何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

失敗学から危険学へ

2007-06-01 19:29:21 | Book Reviews
危険学のすすめ――ドアプロジェクトに学ぶ』畑村洋太郎・著、講談社・発行、2006年7月。

 「失敗は成功のもと」と言われていたくらいだから、失敗の受けとめ方いかんによってその先が大きく変わってくる。失敗を起こそうと思っていたとしたら「故意」だし、ハナから起きても仕方ない・起きてから考えればよい、と思っていたら計画性や準備が乏しいといわざるを得ない。

 極力、失敗が起きないように心がけながらも、図らずも起きてしまった失敗に学びながら、同様のことを繰り返さないようにしよう、その積み重ねによって失敗の発生を防止していこうというのが、これまでの「失敗学」ではなかったか。

 そうは言っても失敗の中には、起きてはならない“失敗”がある。人命にかかわるものがとくにそうだ。失敗に学ぶことは大切といえども、失敗が起きてからでは遅い。そこに失敗学の限界があり、危険学が生まれたようだ。もし想定できる事態からの逸脱を考慮し、未然に対応していくことが重要だというようだ 

 事故の背景にあるものを正しく理解するためには、事故を起こした機械そのものの来歴や技術内容の変遷についても詳しく見ていく必要がある。(p.117)

 事故を防ぐようにはこのように、メーカーの論理で版なく利用者の目線で対策を考える必要があるのではないだろうか。(p.140)

 事故が起こった場合、新聞では「A社」とか「B社」などという表現を使ってどこの会社のどの製品であるかをのかすのが常である。これでは使用する人の注意が喚起できないという問題がある。消費者がしっかりとそのものの特性を知り、潜在的な危険を認知しつえで使うようにするには、きちんと情報が伝わることのほうを優先するのが理想なのだ。そのことは、商品の売れ行きを云々する以前に大事なことであるように思う。(p.141)

 あり得ないことは起こらないが、あり得ることはどんなに発生確率が低くても必ずいつかは起こる。(p.155)

 「ドアプロジェクトに学ぶ」ということで、六本木ヒルズで回転ドアに男児がはさまれ死亡したことをきっかけに、ドアの危険性を調査したことが土台になっているが、リスクに対する考え方の要点が随所に述べられている 

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