何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

想いが通じれば取組みは理解される

2010-12-04 11:59:05 | 心に残ること
傘、寄付し続け2000本超 練馬区の糟谷茂さん
産経新聞 12月4日(土)7時56分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101204-00000122-san-soci

 練馬区北町の糟谷茂さん(90)は不要になった傘を修理したりして、同区早宮の東京メトロ平和台駅に寄付し続けている。これまでに寄付した本数は2千本を超えた。「人として生まれたのだから、何か社会のためになればと思って」と話している。

 糟谷さんは十数年前、平和台駅から自宅に向かおうとした際、土砂降りの雨に見舞われ、ずぶぬれになって帰宅した。「同じように困っている人がいるだろう。自由に持っていける傘が駅にあれば」と感じ、傘を駅に寄付することを思いついた。

 早速20本持参したら、「ありがとう」と感謝された。これが長い善行の道のりのスタートだった。

 はさみ研ぎ職人として生きてきた。その技術が傘の修理に生かされることはないが、職人の意地が妥協を許さなかった。「直すのは簡単なのに、面倒だから捨てる。直せば使えるのに捨てるのは、生きているのを殺すのと同じ」と厳しい。

 寄付する数を何かに合わせるのが楽しみという。今年は2010年ということで、10月8日に2010本目を駅に届けた。

 糟谷さんの生き方に共感したのか、近隣の人たちがそっと、要らなくなった傘を家の前に置いていくという。「考えてみれば、よく2010本も寄付できたものだ。皆さんの協力があってできた」と周囲への感謝を忘れない。11月16日に20本持っていったときは、ちょうど駅の傘立てに傘を補充する女性の姿があった。糟谷さんの行動が周囲に影響を与えている証左だ。

 「喜んでくれる人がいるだけで、うれしい。やめれば、ぬれる人が出る。雨にぬれた人が風邪をひいて、仕事を休んだら、社会にマイナス。小さなことだけど、世の中の役に立っていると思うと、気持ちがいい。健康が悪くならない限り続けたい」と、傘を寄付する行為が生きがいとなっている。

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 素晴らしい。自分の技術が、社会に役立つ。それで見返りを求めるわけではなく、喜んでくれる人がいて、助かる人がいるのなら、それでうれしいと。

 そんなことしたって一銭の徳にもならないと、商売かビジネスのアタマでいたら、そんな発想など浮かばないだろう。目線も思考もまったく異なる。

 本当は、同じであるべきなんだと思う。修理は糟谷さんの技術を必要としても、そのために不要とされた傘を持ち寄る住民は、さしずめサポーターだろう。
 
 それで儲けようとしているわけじゃない。しかし、この取り組みを知って、こういう人に自分の傘も修理してもらいたいと思う人が多くいるのではないだろうか。額面には換算できないけど、ものすごく得るものを得ているんだと思う。そういう心遣いを自分の周りにも取り入れていきたいと思う。けっして打算的、手段ではなくて。

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遺族のためでなければ会社のためではない

2010-12-04 11:26:12 | JR西に学べ
福知山線事故 JR西・山崎前社長 初公判前に心境語る
毎日新聞 12月4日(土)2時31分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101204-00000003-maip-soci
より抜粋

 --航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)の調査報告書を漏えいさせたのを今、どう思うか。

 目的はともかく、方法としては大間違い。申し開きできない。社長になってすぐのころで、ものすごく狭い意味で「会社のため」にやった。ご遺族と付き合ううちに、遺族のためでなければ会社のためではないと思うようになった。

 --遺族に言いたいことは。

 「本当に犠牲者の方に対して申し訳ない」しかない。事故については、刑事責任はともかくとして経営責任は私も含め歴代の社長にある。

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 確かに、歴代社長の中ではまともかたかと「一時」思いもしたが、それは調査報告書の一件で見事に裏切られた。それぞれに個性もありながらも、自己保身に走り、被害者のことがどこまでわかっているのかと理解しがたいのは共通因子だ。

 いまさらながら、「遺族のためでなければ会社のためではない」ということに気づいてもらったが、あまりにも時すでに遅しだ。公共交通機関として、国民のためでなければJR西日本のためではないと、現役時代は考えてもみなかったと言っているようなものだ。

 山崎元社長だけが、個人として裁かれることに抵抗があるのはわかる。誰も一人だけの責任だなんて思ってもいない。カイシャのためと言うのなら、すべて一切の主張をせずに、受け入れることがそれにつながるのではないだろうか。たとえ、受ける必要のない分まで罪を負ったとしても。最高責任者って、そういうものではないだろうか。一個人としての応分だけで、と考えることは、全体に影響力を持っていた立場の者が持つ考えではないような気がする。

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妻を看取る日

2010-12-04 09:52:02 | Book Reviews
「妻を看取る日 国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録 垣添忠生・著、新潮社、2009年12月20日

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