何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

罪の意識

2009-04-25 22:20:44 | JR西に学べ
 今日はこのことを書かずにはいられない。

JR脱線事故4年 むなしい「精一杯の対応」 4月25日1時37分配信 産経新聞

 JR西の考える「償い」とは何か。山崎正夫社長は23日の会見で「被害者の不満、意見に最大限誠意を尽くすことがひとつ。もうひとつは、社会にどう償うかだ」と答えた。さらに安全性の向上と企業体質の変革を挙げ「広い意味の償いといえば、償い」とした。

 JR西は事故直後、原因について「置き石があった」と発表し、被害企業のような姿勢をにじませた。18年7月には引責辞任した幹部の「天下り」が発覚。19年2月には当時の国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調)に「日勤教育は有益」と主張し、最終報告書がまとまった同年8月になってようやく「自動列車停止装置(ATS)があれば事故を防げた」という単純な事実を認めた。

 日航機墜落事故では、日本航空が死亡した520人の遺族全員と補償合意するまで、ざっと10年かかった。それでも交渉を急いで持ちかけたという批判はある。

 次男の健君=当時(9)=を亡くし、福知山線脱線事故の遺族とも交流がある美谷島邦子さん(62)は言う。「JR西がやっていることは、過去に日航がしてきた悪い部分と同じ。このままだと補償を早く進めるだけが使命になる。それでは、過去の事例を学んだことにならない」

 遺族らでつくる「4・25ネットワーク」は20日、被害者とJR西がともに参加する「事故検証委員会」の設置を申し入れた。JR西は「検討する」としたが、メンバーの一人は申し入れ自体を「一大決心」と表現し、真意をこう説明した。

 「家族を奪われた意味は何か。個々の被害者と示談すれば終わりか。JR西に4年間ずっと説明してくれと言ってきたが、事故調や捜査を盾に何もしなかった。われわれから一緒にやろうと言うのは、よほどだ」

 ヒ素ミルクを飲んだ赤ちゃんが50代になった今も救済を続ける森永乳業。補償合意を出発点に、2年足らずで体質を変えつつあるパロマ。21年後に上海列車事故の報告書を作成し、遺族の怒りを買ったままの高知学芸高校-。償いには正解がなく、終わりもない。


 自分たちの仲間たちが起こした事故なのに、間接的に自分たちもかかわっていたのに、なぜか自らのこととして受け止められない経営者たち。

 これだけ遺族の悲しみを目の当たりにしているはずなのに、我が身に置き換えて悲しみを慮ることすらできない感覚。


 そういう感性の持ち主が世の中にいることはわかるが、それにしてもだ。どれだけ罪の意識を感じているのだろうか。補償は必要だとしても、示談を進めようとする前に、すべきことはしたのだろうか。遺族に「行った」と認めてもらえるだけのことをしたのか。自己判断でした気になっているに過ぎないのではないか。

 人の命を奪ってしまったことに対して、あまりにも反省が足りないのが、第三者からはよく見えるのに、当事者にはまったく見えていない。他の事件を見ても、第三者として被害者の思いを感じとれないのか、むしろ加害者の心情のほうに共感してしまうのかもしれない。

 ある個人が起こした事件を反省し、一生罪を背負って生きていこうとするのに対し、組織事故は大半の同僚が当事者でなく、反省がなされない。事故当時の組織文化がいかにそういう感覚を捨てていたのか、安全というものを軽視していたのではないだろうか。

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