何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

「想定外」を想定せよ!

2012-01-03 18:25:57 | Book Reviews
「想定外」を想定せよ! 失敗学からの提言 畑村洋太郎・著、NHK出版、2011年8月25日

p.2 しかし私にはこの「想定外」という言葉が、「想定の範囲を超える自然災害だったのだから、仕方ない」という責任逃れのための免罪符として使われているように感じられてなりません。

p.19 「想定」は物を作る人が勝手に決めたもので、その範囲を超えた領域である「想定外」は起こりえないのではなく、確率は低いかもしれないけれど起こる可能性のあるものだ、ということです。
 逆にいうと、安全性を突き詰めてどこまで緻密に「想定」したところで、必ず「想定外」の部分が残るのです。ですから、「想定」内のことを考えるだけでは不十分で、「想定外」に対する意識をもつことこそが事故や失敗を防ぎ、安全性を高めるためのカギになるわけです。

p.20-1 どんなに発生頻度が低く、「想定外」のころであっても、起こる確率が論理的に0パーセントでない限り、起こるときには起こるのです。それはだれも防ぐことはできません。重要なのはむしろ、「想定外」のことが起こったときに、的確な判断や対応を行い、いかに被害を最小限に食い止めるかです。
 そのためには当然、何か事が起こる前に、「想定外」の事態が起こりうるという「想像」をしなくてはなりませんし、「想定外」のことが起きたときには、どのように対応するかをあらかじめ考えておかなくてはなりません。それは、今日の多くの企業にとって、リスクマネジメントの観点からも必須の認識になりつつあるといえます。

p.49-50 安全性を実現しながら機械やシステムを作るには、二つの考え方があります。一つめは、事故が起きたとき、たとえ安全を守るためのシステムがうまく作動しなかったとしても大きな危険を及ぼさないようにする考え方です。これを「本質安全」といいます。
 二つめは、安全を守るためのシステムを取り入れて、危険を防ごうという考え方です。これを「制御安全」といいます。
 二つの考えのうち、優先されるべきは「本質安全」です。技術が発達した現在の日本では、ともすると「制御安全」を重視してしまいがちですが、本来「制御安全」とは、「本質安全」にさらなる安全と使いやすさを加えるための補助的な考え方に過ぎません。

p.63 世の中で起こる機械やシステムの事故を見たときに、「本質安全」の考え方ふぁ採られていれば最悪の事態は防げたのではないか、と思われる例が多々あります。機械・システムの安全性の実現については、コスト削減や効率性の観点から「制御安全」に頼りがちですが、常に本質に立ち返り、安全性を最優先した設計を守らなくてはならないのです。

p.81-2 そもそも人間は、都合のいいことだけを見て、都合の悪いことは見ない生き物だということ。だから、「ヒヤリ」、「ハット」する事態が起きても、重大な失敗につながることなどはまったく考えつかず、「自分には起こらない」と勝手に思ってしまうのです。そんな人間の本能こそが、失敗が「忘れられてしまう」ことの根底にあります。

p.82 楽天的というよりも、自分の都合と利害でまずいことを見たくないというのは、だれにでもある心理だと思います。
 きの後ろに隠れている鬼を見つける方法はないのでしょうか。視点を変えれば見えるはずです。一つのやり方として有効なのが、あえて「悪意の人」になることです。 #RM

p.107 「津波のときには、家族のことも構わずに、自分一人で逃げる」と言葉で伝えられただけでは、子どもたちは、「家族のことが心配だから、そんなことはできない」と思うでしょう。そこで、片田さんは、「自分一人で逃げられるのは『ほかの家族もきっと逃げる』という信頼があるからだ」と教えて納得させました。それだけではありません。教えたことを家に帰ってから家族に話すようにと伝えたのです。突然、子どもから「お母さん、僕、津波が来ても一人で逃げるよ。お母さんのことを信頼しているから」などと伝えられた家族は驚いたでしょう。その驚きが、子どもも保護者も防災教育に関心をもち、各家庭で津波に関する話をするきっかけになったのです。

p.119 さらに、「もっと大きな津波がくるかもしれない。だからマップを信じちゃいけないよ」と伝え、「想定外を想定する」ことの大切さを伝えていたのです。

p.124 中には「真のベテラン」といえる人たちもいます。年数とは必ずしも関係しません。目の前の仕事をこなしてだらだらと三〇年経験したところで、真のベテランとはいえないのです。私は、だれでも三年あれば十分に真のベテランになれると思っています。そのために必要なのが、「全体像を把握できる」ことなのです。

p.129-130 マニュアルはひとつの決まった仕事をだれでも確実に行うために不可欠なものです。しかしおそろしい落とし穴があるのです。それはマニュアルがあると、それに従っている人は考えなくなってしまうということが起こることです。マニュアルに従っていると、自分の頭で考える過程が省かれてしまいますから、表面的な部分しか理解されず、いつしかマニュアルのもつ真の意味が忘れ去られてしまいます。それが、「偽のベテラン」を生み出すことにもつながり、同じ失敗を何度も繰り返すことになるのです。
 マニュアルにのっとった「どうやればいいか」だけでなく、自分の頭で「どうしてか」をも理解し、全体像を把握できるようになる。そうすれば、想定外の事態が起きたときにも、全体をみながら、そうづればよいか、何が必要かを的確に理解し実現することができます。これこそが「真のベテラン」です。

p.132 「仮想演習」とは、前提になっている条件が変わった場合に何が起こるか、先に考えておくことです。何かの目標を達成するために計画を立て、スタートからゴールまでのルートを描くとき、私たちは知らず知らずのうちに、そのルートを通れるための条件を想定しています。その条件が満たされていれば問題ありませんが、現実にはトラブルが起きて条件が満たされず、目標を達成できないことが少なくありません。そこで、まず、そもそもこのルートを通るための条件は何なのかを洗い出してみます(これを、「制約条件」といいます)。そして、もしも条件が満たされなくなった場合に、どんなルートを通れば目標を達成できるのか、予測のルートを考えておくのです。さらに、もしも外部からの邪魔や攻撃を受けた場合に、ルートのどこが壊れて通れなくなってしまうのかを考えておきます。また、さまざまな条件ではどんなルートを通ってどこからどこに進めるかをシュミレーションしておきます。 #処方鑑査

p.136 「逆演算」ならそんな事態を防ぐことができます。先ほどの例のように、実際に起こった事故や失敗だけではなく、未来の事故や失敗にも逆演算を応用してみるのです。計画したことの先にありうると思われる事故や失敗を想定し、そこから逆演算していくことで、事故や失敗につながる種を見つけて、未然に防ぐことができるというわけです。
 私に逆演算の大切さを教えてくれたのは、日本の自動車産業でした。その強さの秘密を調べていたときに、どこに社でも、「デザイン・レビュー(DR)」と呼ばれている試みがあることを知りました。新製品の開発を行う場合、製造計画が立てられて、あとは実行するだけとなった段階で、その製品の開発に携わらなかった者や、別の部署の者たちの外部の目にその計画を見せて意見を出させ、検討するのです。 #服薬管理

p.145 そこで提案したいのが、「みんなが安心できるような立派な堤防は作らない」ということです。立派な堤防は、見ただけで人々が安心し、「津波が来ても逃げなくてもいい」と思わせてしまう。しかし、台風や高潮に伴う波ならば防げるけれど、津波には通用しない程度の堤防ならば、「津波がきたら逃げなければ」という気持ちになるはずです。

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