何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

日々これ掃除

2012-10-28 23:57:09 | Book Reviews
人生福々、会社福々への道 日々これ掃除」 鍵山秀三郎・著、致知出版社、2004年6月7日

p.16 今の世の中は人を感動させるというこよがなくて、力ずくでいくとか、あるいは量でいくとかを基本にしておりますけれども、私は、仕事というのは「人を感動させるということに最も大きな意義がある」と思ってやってまいりました。

p.18-9 次から次へと商品が出てまいりますと、一つひとつの物の価値をみている暇がない、また見る力もない。そして、ただうわべだけを見て、簡単に売れる売れないという判断をしてしまうわけですが、その中にはすばらしい価値や生命を持った物もたくさんあって、それが日の目を見ないで消えていくことがたくさんあると思います。

p.21 人間は誰でも心の中に深い傷を負っているものですけれども、この傷を癒すのは人間のぬくもりである、暖かい言葉によって癒されていくものだということをつくづく感じたわけでございます。

p.29 私どもの会社より数字ではまだまだ大きい会社は他にありますけれども、会社の意義は規模の大きさではないと思います。うちの会社では、営業活動も大切にして来ましたが、一番になることより、一流になれることを求めて来ました。

p.30 たとえ史上空前の利益をあげたとしても、弱者を犠牲にしたり、社員の心が荒むようであっては意味はありません。組織の人たちが穏やかで丁寧な暮らしや仕事ができることが大切だと思います。
 そういう風土さえ築くことができましたら、いかにして競争に勝ち、また相手を倒そうとかいう、そうした過激な考えを持たなくても、企業というものは必ず健全に伸びていくものだということを私は心から確信しております。

p.81 こういう業界に身をおくとある意味では開き直って、その種の人たちと同じレベルになってやっていかないととても耐えられません。それが普通です。しかし、そのような人たちと同じレベルでやるなら、私の人生は何の意味もないですね。たとえどんな目に遭っても、どんな境遇の中にあっても、やはり自分が掲げた理想は貫いていきたい。私はそんなふうに思うものですから、余計に自分の抱く理想と現実の差は大きくなるばかりです。この落差に耐えるというのは実にたいへんなことでした。

p.97 そういう(どん底の)生活をしても、私は決して卑屈にはなりませんでした。なぜなら、私には「理想の会社を創る」という自分に課せられた使命があったからです。その使命を果たすために今はこうしているのだという思いがあったから、耐えられたのです。

p.102 社員の心を荒ませてまでやるのは、事業ではないと思います。

p.114-5 百の努力をして得られるものが一でしかなくとも、その一をまず受け入れる。次に、ただ受け入れるだけでは商売になりませんから、授かった一をどう継続するかを工夫する。それがどうしたら二になり三になりというふうに育っていくかを考えて行動する。そういう積み重ねを一歩一歩辿っていくと、必ず良くなってくるのです。
 ところが世間一般では、「百の努力に対して得られるものが一? それではダメ、ダメ」「百に対して十? それもダメだ」となって、いいことばかりを求めます。最小からそういうものはありませんから、続かないで途中で投げ出してしまう。その繰り返しになって、そこからは何の成果も生まれません。

p.117-8 ところが、(相手と比べる)相対差の世界というのは、比べる基準が変わるたびにコロコロと変わる世界なんですね。はかなくて移ろいやすい基準を、あたかも普遍の正しい基準のように信じて、人生も事業もやっていく。
 この相対主義を続けていきますと、世の中全体が“終わり良ければ全て良し”の結果主義に陥ってしまいます。試験であれば、点数さえ良ければいい、試験に受かりさえすればいい、商売であれば、たくさん売れればいい、銀行であれば、預金がたくさん集まればいい、貸し出しが多ければいい、というふうに結果だけを求めるやり方になります。
 途中の経過や手段なり方法なりはどうでもいいのであって、全く顧みられることなく、一刻も早くゴールに行こうとなるわけです。その結果、途中の大事な手段は全部省いてしまいます。この考え方には誠意がありません。なぜなら、結果を急ぐあまり、大切なことを全部省いてしまうからです。人生でも事業でも大切なことは全部面倒で、手間がかかるものばかりです。この手間はかかるが大切なことを省いていくと、事業そのものに誠意がなくなってまいります。すると、一時期どんどん成長していても、あるところでパタッと行き詰ったかと思うと、今度は急転直下、坂を転げ落ちるようになっていくわけです。

p.120-1 相対差より絶対差を追求する。この絶対差の世界に到達するには、何よりもプロセス、過程を大事にするということです。道筋を大事にするということです。その道筋にはいろいろありますが、その一つとして、「微差、僅差を追求し続ける」ということを私の人生や事業の方針としてきました。
 たとえば、今までAというやり方でやっていて、それよりもほんのわずかだがBのほうがいいとわかれば、Bに変える。たとえわずかの差でもBをやる。

p.135 短期間ならプラスはありません。しかし、不利なことを私はあえて全部受け入れたのです。そして、その不利をどう良くしていくかを積み重ねたのです。そのとき初めて、人間も会社も成長したのでした。

p.136 犠牲なしにただ変えようとしても、絶対に物事は変わらないのです。変わらないどころか、必ず元に戻ってしまうのです。

p.137 前に述べたD商会の経験で、私は「会社は個人のものにしない」ということを学んでおります。

p.142 あまり高邁な理想を述べていると、聞いている人たちと気持ちが遊離してもダメなものです。特に社員の気持ちがバラバラなときに経営者が立派なことを言えば言うほど、気持ちが離れていくものです。

p.144 価格破壊というのは、それだけ人間の生み出す価値を認めなくなったということです。

p.152 自分にとって有利なことはなるべく控え目に控え目に、喜びはできるだけ人に譲って生きる。自分の生活は小さく、社会には大きく残すという考えで私はやってきました。残すというのは、何もお金や物ということではない。考え方、生き方、人生そのものを後世に残していく。そういう考え方です。

p.177 この面倒だ、おっくうだという気持ちをどうしたら小さくすることができるか。一時に全部やろうとするからいけないのです。

p.181 どうしたら気づく人になれるか。それは、前にも述べましたが、単純で単調でごくありふれた小さなことを、いつも大切にするということです。単純で単調で小さなことは、やってもやり甲斐がないし、見栄えもしないし、人からも認められないし、つい疎かにしがちです。だが、日頃から単純で単調で小さなことを大切にしない人は、気づく人間になるということは絶対にあり得ません。
 それからもう一つは、人を喜ばすということです。絶えず自分のささやかな労力や行為をもって人様に喜んでいただく。人を喜ばそう、喜んでいただこうという気持ちを持っていると、いろいろと気づくことになるのです。

p.183 (三つの幸せ、「あげる幸せ」「できる幸せ」「あげる幸せ」の中で)この“あげる幸せ”を最も大事にして欲しい

p.215-6 本当の志というのは、はるか彼方の遠くのほうにあって、簡単に近づくことはできないものです。簡単に近づくこともできなければ、手を伸ばして引き寄せることもできない。つまり、高い志というのは簡単にかなえられない。
 その志に向けてみなさんが努力したとき、その努力が自分自身のたえにもなるけれども、社会のためにもなるものです。これが志の大事な条件です。ここが欲望と違うところです。

p.222 余っているから、要らないから、もう使わないから、邪魔になるから、これはあげるというのでは、本当の思いやりの心とは言えません。本当に人に対する思いやりの心とは、自分にとって大事なものを差し上げる。

p.233 一生懸命やっても、やらなくても同じだというふうに思う人もおりますけれども、そうではありません。きょうは同じであっても、これから先に差がついてくるのです。

p.235 私は長年この掃除を続けてきた秘訣、そしてまた、人様に掃除を継続する秘訣を聞かれたとき、工夫すること、そのやろうとすることを愛することと答えています。


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