何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

安全最優先の組織がとってはならない態度

2009-07-24 22:55:45 | JR西に学べ
辞任表明の山崎正夫社長 JR西日本の「ドン」と決別  7月24日11時55分配信 J-CASTニュース

 JR西日本の山崎正夫社長(66)がJR福知山線脱線事故(05年4月)で業務上過失致死傷罪に問われ、神戸地検に在宅起訴されたことを受け、辞任を表明した。後任の社長には佐々木隆之副会長(62)が2009年8月31日付で就任するとマスコミは大々的に伝えたが、今回のJR西日本グループの人事で見逃せなかったのは、同脱線事故の遠因を築いたともされる元経営トップの退任だった。それは同社内で「天皇」として君臨し、国鉄分割民営化後の利益至上主義を築いたとされる元社長、井手正敬氏(74)を同グループから追放したことだった。

■ドン井手氏は社内で長く院政を敷いていた?

 井手氏は1987年の国鉄の分割民営化に尽力した功績者として、JR東日本の松田昌士相談役、JR東海の葛西敬之会長とともに「国鉄改革3人組」と呼ばれた。いずれも中曽根内閣が進めた国鉄分割民営化を経営サイドから推進した剛腕として知られるが、井手氏は利益追求に走りすぎ、福知山線脱線事故に結びついたとして、遺族らから批判を浴びていた。

 井手氏はJR西日本の社長、会長を11年間務め、事故当時は相談役だったが、事故の引責で相談役を退いた後も、グループ子会社の顧問に就任していた。井手氏の社内人事などへの影響力は絶大で、「会長、相談役となった後も、社内で長く院政を敷いていた」と言われている。その井手氏は今回の人事で、子会社の顧問を7月末に退任することになった。

 在宅起訴された山崎社長は自身の辞任表明と合わせて、井手氏の子会社顧問の退任を発表。「事故当時、相談役だった井手正敬氏については、グループ会社の顧問契約を解くことになった」「今まではJR西日本グループで縁があったわけだが、今回の件で基本的には縁が切れたとご理解いただきたい」などと述べ、JR西日本が井手氏と決別する姿勢を明確にした。「山崎社長は在宅起訴の引責で辞任するのに合わせ、JR西日本のドンである井手氏を道連れにした。それが最後で最大の置き土産となった」との見方が関係者の間で広がっている。

■関西では私鉄とJRは熾烈なライバル関係

 井手氏がJR西日本の効率化を図り、利益を追求したのには理由がある。関西は「私鉄王国」とされ、私鉄とJRがほぼ平行して走るなど、首都圏では想像がつかない熾烈なライバル関係にある。ライバルとの競争に勝つにはスピードアップが必要で、京阪神近郊区間の「アーバンネットワーク」と呼ばれる路線の高速化を進めた。

 福知山線も東西線との接続のため、線路を付け替えた結果、事故の起きた急カーブが生まれた。ライバルとの競争に勝つため、高速化のうえ電車の本数を増やし、危険は予測できたはずなのに、自動列車停止装置(ATS)を敷設しなかったことが問題となった。

----- ----- ----- ----- ----- -----

 この記事はひとつの区切りとして記録に残さずにはいられない。
 
 熾烈な“スピード競争”をするにあたり、事故を起こせば元も子もないのだから、たとえATSでなくても何らかの然るべき安全対策をうって当然だろうと改めて思う。どうやってもドンには逆らえなかったのか、たいして疑問も持たず同調していた取り巻きもいるのではないか。経営にもブレーキがかけられなかったのだろう。スピード競争は、言うなれば売上げ競争だったことになる。
 
 安全第一の組織が売上げ至上主義に走るとどうなるか、民間企業だからといって利益追求を自社の使命であるかのような勘違いをするとどうなるか。
 
 医療機関も薬局も、けっして人ごとにしていてはならない。業績を第一に考えるようなら、もはや顧客の安全が最優先の組織とはいえない。
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 疑義照会の相手はだれ? | TOP | クライマーズ・ハイ »
最新の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | JR西に学べ