何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

ピンチの本質

2012-01-17 22:13:26 | Book Reviews
「ピンチの本質 絶体絶命を乗り切る技術 桜井章一・著、ベスト新書、2011年10月5日

p.17 守りに入ると、気持ちも守りに入り後ろ向きになってしまう。こんなことから、私は攻撃に対しては“守る”のではなく、“受ける”という気持ちで臨むようにしている。

p.20-1 窮地に陥ったとき、そこで何もしなければ窮地のままである。だから人はそこから脱しようと動き始める。変化しようとする。
 つまり、ピンチは何かを新たに始めたり、改めたりするきっかけになるということ。災害の復興にしても“攻める”ということであり、その結果新しいものが生まれてくる。そこでよいものが生まれれば「ピンチの後にチャンスがきた」といえるのだ。

p.22 壁を乗り越えた先にチャンスがあるのではなく、壁の中にすでにチャンスがある。そう考えれば、それまではとても乗り越えられそうに思えなかった壁も違った形で見えてくるのではないだろうか。

p.24 窮地に陥ったとしても、そこで救いの手を差し延べてくれるのは知識ではなく、知恵である。ちょっとしたことで落ち込んだり、挫折してしまう人は自分がいかに知識に頼っているかをまずは見つめなおすべきだろう。

p.38 ピンチの時に“運の流れ”やチャンスといったものを感じ、その流れに乗るには“あるがまま”を受け止める感覚がとても大切になってくる。その感覚こそが“素直さ”に直結しているのである。

p.39-40 他力への“願い”が強くなってくればそれは「願えば叶う」という宗教のような“教え”に頼ることにもなってしまう。無闇矢鱈に“運を願う”のは逆に運を遠ざけるだけである。なぜなら、それは“自然の流れ”ではないからだ。
 運は自然とともにあり、自然の流れを感じることで運の流れも感じることができる。“自然体”という言葉があるように、まさに自然体でいれば運は必ず巡ってくる。

p.60 そもそも“折れない心”などを目指すから、人は強くなれないのかもしれないと思うこともある。本当は心など何度も折れてもいいのだ。折れた後に動きを止めてしまうことさえなければ、骨と同じように、折れれば折れるほどその人の心は強くなる。
 心が折れるくらいの体験をしなければ、本当の意味での“折れない心”は育めない。その時の痛み、辛さといったものが人を強くしてくれるのである。

p.64 今は社会を見ても、人を見ても、すぐに正当性を出してくる。正当性を主張し、他者に責任を押しつければ自らの身は安全である。不安なところに自分を置いておきたくないから、正当性によって少しでも居心地のいい場所へ移ろうとするのだ。
 しかし、正当性があれば優秀だろうか? 正当性だけ追い求めていれば真っ当な人生が歩めるのだろうか?

p.66 「自分は正しい」と思うのではなく、「自分は間違っているんじゃないか?」と常に思う。世の中の正当性から脱する最初の一歩はそこから始まる。

p.69 いつの時代も、上に立つ人間の言うことと、現場の声が噛み合うことはない。現場の声の方が正しいのに、その声はいつもつぶされてしまう。
 世の中の経営者すべてが現場の声を押しつぶす権力者であるとは思わない。しかし、経営者の大多数が“現場感覚”を忘れ、経営にだけ注力してしまっているのは事実である。

p.71 私は「いいこと」があったらそれは他から来たもの、他からの恵みであると考える。決してそれは自分の力で起こせたものだとは思わない。そうするとそこに自ずと「感謝心」というものが起こってくる。
 「悪いこと」があった場合、今度はそれを「自分のせいだ」と考えるようにしている。「悪いことが起きたのは自分の蒔いた種が原因だ。だから反省しよう」と。「いいこと」「悪いこと」に関して私はそんな観念を持っている。

p.73 他の人から「精一杯やってもダメだったらそれはしょうがないよ」と言われれば誰でも精神的に楽になれる。それが自分の信頼する人からの言葉であればなおさらである。

p.76 そういったミスの許されない環境に染まってしまうと、緊張感というのも起こりやすくなる。「いい点数をとろう」「自分をよく見せよう」。そんな考えに囚われているから緊張してしまうのであって、「いいも悪いも関係ない。自分のできることをやるだけ」と思えば緊張というのは薄まっていく。

p.79 何か自分にとって嫌な出来事があったとしても、そこで「許さない」という気持ちだけでなく、「許す」という気持ちも入れる。「許さない」と「許す」。まったく正反対の気持ちを自分の中に生み出すことで、精神のバランスが計られる。その結果、そこに冷静さが生まれ、自然の流れの中で最善の対応をとれるようになる。

p.82-3 世間体や体裁ばかりを気にする親は、「変な恥をかきたくない」という思いも人一倍強い。だから子供のちょっとしたミスも許さない。
 そうなると子供は安全柵に囲われたリスクとは無縁の世界で、親に褒められることだけをするようになる。 #RM

 ミスを減らせ、件数を減らせ、というのは、経営者が自分の作った環境を間接的に減点されているように恥ずかしく思うのかもしれない。すると、職員は本来向けるべきところから離れて、経営者の顔色を見て、こうやっていれば怒られないということをするようになる。それでは目的や責任は果たせる状態ではなくなる。

p.83 リスクを越えた先に、達成感、充足感というものがあり、その過程こそが人を成長させてくれるものであることを、大人はもっと子供たちに伝えていく必要があるのではないだろうか。

p.99 そんな中で自然界の生き物たちは、変化を続けながらその生命を繋げてきた。豊かさでもなく、“生きるため”だけの変化を続けながら・・・・・。
 人間は“進化”を続けてきたつもりなのだろうが、私から見れば悪くなる一方である。“進化”することは果たしていいことなのか? そんなことを考えるだけでも、ピンチを迎えている現代社会を切り開く突破口になるのかもしれない。

p.102 もしかしたら、あなたがいま襲われているピンチも、本当はひとつのピンチではなく、ふたつのピンチ、あるいは三つのピンチが合わさってピンチとなっているのかもしれない。それなのに、複合的なピンチに対してひとつの対応しか取っていなければピンチはもっと困難なピンチとなってしまうだろう。

p.112 人間が追い求めてきた進歩とは、利便性の追求でもある。人間の深層心理にある「楽をしたい」という思いが、文明を進歩させてきたといっても過言ではない。そして結果として、人間は“厳しさ”を自分たちから遠ざけてしまったのである。

p.116 私は普段から「“裏切り”ではなく、変化しただけ」と思うようにしている。
 裏切られたと思うから重い荷物を背負いこむことになるのであって、“変化したんだ”と思えば、絶望感や喪失感といったものを抱かずに済む。

p.137 “がんばる”ということの意味を考えたとき、“がんばる”とは何かを犠牲にして成り立っていることに気付かされる。

p.157 「答え」が見つからないと心配になり、「確証」がないと不安になる。そんあ現代人特有の性があるために、マニュアルに頼ったり、保証や見返りを当てにしたり。

p.159 「便利さ」は人間を変え、社会を変える。それがいい方向に変わっていくのなら一向に構わないが、「便利さ」は違う。「便利さ」を追求し続けると間接的なことが増え、人も社会も自然からどんどん離れ、悪くなっていく一方である。


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