何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

医療の質は人によって支えられている

2007-08-01 19:13:21 | よくわからないこと
医療費抑制は最大の問題。医療は労働集約型の産業で、人をかけ、物をかければ、質の高いものができる。日本が諸外国に比べて少ない医療費で質の高い医療を維持できているのは、医療従事者の献身的な努力によるところが大きい。 『どうする医師不足/5止 小松秀樹氏/内田健夫氏』(毎日新聞 2007.7.12 より一部抜粋)

 医療を支え、また最後に頼るのは、やはり「人」だろう。機械化、IT化、効率化、合理化もいいが、切り詰めて、削って、絞って、いまではギリギリのところでかろうじて日常をまわしている医療機関のいかに多いことか。

 それを支えている職員に対し、経営者は応えているだろうか。したくてもできない状態ではないか。給与面だけが「応える」という意ではないだろう。
 ではそれ以外の面で、職員満足に応えているだろうか、というと、甚だ怪しい医療機関や薬局が多いのではないかと思う。なぜ応えられないのか。収益ありき、まず安定経営が先だと思っているからだろう。

 そんな経営姿勢のもとでは、質の高いサービスレベルは維持されないだろう。人は財産でではなく、道具にしか思われていないのだから。少しでも人件費・労務費を削減したい組織において、ESなんてほど遠い。そんな施設では医療を支えきれず、そのままでは患者から見離される日がやってくるのではないだろうか。
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プロ意識は組織引き締めのスパイス

2007-08-01 13:25:41 | 思いつくまま
『[2000年版対応]病医院・福祉施設の医療・介護事故防止 ISO9001による対応Q&A100』 松田紘一郎・著、日本医療企画、2004年。

 先日、法律が定められると、その抜け道を探ろうとする輩が現れて、法に問われないように巧妙に物事を進めるという困った・嘆かわしい事態を防ぐのは、プロ意識であると、プロフェッショナルとしての良心であると、どこかで読んだのだが、その出典を忘れてしまった。残念。

 しかし、一方で、法の網をかいくぐれるようにならなきゃ一人前ではないとする認識も根強いようである。そんなキレイ事を言っていたら、この世の中渡ってなぞいけないよ、ということのようだ。サッカーだって、それを「マリーシア」と呼び、けっして反則ではない、むしろ合法的なものだとするようだ。 

 ここではサッカーで勝ち抜くためのずる賢さを言いたいのではない。

 法が制定された意図や背景を知ったうえで(あるいは知らずに)、その言葉尻りをとるかのように、法で求めるものを破る、ないがしろにすることを防ぐことが重要だ、ということである。向こう岸に渡るのに窮しながら、法スレスレの行為をしたり、法解釈をねじ曲げるのは本質的ではない。法を知りつつ、その趣旨を理解するということは、具体的行動の際に道を外れそうになっても自律的に制御機構が働くということだ。そこを司るのがプロフェッショナリズムというものだのだろう。

 医療事故が多発する理由において、本書は(1)制度的な仕組みの疲労によるもの、(2)医師中心のプロダクトアウトによるもの、(3)技術重視(医師中心)によるもの、(医療専門職のプロ意識の欠如によるもの、(5)情報公開、患者主権の回復によるもの、などを挙げている(p.62~3)。職員満足度の不足も看過できないという。

 「医師、看護師その他の医療専門職は、戦後のいわゆる自由の中で、プロフェッショナルとしての倫理観や使命感を希薄にしたこと。」が、上記(4)の説明である。

 昨今、黙ってもくもくと文句も言わず(言わせず?)作業に当たらせるような労働環境が身の回りで目につく。就職難を逆手にとっているわけではないだろうが、個人の人権無視スレスレなのかもしれない。しかし、そんな環境で組織が伸びるはずはない。明日のために無理をさせること自体、自転車操業をしているふうにも映る。口先ばかりに「スタッフの成長」を求めるのも、言い訳のために行っているようでもある。

 プロ意識を育てるにはどうしたらよいのだろう。上に立つ者がそういった行動を示すことはもちろん、教育研修で培う方法があれば学びたいと思う 
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