傘、寄付し続け2000本超 練馬区の糟谷茂さん
産経新聞 12月4日(土)7時56分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101204-00000122-san-soci
練馬区北町の糟谷茂さん(90)は不要になった傘を修理したりして、同区早宮の東京メトロ平和台駅に寄付し続けている。これまでに寄付した本数は2千本を超えた。「人として生まれたのだから、何か社会のためになればと思って」と話している。
糟谷さんは十数年前、平和台駅から自宅に向かおうとした際、土砂降りの雨に見舞われ、ずぶぬれになって帰宅した。「同じように困っている人がいるだろう。自由に持っていける傘が駅にあれば」と感じ、傘を駅に寄付することを思いついた。
早速20本持参したら、「ありがとう」と感謝された。これが長い善行の道のりのスタートだった。
はさみ研ぎ職人として生きてきた。その技術が傘の修理に生かされることはないが、職人の意地が妥協を許さなかった。「直すのは簡単なのに、面倒だから捨てる。直せば使えるのに捨てるのは、生きているのを殺すのと同じ」と厳しい。
寄付する数を何かに合わせるのが楽しみという。今年は2010年ということで、10月8日に2010本目を駅に届けた。
糟谷さんの生き方に共感したのか、近隣の人たちがそっと、要らなくなった傘を家の前に置いていくという。「考えてみれば、よく2010本も寄付できたものだ。皆さんの協力があってできた」と周囲への感謝を忘れない。11月16日に20本持っていったときは、ちょうど駅の傘立てに傘を補充する女性の姿があった。糟谷さんの行動が周囲に影響を与えている証左だ。
「喜んでくれる人がいるだけで、うれしい。やめれば、ぬれる人が出る。雨にぬれた人が風邪をひいて、仕事を休んだら、社会にマイナス。小さなことだけど、世の中の役に立っていると思うと、気持ちがいい。健康が悪くならない限り続けたい」と、傘を寄付する行為が生きがいとなっている。
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素晴らしい。自分の技術が、社会に役立つ。それで見返りを求めるわけではなく、喜んでくれる人がいて、助かる人がいるのなら、それでうれしいと。
そんなことしたって一銭の徳にもならないと、商売かビジネスのアタマでいたら、そんな発想など浮かばないだろう。目線も思考もまったく異なる。
本当は、同じであるべきなんだと思う。修理は糟谷さんの技術を必要としても、そのために不要とされた傘を持ち寄る住民は、さしずめサポーターだろう。
それで儲けようとしているわけじゃない。しかし、この取り組みを知って、こういう人に自分の傘も修理してもらいたいと思う人が多くいるのではないだろうか。額面には換算できないけど、ものすごく得るものを得ているんだと思う。そういう心遣いを自分の周りにも取り入れていきたいと思う。けっして打算的、手段ではなくて。
産経新聞 12月4日(土)7時56分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101204-00000122-san-soci
練馬区北町の糟谷茂さん(90)は不要になった傘を修理したりして、同区早宮の東京メトロ平和台駅に寄付し続けている。これまでに寄付した本数は2千本を超えた。「人として生まれたのだから、何か社会のためになればと思って」と話している。
糟谷さんは十数年前、平和台駅から自宅に向かおうとした際、土砂降りの雨に見舞われ、ずぶぬれになって帰宅した。「同じように困っている人がいるだろう。自由に持っていける傘が駅にあれば」と感じ、傘を駅に寄付することを思いついた。
早速20本持参したら、「ありがとう」と感謝された。これが長い善行の道のりのスタートだった。
はさみ研ぎ職人として生きてきた。その技術が傘の修理に生かされることはないが、職人の意地が妥協を許さなかった。「直すのは簡単なのに、面倒だから捨てる。直せば使えるのに捨てるのは、生きているのを殺すのと同じ」と厳しい。
寄付する数を何かに合わせるのが楽しみという。今年は2010年ということで、10月8日に2010本目を駅に届けた。
糟谷さんの生き方に共感したのか、近隣の人たちがそっと、要らなくなった傘を家の前に置いていくという。「考えてみれば、よく2010本も寄付できたものだ。皆さんの協力があってできた」と周囲への感謝を忘れない。11月16日に20本持っていったときは、ちょうど駅の傘立てに傘を補充する女性の姿があった。糟谷さんの行動が周囲に影響を与えている証左だ。
「喜んでくれる人がいるだけで、うれしい。やめれば、ぬれる人が出る。雨にぬれた人が風邪をひいて、仕事を休んだら、社会にマイナス。小さなことだけど、世の中の役に立っていると思うと、気持ちがいい。健康が悪くならない限り続けたい」と、傘を寄付する行為が生きがいとなっている。
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素晴らしい。自分の技術が、社会に役立つ。それで見返りを求めるわけではなく、喜んでくれる人がいて、助かる人がいるのなら、それでうれしいと。
そんなことしたって一銭の徳にもならないと、商売かビジネスのアタマでいたら、そんな発想など浮かばないだろう。目線も思考もまったく異なる。
本当は、同じであるべきなんだと思う。修理は糟谷さんの技術を必要としても、そのために不要とされた傘を持ち寄る住民は、さしずめサポーターだろう。
それで儲けようとしているわけじゃない。しかし、この取り組みを知って、こういう人に自分の傘も修理してもらいたいと思う人が多くいるのではないだろうか。額面には換算できないけど、ものすごく得るものを得ているんだと思う。そういう心遣いを自分の周りにも取り入れていきたいと思う。けっして打算的、手段ではなくて。