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お愉しみはココからだ!!

映画・音楽・アート・おいしい料理・そして...  
好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

「神様もきっと、そういう目にばかりあうんでしょうね」

2006年05月14日 | パルプ小説を愉しむ
前回に続きロバート・ウォーカーの作品からです。『ハートのクイーン』は「女検死官ジェシカ・コラン・シリーズ」となっているが、前作で紹介した超能力者のキム・デジナーもジェシカ・コランと並んで主人公として活躍しています。

科学に裏打ちされたものしか信用にはジェシカが超能力者のキムと一緒に連ニューオーリンズの連続殺人事件を調査することになった時、お互いの能力を認め合いながらも警戒しあったジャブの応酬があります。自分の狙う別の連続殺人犯に怯えるジェシカはキムの超能力にすがろうともしますが、一時心を許しあうシーンでジェシカがキムに言った台詞。超自然的で説明のつかない出来事を見せ付ける超能力者に、頼りにしながら他方で全面的に信用しようとはしない、そんな多くの人間の態度をジェシカはこういったのです。

「神様もきっと、そういう目にばかりあうんでしょうね」

常々思うのだが、このような気の利く台詞が出せることが欧米のノベルの粋なところだと思う。こんな台詞を実生活で吐いてみたい。

粋な台詞の他に、物語の進行に併せて作者なりの哲学が登場人物の口を借りて出てくることも魅力の一つ。

「わたしたちが誰で、どういう人間かとか、これからどういう人間になるかを左右するのは、わたしたちが抱いている恐怖心と不安なのよ」

何気ない台詞なのだが、仕事なり恋愛なりで他人と相対峙するときに、相手方がこちらをどう思うかって気になりません?交渉に強い人間って、こちらがどう思おうと関係なくグイグイと攻めてくる。こちらは相手がどう思うかが気になってくると、相手の望むようなことをつい言ってしまう。「恐怖心と不安」を持つか、持ったとしてもどう対処するか、世に問うほどの名言ではないが、真理をついていると思う。作者の哲学がこんな形で出て来ることも読書の愉しみだ。

ニューオーリンズでゲイばかりが狙われる連続殺人が起こる。被害者がすべて心臓を抉り取られているという共通がある。別の狂人殺人犯から付けねらわれているため、ボディガード付の生活で隔離されているジェシカは、殺人犯を誘きよせるためにもニューオーリンズ行きを希望する。一緒に行くのは超能力者のキム・デジナー。お互いに信頼しつつ、でも対抗意識を持ちつつ、現場に乗り込むが、担当の警官はどちらにも素っ気無い。自分の担当事件が取上げられると思っているから。有能だが敵意を持つ担当警官と一緒に事件に当たるのだが、このあたりの反発と次第に育ってくる尊敬の念は決してワザとらしくはないが、お約束のパターン。結末は、親からの愛情を嫉妬するあまり弟を妬む最初の被害者の姉(精神を病んでいる)が犯人で、この一族が政界に顔が利くばかりに、警察上部と地元FBI局長すべてに因果を含めて事件を歪めていた。それを科学捜査に超能力が加わって、一気呵成に解決していく。

謎解き自体は大した魅力ではないです。ジェシカとキム、そして地元警察のシンスボウのお互いの対抗意識とそれらが氷解するまでに進行が読みどころ。

「人生は振り返って理解することはできる。しかし、人は前に向かってしか生きられない」

キルケゴールが言った台詞として紹介されているが、これも実生活に当て嵌まる名句。例えば、ビジネスにおいて結果論からどうやこうや解説する輩がいるが、説明や解説が上手くても、自分がビジネスを実行できる訳ではない。人が気付く前に市場ニーズを見出し(これは時には独断的な判断のように見られることがある)、それへの対応を考え出す。誰もやったことがなく、気付いてないことだから、上手な説明ができる訳でもない。得てして廻りは反対意見。これを押し通して成功するやいなや、「顧客のニーズをうまく汲み取った」とかなんとか解説がなされて、成功するのが当たり前であるかのように説明をする評論家たち。最近そんな報道や社内での小ざかしいコメントにうんざりして来ている。

「おれのためだったら、どうぞそのままで」

2006年05月05日 | パルプ小説を愉しむ
『肩の上の死神』(ロバート・ウォーカー)の主人公ルーカスが、同じ分署に勤める精神科医メレディスの自宅に深夜寄った時、身支度をしてくると言ったこの美貌の精神科医に対して言った台詞。何気ない言葉でありながら、意味深で気になる台詞。

ルーカスはテキサス・インディアンの血を引くヒューストン警察の刑事。そしてメレディスは才色兼備の白人の女性。この二人は惹かれあっているのだが、寄ると必ず言い合いが始まる。男女設定が逆だったら、何の問題なく恋愛関係をうまく進展させているだろうに、男が少数派民族だと白人女性との恋愛は難しいのはアメリカらしい。尤も、差別されてきたことが明白で、常に差別を主張し続けている黒人の場合は、逆に特別に扱わないと「人種主義者」というレッテルを押されてしまうので、相手が白人女性であっても物語の中での恋愛は自由なのだが。

ヒューストンで黒人少年ばかりを狙う連続誘拐殺人が発生。ルーカスは捜査チームに入れないが、担当となったFBI心霊捜査官の要請で、メレディスと三人で捜査にあたることになる。この事件と平行して、50年前のインディアン女性殺害の捜査も気になっているため、同時に扱うことになる。

心霊捜査官のキムは、超能力で被害者の意識に入り込み、どこで何をされているか、相手はどんな人間なのかを透視しようとする。インディアンの英知を持っているルーカスもちょっとは神がかり的な能力があって、独自のやり方で犯人像プロファイリングを作成する。捜査過程や謎解きには魅力がないのだが、たぶんにインディアン霊感を持っているがごとく描かれるルーカスのミステリアスかつスピリチュアル、ストイックな魅力がこの小説のキーポイントとなっているんだな。

著者はルーカスにインディアンとしてのアイデンティティを主張させるために、白人を意識した言葉を多く吐かせている。

「白人は、現実を簡潔でもっともらしい言葉にまとめるのが好きなんですよ。バンパー・ステッカーに刷り込むのにちょうどいい言葉にね」

別に白人の限らない。ちょっと頭が切れると自惚れている輩が吐く気取ったコメントに対して、言ってやるのに相応しい台詞だな。

「そういうあなたを見たくないんですよ」

2006年04月30日 | パルプ小説を愉しむ
『影の叫び』(エゴ・ゴーマン)の主人公ジャック・デゥワイアは私立探偵。それもフィリップ・マーローばりのとびきりハードボイルド派。でもちょっと違うんだな、人物が。弱いものに暴力を振るう奴等には強い腕っ節で対抗し、日々の生活に追われる市井の人々には優しい目を向ける。毎日を精一杯生きている人たちに対して、その人ならでは美点を見つける優しくヒューマンな心の持ち主という文句のないハードボイルド主人公なんだが、やりすぎちゃいましたね、エド・ゴーマンは。あまりにハードボイルドとしての印象を強めた結果、かえって不自然になってしまった。清廉潔白すぎて近づきがたい人間がいるように、この主人公も親近感が持てないお話の中での作り物としての存在になってしまった。ロス・トーマスが描く登場人物たちだと、ワルとは分かっていながら好きになってしまう人間臭さプンプンなのに対して、ジャック・デゥワイアはアンドロイドみたいに完璧な主人公なので、尊敬はできても好きになれないのです。小説の主人公としてはちょっとね、って感じがしてしまうのです。

超一流レストランのオーナーの一人が殺され、その奥方に殺人事件調査を依頼される。この奥方も、もう一人のオーナーも被害者を嫌っていた。2ブロック先にあるホームレス保護施設に勤める女性を訪ねて色々なことを聞き出そうとするのだが、そのシーンでタイトルに書いた台詞が登場する。

これって便利な台詞だと思いました。女性にあれやこれや辛らつなことを言ったり、こちらにとって都合の悪い状況下で相手が興奮したりした場面で、相手の逆上した醜い姿を軽く言及して

「そういうあなたを見たくないんです」

というのは使える手だと思ったのです。興奮して逆上した相手と100%面と向かうのではなく、上手にはぐらかしつつ、「君は本当は素晴らしい女性なのになぜそんなことをするの?」と言いたげな余裕を持った対応。ズルイ手だとは思うものの、いちいち相手をしていられる程の暇人でもなし、適当にあしらっておきたい時ように頭にメモリーしておくことにしました。

IQが靴のサイズにも満たないような話し方

2006年04月29日 | パルプ小説を愉しむ
シドニー・シェルダン同様の軽薄な女性が描く女性の幸せ追及物語かと思って『偽りのカンバス』(シャリー・コンラン)を読んだが、全く違って読み応えありました。

才能はあるが自分に自信が持てない一人の女性が、二度目の結婚相手に画家としての才能を見出され人気画家になっていく過程で、成功している画家としての自分と本来の自分とのギャップに気付き悩み、そして南仏にある昔馴染みの小村で理想の恋人に出会って再スタートを切る。そんな自分探しの中で、知人宅で見た高額な古絵画を贋作だと言ってしまったがために、贋作追求に取付かれてしまう。挙句に脅迫状が届き、夫の不倫にも気付いて、精神的にぼろぼろになりながらも、世界的な絵画コンクールのための出展作品を仕上げつつ、贋作探しに徘徊し、そして自分探しの旅にも出てしまう。なんて盛りだくさんで欲張りなストーリーなことか。やはり女性による女性のための小説ゆえか。

物語はテンポよい進展で次から次へと話が進んで読み飽きない。そして何よりも愉しかったのは、主人公やその友人の口から出てくる作者の独自の哲学や物の見方。例えば、マドンナのミュージックビデオを称して

巧妙に操られて冷静に宣伝されたマリリンとはちがって、この現代のセックスの女王は自分で自分を巧妙に宣伝している。昔から女性の性を売り物にしてあげた利益は、常に男性が懐に入れてきた。マドンナは利益をしっかり確保している初のセックスの女王といえた。

と言ってみたり、

「ダイヤモンドは若い娘の第一の親友はなくて、男たちの第一の親友なのよ。彼らをわずらわしいことから解放して、自分の女を文句を言わせずにおとなくしさせておくご利益があるから。」

と信頼する叔母に言わせてみたり、物語とは何の関連もない内容なのだが、しっかりと著者の主張が盛り込まれている。尤も後者はどこまで本心なのだか、自立した女性であることを際立たせるためだけのハッタリなのかは不明ですが。

法律に関しても然り。

「たとえ申し立てが政党であることには疑問の余地がないとしても、敗訴になることも珍しくなくて。訴訟を正義を云々するんじゃなくて、苦心惨憺作り上げられた不合理で現実離れしている法律という名の規則との駆け引きですから」

といった小気味の良い啖呵ばりの台詞も飛び出す。こんな台詞がポンポン出てくるような人物が、「自分の意見をしっかりと持っている知性あふれる人物」ということになるんでしょうね、あちらの上流世界では。

一番好きだった台詞は、叔母さんが主人公に対して、どうしたら幸せになれるかを教え諭す台詞:

「何がしたくて何がしたくないのか そうしてそれはなぜなのか、まずはっきりさせることね。その上で必要がないとリストアップしたものを一つ一つ消去していく。人生の秘訣は消去にありってわけよ。」

これは当たっていると思ったね。何でも欲しがるモエちゃんでは物質的な欲求は満たせても、決して幸せにはなれないんだろう。幸福とは心も持ちようなのだから。

気に入った台詞は、

「きみはIQが靴のサイズにも満たないような話し方をする」

というもの。こんな馬鹿なタレントや若い子が今の日本にはいっぱい居るよなと思った。こんな知恵遅れを「かわいい」と言って持ち上げているのが流行だから。思わず膝を叩いてしまった台詞でした。

そして気付かされたのは話の冒頭部分にあったこの文章。

ジャーナリストの第二の天性ともいうべき人と気持ちを分かち合う能力におおいに恵まれている。

洒落た台詞を口にできるだけではなくて、「人と気持ちを分かち合う能力」ですか。勉強になりました。

「べつに言いがかりをつけるつもりはない。ひとこと所見を述べただけと考えてくれ」

2006年04月01日 | パルプ小説を愉しむ
『夜がまた来る』(エド・ゴーマン)の主人公ジャック・ウォルシュは私立探偵らしくない。なにせ64歳と高齢な上に、住んでいるアパートの管理人もしている。家賃を半額にしてもらう代わりとして。

とは言え、老人には老人の武器がある、とぼくれるという武器が。小泉第一次内閣の財務相だった塩爺も最初の記者会見で使って一躍人気者になった強力な武器です。相手に対してキツイことを言いながら、

「べつに言いがかりをつけるつもりはない。ひとこと所見を述べただけと考えてくれ」

などと言ってチャッカリとその場を納めてしまう。相手が爺さんだと攻める相手もついつい敬老精神のせいか、ついつい攻め口が弱くなって許してしまうもんか。

年寄りとは言え、このジャック・ウォルシュ爺さんは隅に置けない。向かいに住む32歳の女性と恋仲だし、この女は自分の赤ん坊の父親をジャックだと言っている。警官時代に逮捕した男の妻からの依頼で、男の無罪を証明する仕事を頼まれる。当然断るが、その夜に依頼者宅の裏庭で一人の女が殺された。家族の過去を穿り返すこととなる。当然昔の事件も再調査することになる。

老人らしい雰囲気を出そうと「わし」と自分を呼ぶ。派手な立ち回りは一切無し。地味なキャラクターで物語も地味メ。読みながらも頭に浮かんだイメージは、ヘミングウェイの遺作『海流の中の島々』のトーマス・ハドソンの生活。半引退した身をビミニの海辺の民家に置き、島の生活の一部となりながら自由に好きな絵を書いている。高台のある自宅からおりたビーチで朝ひと泳ぎし、届けられたばかりの朝刊をゆっくりと読みながらの朝食。島の時間はゆったりとしている。こんな引退生活に惹かれているから、ジャックの探偵生活は私にはちょっと今イチだったな。

言語はパフォーマンスの道具にすぎない

2006年03月19日 | パルプ小説を愉しむ


『外交官の娘』(ウィリアム・キンソルヴィング)の主人公リリーは、純粋な愛国心から仕事に殉じる昔かたぎの外交官を父親に持つDD(Diplomat's Daughter)。大学時代に難民キャンプでボランティアしていた時に、テロに巻き込まれ、その後父親が爆弾テロで殺されることで、自分の外交官になることを決心する。結婚した夫は、出世の階段をひた走りに登っていくが、純粋な愛国心から仕事をするリリーとは異なり、出世の野心にドライブされるタイプ。理想の違いと、別居生活からくる心のすれ違い。そこに入り込むモサド職員。そして、中東戦争、難民キャンプでの虐殺がリリーの外交官生活にピリオドを打つ。10年経過して、新しい大統領からエジプト大使への任命を要請されたリリーに、娘時代から続く因縁のテロリストとの最後の対決が始まる。別れた夫、昔恋心を抱いたモサド職員とアルジェリアの外交官の助けを借りながら、エジプトへ飛ぶ。

娘時代、外務職員時代、政務担当官時代、大使時代(正確には大使に任命される直前のテロリストとの対決の時代)の4部からなるストーリーは、フィクションとはいうものの中東戦争の史実に沿って練り上げられていて、時代の流れの中に引きずり込むような力強さがある。純粋な愛国心と何よりも人間への信頼を信じるリリーの立ち振る舞いは立派で心打たれるが、ちょっと理想的すぎて現実離れしているのかも...と思ってしまうほど。

超現実主義者の夫が恋人時代に吐く台詞が
「今や誰が何を言おうが、何の意味の持たない時代なんだよ。状況の中にあるものだけが唯一の実体だ。言語はパフォーマンスの道具にすぎない。」

ひたすら世の階段を駆け上がることしか念頭にない夫のワースの本性を知った時の言葉がこれ。
「そのうち何かの染色体プログラムが突如として体内に放出される。彼は純粋な感情よりも手練手管のほうがはるかに効果的だと悟る。ワースが無邪気さを失ったのは、ごくごく早い時期だったに違いない。」

リリーに近づいたモサド職員の魅惑的な台詞。
「我々は危険地帯に入っているんだぞ。」「どういう危険?」「我々はそろそろ恋に落ちるべき時期に来ている。」

そして、そのモサド職員の母親の台詞もいかしている。
「宗教とは、答えようのない質問に回答を与えようとする人間の頭の中で考え出されたものなの。これからも宗教は永遠に存在するでしょう。人間は回答を与えてもらわないことには我慢のできない生き物だから。」

誰かが面倒がって説明書を読まないで組み立てたような顔をしている

2006年03月04日 | パルプ小説を愉しむ

登場人物の顔を表現する台詞として以前にこんな台詞を書き込みましたが、その第二弾です。こちらの方がユーモアがある上手だな。さすが大御所、ロス・トーマス旦那だけのことはある。

『五百万ドルの迷宮』を何年かぶりに読み返したのだが、筋が分かっていてもストーリーに引きずり込まれる。何といっても、ウーとデュラントの描き方の見事なこと。詐欺師がという職業がとっても魅力的なお仕事に見えてしまいます。

年老いたゲリラを、潜んでいるフィリピンの山奥から香港に連れ出す仕事に50万ドルを支払う、そんな美味しくも怪しい仕事がテロ研究専門家に提示された。知り合いを伝って探し出した実行人がアーティー・ウーと”糞ったれ”デュラント、"アザガイ"・オバービー。それに雇い人から付けられた元シークレット・サービスの美女、ジョージア・ブルー。彼らの騙し合いか、それとも以心伝心の協力変化技の結果がこうなったのか。

自称中国皇帝位継承者のウーが、自分の身元の説明を求められた時に、中国皇帝位継承の正当性を語った直後に、今度は会って間もないテロ研究家のブースの身元を尋ねるための話の持って行き方が洒落ている。

「私は常々、立派な家系図より市場性のある才能の方が精神的安定感を得るのにはるかに役に立つ、と考えている。家賃支払日になっても文無しの場合、独立宣言に署名したとか、ビケットと一緒にセメタリ・ヒルズを馬で駆け上がったとか、ジョン王にペンを貸した、とかいった連中の末裔であったところで、さして役に立たない。一方、ポケットに手を突っ込んでも小銭もなく、出かけては少しでも金をかき集めなければならない場合、桶屋であろうと、牧師、車大工、粉屋、あるいはテロリズムの専門家でもいい、売れる才能を持っていることがわかっていれば心強い。」


誰も王様は裸だとは言わないものだ

2006年02月10日 | パルプ小説を愉しむ
この台詞は阿呆な上司に対して手厳しい反論をした後の気まずい雰囲気を緩和するために使えるなぁ、と思ってメモりました。思いっきり反論し、グーの根も出ないほどやり込めた後で、遺恨を残さないためにも、

「こんなに手厳しく言ったのは、実は貴方のためなんだよ。誰も王様は裸だとは言わないからね」

などと、如何にも相手を気遣っているかのように見せてやるのに使える、世のサラリーマンの味方、免罪符のような台詞になるはず。

『カジノを罠にかけろ』(ジェイムス・スウェイン)は、イカサマ・ハンターの引退刑事、トニー・バレンタインが、頼まれるままラスベガスのホテルからイカサマと思われる男の目論見を暴く。相手は、死んだはずの名うてのイカサマ師であることを突き止め、ホテルを動揺させる陽動作戦の裏をかき、見事にイカサマ仲間を突き止めてホテルの損失を未然に防ぐ。

個人的には、イカサマ師の方がイカしていて勝たせたいくらい。逆の立場で物語を書いても面白い読み物になっただろう。


「いいんだ。待っている間に恋が芽生えた」

2006年01月21日 | パルプ小説を愉しむ
『モンキーズ・レインコート』(ロバート・クレイス)の主人公エルビス・コールはLAの私立探偵。相棒のジョー・パイクは、銃砲店を営みながら、身辺警護役や家屋への突撃役など、もっぱ武闘系を担当し、クリント・イーストウッドを口数が多いと考える役回り。2人の関係は、パーカー描くところのスペンサーとホークに似ている。

エルビスもタフぶりにかけてはひけをとらず、ベトナム帰りで東洋武術を身につけ、タフな悪党と相対するものの、読者に口でタフぶりを売り込むことが多いのが飽きてくる。

LA警察特捜部のエリート刑事と渡り合うとき、刑事の脅しに対して、

「女をくどくときにも、そう言うのかい」

と切り返してみたり、仕事での聞き込みの最中に秘書連中にタフぶりながらちょっかい出したりもする。待たされた時には、

「いいんだ。待っている間に恋が芽生えた」

とか、相手の注意を惹くためにちょっとHな話をして、

「あなとの圧倒的な性的魅了のためでもあると思う」

と言ってしまうあたりが、ちょっとワルぶったガキと見えないこともないが、それでも物語の主人公がゆえに、キャラクター設定となって本人の魅力を高めてしまう。

この手のハードボイルドものは、自省の台詞がつきもので、これによってタフな男がちこっと内面的な弱さを露呈して人間的魅力を高めるものだが、これまたお約束どおりに台詞がありました。

わたしの人生には”かもしれない”が多すぎる。あまりにも多すぎて、ほとので意味を失いかけている。そろそろ商売がえをしたほうがいいということかもしれない。

「死んでみればわかることでしょう。結論を急ぐことありませんよ。」

2005年12月23日 | パルプ小説を愉しむ
「死んだ後にはどうなるか、お考えになったこともないんですの?」
「死んでみればわかることでしょう。結論を急ぐことありませんよ。」


これだよ、初対面での何気ない会話の中でちょろっとユーモアのセンスをひけらかして、知的センスを垣間見せるテクニックは。

『名探偵登場』(ウォルター・ワタスウェイト)は映画になった小説。オリジナルは小説だが、日本語訳は映画から取ってつけてある。主人公の私は、ピンカートン社の社員で探偵。奇術師フーディーニの身を守るための護衛としてイギリスの貴族の館に招かれる。そこでおこる幽霊騒ぎと謎の狙撃、そして館の主人の父親が密室で怪死した。ロンドンから乗り込んできた警部とフーディーニの知恵比べ。当然探偵の私も多少なりとも手を貸す。そして結末は....

この手の小説の礼儀として犯人は言わないでおきます。登場人物にコナン・ドイルが出てきますが、謎解きには貢献しません。コナンくんの方が役立つぞ。

「貨物列車がびっくりして泥道に脱線してしまうくらい顔が醜い」

2005年12月11日 | パルプ小説を愉しむ
著者のデニス・リーマンは、銀行強盗で服役している最中に『囚人同盟』を書いたのだそうだ。囚人が監獄の中での出来事を書くのだから、やはり言葉は汚い。表題の台詞は、獄内のサディスト医者向けられた台詞。

マクニール刑務所内でもそれなりに知られた悪い奴らが入っている房に一人も男が新入りとして入ってきた。FBIのような髪、長身で男前の新入り。手荒い歓迎もソツなくこなしたばかりか、何と大物銀行強盗だということが判明。恥じ入る同房のワルたち。でも、この新入りはワルどもを引き連れてとんでもないことをやらかす。自分が被った冤罪への復讐であり、育ての親の親戚を騙して自殺に追い込んだ銀行頭取、そして州を牛耳るその親族。PCと統計を活用して、刑務所の中から地元競馬への金をつぎ込む。自分たちは見事に勝ち馬をあて、刑務所署長が盗聴していると気づくや、ガセ情報を掴ませて署長は借金のクソ壷にずっぽりと嵌る。それと同時にワル仲間たちは、手に職をつけつつ自尊心というものを取り返す。なんと美しい物語。

このヒーローの感化をうけたテキ屋の主人公フラットストアも、それなりのインテリになってしまって、

「この地球上には、この親愛なるアメリカ合衆国においてすら、狂気が正常で、真実とはたえず改良の手が加わる虚偽であり、・・・」

などといった台詞が冒頭から飛び出す。

何事に対しても知識を持ち、ケンカも頭も強い男が、真のワルたちを懲らしめる一種のヒーローもの。映画にすると、きっとシュワちゃんが登場するんであろうストーリー展開は、単純すぎて却って読み手の興味をそそってくれます。

「太陽が輝き、ツグミが囀り、バンビが蝶々を追いかけてるとこだ」

2005年12月03日 | パルプ小説を愉しむ
『クリスマスのフロスト』(R・D・ウィングフィールド)に登場するフロスト警部は、女王陛下のオマルですら平気で使ってしまうほど人怖じすることのない、がさつで下品な警察官。よれよれのコートにプレスの痕跡もなくなっているズボン、それに品の悪いマフラーというのが、このイギリスのコロンボのいでたち。コロンボには少なくとも愛らしさがあるが、この男にはそんな可愛らしい愛嬌などない。ただ、格好悪いが人間臭く、何事にも結果オーライという力が抜けた自然体でしぶとく事件に食いついて解決してしまう珍道中が読んでいて面白く、ついつい夜更かしする日が続いてしまった。

ハードボイルド探偵に不可欠な信念などという代物はポケットを裏返したって欠片も出てくることが無い無節操男なので、これはという名台詞には巡りあわないが、変な力みがない自然体から迸り出てくる下卑た台詞の連射は、それはそれなりに愉しく可笑しく、読んでいる身からも力が抜けてさっぱりとしてしまう。

ライバル警部の代役として事件現場に出向いた当日の天気をこう言う。

「おれが出張ると、空は決まって機嫌を損ねる。これがアレン警部なら、太陽が輝き、ツグミが囀り、バンビが蝶々を追いかけてるとこだ。

拗ねてるのか皮肉を言っているのか、万事がこんな調子だから何を言っても「へいへい」という感じで受け入れられてしまう。

上司の署長からはとっても嫌われているが、同僚たちからの評判は悪くない。書類を書くのが面倒なので、自分が解決した事件を同僚に譲ったり、借金ゆえに内部情報を引き渡せと脅されている内勤警官を救ってやったり。しかもそれを自慢する事も相手に親切めかして伝える事もなく、ただただ普通のこととしてやってしまう愛すべきキャラクターの持ち主。

捜査令状なしでの捜査にも二の足を踏むなどということもなく、平気で他人の家に上がりこむし、出されたティーカップや調度品の小皿で煙草をもみ消して、家主をやきもきさせる。こんな調子ですっかり現場を自分のペースに巻き込んでしまうのです。

状況証拠から単純にある老人を殺人犯人と考えるのだが、部下の新米警官から推理の根拠拠が薄弱だと指摘されると、

「それは見解の相違というやつだな。おれの判断基準は、おまえさんのよりもうんと甘くできてる」

などとしゃあしゃあと言ってのける。しかもそのいい加減な推理がドンピシャで、その老人が30年前の殺人犯であった。話の進め方も主人公なみにマイペースで結果オーライ。ストレスを感じた時に、体中から余計な力を一気に取り去ってくれる魔力のようなお話でした。


「ややこしい主義ですこと」「ややこしい世界だからね」

2005年11月19日 | パルプ小説を愉しむ
ロス・トーマスの物語は実に面白い。何と言っても登場人物がとっても魅力的で、読んでいるだけで自分が一ランクの人間になったかのように思えてしまう。

金の受け取りに紙幣枚数を数える主人公チャプ・ダンジーに対して金を運んできた女が訊く時の台詞。

「ご要望どおりの額がはいっていなかった場合はどうします」
「入ってるさ」
「じゃあ、まぜたしかめるんですか」
「今やっておかないと、あとで後悔するかもしれんし、そのときでは遅すぎるからだ」
「ややこしい主義ですこと」
「ややこしい世界だからね」


自分を捕えた犯罪グループがもう一つのテロリストグループの小屋を無理やりに襲わされる時に自分を捕えたリーダーに向かって言う。月が煌々と輝く夜のこと。

「月の手配までしてくれたのか」
「いや、しかし、天候の手配はしておいた」


こんな余裕の遣り取りが何の気なくできるのが洒落た大人というもんか。

『モルディダ・マン』とは賄賂をばら撒く人という意味だという。チャプ・ダンジーは金と魅力をばら撒いて他人に影響力を大いに及ぼす。その行動は人の一歩も二歩も先を行くほどに頭が鋭い。人も騙すが、それでいて正直でもある。チャプ・ダンジーによると名前も国籍も職業もすべて生身の人間に貼られたラベルでしかないと言う。

「きみたちならテロリストという呼び方をすると思っていた」
「私はダンジー、アメリカ人です。あなたは村ベト、イスラム教徒で、たまたまリビア国民となったアラブ人の一人でいらっしゃる。どちらもラベルですよ」


ロス・トーマスのお話は、どろどろとした人間関係は無縁の世界だ。世のしがらみに囚われずに一人の人間として仕事を全うする仕事人たち。時には道を誤った人間、自分の信念から国や組織の大義に身を捧げる人間。彼らはすべて受身ではなくあくまでも自分の責任で選択した道を選んだ男達であり、そこに潔ぎよさがある。その上に、しゃくなほどに洒落た会話のできる伊達男たち。やくざ映画を見終わった後は目つきが悪くなるように、ロス・トーマスを読んだ後は一端の仕事人になったような気になる。


「アイスティーを一杯もらえれば、人類への信頼を回復するのに役立つかもしれんな」

2005年11月13日 | パルプ小説を愉しむ
ジャネット・イヴァノビッチは私の大好きな作家で、ステファニー・プラムがハチャメチャな活躍をするシリーズは大の好物です。ごくごく普通の人物を装いながら、やることなすこと決して普通の人間では出来ないぶっ飛んでいる内容、それがこの作家が得意とするコメディーです。

この『気分はフルハウス』は、バウンティーハンターのステフは出てきません。38歳のドジな主婦ビリーが、気まぐれから習おうとしていたポロのレッスンで、教師である大金持ちのプレイボーイと恋に落ちて結婚するという、イヴァノビッチにすればごくごく平凡で普通の庶民が主役な真っ当な筋立てなのです。もちろん途中にはイヴァノビッチならではの山あり谷あり、そして尋常ではない人々のとんでもない行動あり。

ステフものではステフのおばあちゃんが、とんでもない変人ぶりを愉しませてくれるが、ここではプレイボーイ教師の従姉妹がそれ。婚約している相手がプロレスラーで、パーティー大好きセレブ。喋ることが世間離れしていてとんでもないものの、性格は良くて可愛らしい。イヴァノビッチはこんな女をわざと登場させて、話を複雑にしつつおもしろくさせるのが得意なんだと知りつつも、ついつい手にはまってしまう。

離婚経験のある平凡な38歳の2児の主婦が、恋愛の駆け引きに長けた大金持ちのプレイボーイの心を射止めてしまう。決して背伸びをしない平凡な生活がもつ心温かい力が何よりも力を持つのだが、平凡という設定の人物たちは決して平凡でも只者でもないのがイヴァノビッチ作品。ステフに代わって、ビリーが庶民パワーを満開にさせて愉しませてくれました。

「まるでマークス・ア・ロットの極太サインペンで描いたように見える」

2005年11月06日 | パルプ小説を愉しむ
髪の毛が薄いことを形容した文章の一つです。丸々全文はこうです。
「さずかな髪にグリースをたっぷりつけて額からうしろに梳かしつけてあるのが、まるでマークス・ア・ロットの極太サインペンで描いたように見える」

『ビッグ・レッド・テキーラ』(リック・リオーダン)の主人公トーレス・ナバーは昔の恋人からの電話が切っ掛けで、生まれ故郷のサン・アントニオに戻ってきた。保安官をしていた自分の父親が眼前で射殺された直後に去ってから10年が経つ故郷に。高校時代の友人たち、父親の仕事仲間、地元のギャングや野心的な政治家、そして元恋人とその元婚約者と両親たち。父親を射殺した黒幕を暴きに掛かる。

このトーレスは私立探偵でもなく、単なる法律事務所の調査員でしかないのだが、自慢の太極拳が無法者たちを見事にやっつけてくれる。話の合間に「太極拳を1時間ほどやると頭も体もがすっきりしてきた」と言った合いの手や太極拳についての解説が入ることで、スーパーマン的な人物像がイメージされてくる。中々うまい手だよ、リオーダン君。だけどもストーリーはちょっと込み入りすぎだよ。あれこれと関係やネタの出し方をねじ繰り回している内に複雑にしてしまったようだ。謎解きとしてはいいかもしれないが、読んでいて人が絡まりすぎている。シンプルにするともっと良くなると思うのだが。尤もアンソニー賞とシェイマス賞をダブル受賞したくらいだから読み応えある作品だったが。

元恋人の師で今や彼女にたかって生きている写真家を評した台詞。
A&Mで助教授をしていたときから現在にいたるまでの最近の作品は、もしアンセル・アダムスがテキーラをしこたま飲んでカメラを何度も落としたら、こんな写真を撮るだろうというものだった。
たっぷりの皮肉を上品さで包むことで洒落てはいるが、相手を貶める台詞になっているね。こんな台詞が日々の会話の中で使えるような奴は、頭の良さは認めるがきっと鼻持ちならない奴だろうと思ってしまうね。


ところで、髪の毛に関して全く別のお話の中にこんな台詞があったのも思い出しました。
「彼は頭髪を失いかけており、そのような人々がよくやるように残った髪をま横になでつけていた。分け目の位置は腋の下あたりだ」
中曽根元首相や竹村健一の頭がまっさきに思い浮かびましたね。