甚次郎(松田さん)│4,5,12,15,37,43
 44,45,46,47,50,51,53,54,55,56,57,58,60,82
『松田甚次郎日記』(『〃の日誌』)
44,50,51,52,53,54,56,58
マンドリン │ 40,67,75,76
「水涸れ」 │ 54,57
水沢農學校 │ 3,15,34,35,41
水沢農業高校 │ 34,35
『水沢農業高校同窓会名簿』│ 34,35
『宮沢賢治Annual Vol.10』│ 30
宮沢賢治イーハトーブ館 3,23,75,82
宮沢賢治学会イーハトーブセンター3
『宮沢賢治語彙辞典』 │ 2,71
『宮沢賢治という現象』│ 27
『宮沢賢治―地人への道―』│ 23,73
『宮澤賢治』(佐藤隆房著)
20,22,48,49,52,67
『宮澤賢治研究』(草野心平編)  
2,18,23,48,55,75
『宮澤賢治研究資料集成第7巻』│33
『宮澤賢治の五十二箇月』 │20
「宮沢賢治の同時代評価」 │30
『宮沢賢治必携』 │42
『宮澤賢治名作選』 50
「宮澤先生と私」 │ 47,55
「宮澤先生を追ひて」 │2,8,10,17,33
「宮澤先生を追つて(二)」│
2,13,15,59,63,64

「宮澤先生を追つて(三)」
2,10,11,43,56,61
「宮澤先生を追つて(四)」│
│ 2,18,19,21
「宮澤先生を追つて(五)」│ 2,25,72
「宮澤先生を追つて(六)」│ 2,25
宮澤政次郎(政次郎) │ 20,49
宮守 │ 39,60,62
民衆派詩人(民衆詩派)│25,26,27,31
「面会謝絶」 │ 25,26,27,30,32,33
最上共働村塾 │ 15,50
森荘已池 │ 7,32,71
盛岡高等農林(盛岡高農、高等農林)
44,47,49,53, 54,55,57,58,60
や行
柳原昌悦 │ 49
『熔樹林』 │ 27
『四次元4号』 │ 2,8,9,10
『四次元5号』 │ 2,14,16,59,65,70
『四次元7号』 │
2,3,10,11,12,44,56,61,68
『四次元9号』 2,19,21,73
『四次元14号』│ 2,25,72
『四次元16号』│ 2,25
『四次元123号』│ 71,72,73
ら行
羅須地人協会 │ 2,5,6
8,11,21,22,25,34,47,49,61,67,68,73
羅須地人協会時代│
  2,6,10,23,43,44,47,56,75
「羅須地人協会時代の賢治」│
2,3,6,10,43,44,56
「羅須地人協会時代の賢治(二)」 2,43
陸羽一三二号 │ 3,24
レコード │   7,18,20,30,31,45,54
わ行
『若い詩人の肖像』 │ 25,26
早生大野 │ 3
『私の賢治散歩(下巻)』│ 25
******************************************************* 以上 *********************************************************
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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

【新刊案内】
 そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))

であり、その目次は下掲のとおりである。

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 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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