何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

こころの格差社会

2008-04-18 22:20:10 | Book Reviews
「こころの格差社会―ぬけがけと嫉妬の現代日本人 海原純子・著、角川oneテーマ21、2006年6月10日

p.90-1 格差は目に見えない。それ故に、勝ち組が勝ち組の選択に残ったことを自分だけの「実力と努力」と思いこむのも無理からぬことかもしれない。
 しかし、選択に残れなかった人たちは、その「透明なあげ底」に気づいている。自分たちに与えられなかった何らかの環境、自分たちのもっていない付加価値に気づいている。
 そして勝ち組に残れなかったことで、結果的に社会や政治の流れに対して、ものを言えない、わずかな力しかもてないことにフラストレーションをためてしまう。透明なあげ底をもたないために、どうせやっても先は見えている、だめに決まっていると思うから、つまりは将来に対して展望や夢がなくなるから、引きこもってニートになってしまう。

p.95 強者や恵まれた者、勝ち組には、傷つきながら生きてきた人の傷がわからない。わからないならせめて想像力を働かせたり、自分にはわからないが、つらい思いをしてきたのだろう、と相手の気持ちを共に味わうゆとりをもってほしい。

p.96 「何でも思えば手に入る」のは勝ち組でパスポートを手にした人間だけの常識である。自分の体験だけでものを言ったり決めつけるのをやめる必要があるのだ。

p.96 勝ち組の人々は、負け組の無念さに気づく必要がある。負け組が無念なのは仕事や収入で負けたことだけではない。自分だって、勝ち組がもっている透明なあげ底という好条件に恵まれさえすれば、という無念である。

p.125-6 いわゆる一枚岩の集団は、所属集団への過信があり反対意見を好まない。不利情報は「正しくない」として排除し、異議を唱えるものは「盛り上がった雰囲気をつぶす」として抹殺してしまう。イエスマンの意見や自分たちこそが正義、という幻想をもつため誤りに気づかなくなるのである。
 一枚岩の組織は、反対意見をじゃまにして、それを口にする者を排除したり出世できなくする。そのため問題やトラブルを気づきにくくするために、このような事態に陥るのである。

p.173 自分の気づかない自分の可能性、真の「その人らしさ」「なりうるもの」に気づくチャンスは、実は勝ち組でいられなくなった時なのである。食べる、住むことには困らずに一応窓際だが会社に行っていれば収入を確保できるなどという時や、リストラにあい大幅に収入は減少し、社会的地位はダウンしたが、細々とでも食べて住めるだけの収入はなんとか確保できる仕事をみつけた、などという時もチャンスなのだ。細々とでも社会の中で給料を得たなら、外的条件をどこまで伸ばし年収をいくらまでにすれば生活がほぼ満足できるかを、まず自分なりに設定する。

Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「話し方」の品格 | TOP | エスカレーターも改良したら »
最新の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | Book Reviews