何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

国民や社会が薬局に求めること(2)

2006-06-05 19:29:54 | くすり雑感
 薬局に来る患者さんと、薬局・薬剤師側のすれ違い状態の考察(続き)である。自分の健康問題に向き合ってほしい患者さんと、一方的なインタビューや的を得ない指導をして自己満足している薬局の原因に関する「なぜなぜ分析」である。

なぜ患者さんは薬さえもらえば薬局には用はないと思うのか?

―> 患者さんは、薬局とは薬をもらうところであって、薬物治療(経過)管理をするところだとは認識していないから

なぜそのように認識しているのか?

―> 薬物治療とはいえ、経過管理は医者の領分であって、薬剤師は医者の指示に基づく薬剤交付が仕事だと思っているから

なぜそのように思っているのか?

―> 薬物治療が適切に進められるうえで、薬剤師が服薬が患者さんに及ぼす影響や、服薬が患者さん側の環境や条件から受ける要素について、注意していることが理解されていないから

なぜ理解されていないのか?

―> これまでの活動に接し、そのようなことをやってもらっているとは思ったことがないし、医者でもないのにできるとは思っていないから

なぜそう思われてしまったのか?

―> 服薬指導をすることに目や意識を奪われすぎていて、本来の責務である服薬管理がおろそかになっていたから

なぜおろそかになっていたのか?

―> 自分たち(=薬剤師)の仕事について、患者さんの安全確保に係るということが最大の仕事であると位置づけられていなかったから


 まだ続ける? なぜ位置づけられていないのか?>別のものが位置づけられていたから それは何?>フィー算定 なぜフィー算定?>売上や利益といった経営優先姿勢があるから・・・

 いきつくところ、薬局や薬剤師として当たり前のことができていなかった、基本的なことに応えられていなかった、ということではないだろうか。

 カンタンな薬効と飲み方さえ伝えながら薬を渡していた時代、その肥大化した状態がいわば「調剤バブル」期、分業率向上がいきつくところにまで来て、質に目が向けられているにもかかわらず、そこへの投資が遅れている状態、それが今なのではないだろうか。

 昨今の医療費抑制で、薬局経営は例年以上の危機にあるとはいえ、やはりそれを乗り切るのは薬局の原点を見失わず、どこまでも愚直かつ忠実に実行していくことではないかと思う。何をすれば薬局経営が好転するか、どうか目先のことばかりに目が行き過ぎているのが、昨今の薬局業界のように思われる。

 何をするか、すればよいかの前に、どのような方針、姿勢で薬局を行うのか、その土台となるところを再確認し、本末転倒の薬局経営にならないように願うばかりだ。背に腹は変えられずとばかり、品も何もあったものではなく、¥がすべてと言わんばかりの薬局には、消費者がNoを突きつけて欲しいと思う 
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国民や社会が薬局に求めること(1)

2006-06-05 19:05:45 | くすり雑感
 ある研究会(学会)で、患者さんは薬局に対して専門性より利便性を求めている、という発表があった。薬剤師は、まじめに仕事をしようとしているが、どうも自分たちの活動が患者さんに受け入れられていないようだ。すれ違い状態にも思える。

 しかし、このことは以前からその傾向は見られていた。
・薬局窓口で説明なんかいらないから早く薬を渡して欲しい
・薬局窓口で、いろいろ聞かれるのはイヤだ
・医者に話したことと同じことを、再度薬局に来て話すのは面倒だ

 などの反応である。薬さえもらえば、それでよいと言わんばかりだ。

 しかし、毎回、必ずしもそうではなく、聞きたい時は聞きたいし、ときに相談したい案件がないわけじゃない。つまり患者さん側が必要とするときだけ、つきあってくれればいい、ということのようである。

 以前にも述べたように、国民や社会は、薬局の存在理由について、「健康問題を解決するための薬物治療を進めるうえで、安全確保に寄与し、安心を得る」ことがあると思う。すべては、そのための活動ではないかと思う。

 そのために、
・困ったことがあれば、解決するよう、相談に乗ってほしい
・薬物治療を進めるうえで、危険な目に合わないよう、見ていてほしい
・もし危険に合うおそれがあるのであれば、予め教えてほしい

 といった要望を、いちいち口には出さないまでも持っているのではないかと思う。
 にもかかわらず、このすれ違いである。
 ここには、大きく2つ、薬局・薬剤師側の想いと、患者側の想いとの角度から考えてみることにする。

 まず、薬局・薬剤師側の想いを、「なぜなぜ分析」で辿ってみることにする。

なぜ患者さんは薬局窓口での会話を快く思わず、ときに不要だと考えるのか

---> 薬局はいろいろ話かけてくるが、それは患者側にとって必要性や関心がなく、自分たちの求めるものに応えていないと思うから

なぜ薬局は患者さんの問題に向き合わず、一方的な確認や指導に終始してしまうのだろうか

---> 自分たちの仕事は、特指算定内容を満たすための確認であるとか、疾患や処方薬から自ずと決まる薬学的管理だと思っているから(まさに売り手中心の発想だ!)

なぜ患者さんの想いを話題の中心とせず、また自分たちの行動をおかしいと思わないのか

---> 組織内でフィー算定が課せられていたり、それが薬局経営の糧だと考えるから(つまり、算定目的の仕事をしている!、というわけか・・・)

 では次項で、患者側の想いについて、考察してみる 
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往生際のタイミング

2006-06-05 12:33:57 | 思いつくまま
 盗作疑惑のゲージュツ家が、盗作を認めた。

芸術選奨「返上したい」和田氏、盗作事実上認める (読売新聞) - goo ニュース

 小児殺害疑惑の主婦が、事実を認めた。

秋田県警、彩香ちゃんの母逮捕 「豪憲君遺棄」認める 秋田男児殺人事件 (産経新聞) - goo ニュース

 渦中の村上氏が、インサイダー取引を認めた。

インサイダー取引認める 村上氏、一線から退く意向 (共同通信) - goo ニュース

 どこまでも知らぬ存ぜぬを押し通す人がいる一方、観念したのかどうか、事実関係を認める人もいる。よーく報道を読んでみると、事実はそうかもしれないが、自分はそのように解釈していないといった、見解の相違に争点をもっていくようでもある。そういう意味では、完全な自白とは趣きが異なる。限りなく黒に近いグレーにもかかわらず、見ようによっては明らかなグレーと言い張るのは、その後の自分の存在や位置づけを心配してのことだろうか。

 誰かどこかで、途中で、警告を発してあげる人は、周りにいなかったのだろうか。ここまでなってしまう代償の大きさを考えたら、ある一線を越えたとしても、それ以上、泥沼にハマるのを自主的に思いとどまらせるべく、勇気ある決断を促すことができたら、済んでしまった結果はともかく、更なる傷がつかなくて済んだかもしれない。

 社保庁の年金問題も本丸に迫ることができるかどうか。昨今、偽装、粉飾といったモラルの有無が表裏一体となっているものが多い。それだけ、世の中は明らかな違法とレッテルを貼られなければ、何をやってもいいような風潮のようだ。
 法律は文章で示される。そのものズバリの事例を示してなくても、その意図するところを十分汲んで、当事者やトップ自らが品格を持つべきではないだろうか。

 品格といえば、『国家の品格』(藤原正彦)、『仕事の品格』(山崎武也)などの本が、ちょうど“今が旬”のようだ。格差がつき、貧富の差がつき二極化する昨今、貧しくても襟を正すことを見直す流れがきているように思った 
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